12.決戦前日
それからおよそ1ヶ月後。
ヴィクトーリアは公都ウィンボナの南方郊外にある平原地帯に陣を張った辺境領軍の本陣にいた。天幕の中に設えられた軍机を囲むのはヴィクトーリアのほか、辺境伯当主の父ウルリヒ、辺境伯領軍司令の兄マインハルトをはじめとした軍団長たちである。そのほかヴィクトーリアの護衛兼世話係としてルイーサも同席していた。というかルイーサ自身も一部隊を率いていたりする。
辺境伯領軍はおよそ50万の軍勢で領都マルトンを進発し、行く先々で公国貴族たちの降伏の使者を受け入れながら公都目指して進軍した。途中、野戦にて公国正規軍を一蹴し、敵将を生け捕る大戦果も挙げた。
そして今、ウィンボナの南方防衛の拠点であるフランツェンブルク城を遠望する地点まで接近していた。
ヴィクトーリアの身体は結局、元通りには治らなかった。胸の傷がどうやら霊炉を少し傷つけていたようで、以前ほど自由には身体が動かせない。日常生活に支障のない状態までは回復してはいたが、完全に戻るかまでは微妙なところだという。上手く身体が動かせないからルイーサの介助が必要なのだ。
それに右手にも多少の麻痺が残ったため、もう剣を持つことも叶わない。こちらも静養に努めれば回復の可能性はあると治癒師に言われているが、領都に戻って早々に父や兄とともに軍を率いて公都を攻めているのだから、多分もう無理だと彼女は諦めている。
当初、父も母も兄たちもヴィクトーリアに領都で大人しく待っていろと言ったのだが、彼女は頑なに拒んだ。父や兄たちとともに私も戦う、そもそもこれは私の問題なのだし、大人しく後方で守られることを選ぶくらいならあの時決闘など選ばなかったと、そう力説されて家族全員が苦笑しつつ折れたのだ。
何よりヴィクトーリアの「たとえ剣は持てずとも軍配なら揮える」という一言が決め手になった。何しろ彼女はまだ未成年の頃から幾度も魔獣討伐の部隊を指揮し、15歳の成人直後には一軍を率いてマジャル軍相手に初陣を飾ったほどなのだ。まだ年若くとも戦場で立派に戦えることをすでに示している以上、それを否定することは難しかった。
「まあ、言い出したら聞かないからなトリアは」
「気の済むまでやらせんと、不貞腐れて後が面倒くさいからのう」
「何か言ったか、兄上、父上?」
「「いや、何も?」」
「お嬢様ぁ、そんなだから『可愛げがない』って言われるんですよ?」
「うるさい黙れルイーサ」
身体は上手く動かないが口はよく動く。それが今のヴィクトーリアである。
「ま、とりあえず四大侯爵家のうちエスターライヒ家とバーベンベルク家はすでに降伏、シュミット家は中立を宣言し、」
「あとはあのフランツェンブルク城に籠もるグーゼンバウアーさえ落とせば公都は裸同然なんじゃが」
北方、南方の辺境伯家とはすでに不戦協定が結ばれており、西方辺境伯は遠すぎて様子見の状態だ。その他の貴族たちで東方辺境伯に武力で対抗できる家門はない。
「だけど、あの公太子が援軍として入ったらしいね?」
そう、蹴散らしたはずの公国正規軍の敗残兵をかき集めて10万ほどの軍勢にまとめて、それを率いて公太子クラウスがフランツェンブルク城入りしたのである。
それにより、フランツェンブルク城に籠もるのはグーゼンバウアー軍とクラウスの軍とで約20万。辺境伯領軍はほぼ損耗もないままの約50万。3倍の兵力が必要とされる攻城戦を行うには少々不安が残るのだ。
「かと言って、これ以上辺境領を手薄にするわけにもいかんしのう」
ただでさえ保有兵力の半数を領地から離しているのだ。これ以上援軍を増やして辺境領を手薄にするわけにもいかないし、現状すでにマジャルに嗅ぎつけられれば厄介な状況だ。
「それに、公王家との盟約が失効したせいで物資の援助もなくなったしなあ」
圧倒的な兵力を誇る東方辺境伯エステルハージ家がなぜ今まで公王家と国家に従っていたのか。それは土地が貧しく物資、ことに食料に困窮する辺境領に公王家を通じてアウストリー全土から物資支援を得られていたためである。というかエステルハージ家も最初からこんなばかげた兵力を有していたわけでなく、支援物資を元に少しずつ募兵して鍛え、育て、維持してきたからこその軍事力なのだ。
だというのに、今は兵力だけがあり物資の供給が途絶えている。他の貴族たちと個別に支援交渉するにも時間がかかるため非現実的である。つまり長期戦になれば物資や糧食が欠乏し軍を維持できなくなる。
ゆえに辺境伯領軍としては短期決戦で公都ウィンボナを陥として早く決着を付けたいのだ。だが敵方に長期籠城できるだけの兵力が揃ってしまった以上、迂闊に手が出せない。
「そこで、私の出番というわけだな」
ふふん、と得意げにヴィクトーリアが進み出る。
それを見る父や兄の顔は苦虫を噛み潰したようである。
「敵方にクラウスがいるのなら、私が指揮を取っていると分かれば必ず打って出てくるはずだ。あいつは負けず嫌いだから、私には何としても勝ちたいだろう」
「ま、そうじゃな。では30万ほど━━」
「いや父上、そこは10万でよい」
「何故じゃ?」
「父上、クラウスは負けず嫌いだと言ったろう?負けたくないから劣勢の戦には出てこんよ。特に私に負けると分かっていて大軍に挑む気概など持ってはおらん」
「勝てると思えば出てくるんじゃないか?例えば兵5万で挑発してみるとか」
「兄上、あいつはああ見えてやたらと見栄っ張りでな。勝って当然の戦なんて手柄にならんから見向きもせんよ」
「「うわ面倒くさいな」」
「だから私が10万で挑むのだ。そうすればあいつが動かせるのも10万だし、対等の条件の完全な実力勝負だと思って出てくるだろう。その条件で私を叩きのめしてこそあいつは満足できるし、そうでなければ動かんよ」
ふとヴィクトーリアが気付けば、ウルリヒもマインハルトも呆気に取られてヴィクトーリアをぽかんと眺めている。
「え、な、どうした父上も兄上も?」
「「いや、お前………」」
声を揃えてふたりは感嘆したものである。
「「公太子のこと、よく見てたんだなあ………」」
改めてそう言われて、思わず赤面するヴィクトーリアである。
「だ、だって、8年も婚約していたんだぞ!?婚約者の性格や好みくらい、把握していて当然だろう!?」
(惚れとったんじゃな………)
(好きだったんだな………)
「ちょ、なんかおかしなこと考えてないかふたりとも!?」
「よし分かった。お前の手で決着つけて来い」
「トリア、心残りのないようにな」
「いやだから!なんか勘違いしてるだろふたりとも!」
「お嬢様………」
肩を叩かれて、振り返るとルイーサがうんうんと頷いている。
「ルイーサまで!?みんな何を納得しているんだ!?」
気付いていないのはヴィクトーリア本人のみである。




