01.相容れないふたり
「ヴィクトーリア!止まれ!ヴィクトーリア・フォン・エステルハージ!」
「そう吠えなくとも聞こえている。何用かな我が婚約者殿」
肩を怒らせ顔を真っ赤にしながら激怒しているのはこの国、アウストリー公国の公太子クラウスだ。古代ロマヌム帝国時代から続く栄えあるアウストリー公爵位を継ぐカール・グスタフ3世ロドリックの世継ぎである。
輝くプラチナブロンドの髪に理知的な光を湛えた紺碧の瞳が麗しい美丈夫で、公太子としての立場に相応しい麗しい礼装姿だが、今はその瞳に怒りを漲らせ、公城の廊下を歩んでくる美女の眼前に立ちふさがっていた。
それに対して足を止め返答を返したのはヴィクトーリア・フォン・エステルハージ。東方辺境伯エステルハージ家の長女で、侍女をひとり従えていて、艷やかな漆黒の長髪をなびかせ鮮やかな紅玉の瞳を目の前の婚約者に向ける。
スラリと背の高い、見事なプロポーションを誇る絶世の美女だが、その身を包むのはドレスなどではない。軽装に留めてはいるが礼式に則った甲冑姿で、腰には女性用の細身の騎士剣を履いている。公城へ上がるということで、辺境伯家の正装としての甲冑姿なのだ。
「フン。いつ見ても忌々しい済まし顔だな」
「悪いが生まれつきでね。今さら変えられぬよ」
傍から見れば美男美女でお似合いの組み合わせであり、公国貴族の子女たちの憧れのカップルであるはずだが、このふたり、実は犬猿の仲である。
「まあ、こんなところで立ち話もなんだな。どこかエスコートしてもらえるだろうか婚約者殿」
「貴様をエスコートしろだと!?笑えぬ冗談も大概にいたせ!」
「冗談などであるものか。それが婚約者の務めだろう?」
そもそもヴィクトーリアはクラウスに会いに来たのだ。本日は公国の次代を担う公太子とその婚約者とが親睦を深め親愛を育むための、毎月定例のお茶会の当日である。
であるのだが、ヴィクトーリアの姿はどう見てもお茶を楽しむための姿ではなかった。
「婚約者の務めなどというのなら、せめて少しは着飾ったらどうなのだ!」
「国の守りたる辺境伯の娘が甲冑姿で何が悪い?」
「時と場合によるだろう!貴様は夜会にすら甲冑で来るだろうが!」
「夜会の時は、ちゃんと甲冑の下はドレスにしているぞ?」
正しくは、上に甲冑を着られるよう特別にデザインしたドレスを着ている。甲冑を着ていてもきちんと映える、デザイナーの腕と創作意欲が存分に活かされた素晴らしいドレスを彼女は何着も所有していた。
「そういう問題ではないわ!」
クラウスはこの婚約者が大嫌いであった。確かに顔もスタイルも抜群の、人に羨まれるような美女である。だが彼の好みはもっと華奢で小柄な、思わず腕の中にかき抱いて守ってやりたくなるような可愛らしい娘であって、こんな男勝りの、言葉遣いまで男のような背の高い女ではない。そもそも彼女は魔獣討伐を終えた血塗れの姿で公城へ上がったことさえあり、幼い頃から公城の奥深くにある公宮で育ってきた彼からしてみればあり得ない粗暴さである。
だがアウストリー公国の東方辺境伯領と言えば国でももっとも魔獣や魔物が跋扈する辺境であり、しかも東方の隣国、たびたび侵攻してくる王政マジャルとの国境地帯でもあり、そのため代々の辺境伯は国軍の司令官をも兼ねる武人揃いである。ことに先代、つまりヴィクトーリアの祖父は、クラウスの曽祖父であるカール・グスタフ1世の懐刀として、アウストリー公国カール・グスタフ朝の創建に大功のある伝説の武人であった。
ヴィクトーリアとしては、敬愛する祖父に倣い、その教えに従って常在戦場の心構えで常に身を律しているだけなのだが、それがもうクラウスには信じられない。彼にとって女性とは、いつでも華やかに着飾って愛の言葉を囁いて、彼の耳目を楽しませる存在でなければならなかった。
そんなふたりが何故婚約しているのかと言えば、互いの祖父が二世代ごとに縁を結ぶと取り決めたからである。その盟約に従いクラウスの大叔母、つまりカール・グスタフ1世の娘で2世の妹がエステルハージ辺境伯の先代でヴィクトーリアの祖父であるアロンザの妻となっている。そして次に縁を結ぶのはその二世代あと、つまりクラウスとヴィクトーリアである。
要するにクラウスとヴィクトーリアの意思など関係なく、このふたりは生まれた時から夫婦となることが定められた間柄であった。
ちなみにヴィクトーリアは公都ウィンボナにある公立貴族院を卒業したばかりの16歳、クラウスはそのふたつ歳上の18歳だ。何事もなければおよそ1年後に盛大な婚姻式が執り行われる予定である。
「もういい、帰れ!今日の茶会は中止だ!」
「残念ながらそういう訳にはいかんな。殿下がそうやってすっぽかすものだから、もう半年も開かれておらんじゃないか。だから今日はちゃんとやれと、先ほどカール・グスタフ3世公王陛下からも直々に仰せつかったところだ」
「だから何だ!父上が何と言おうとも、貴様との茶会などお断りだ!」
クラウスの言い回しに、ヴィクトーリアの目がキラリと光る。だが彼女は、敢えてそれを言の葉に乗せなかった。
「私とのお茶会は、そんなに嫌か」
「分かりきったことを!せめて甲冑を脱いでドレスで来い!そうすれば考えてやらんこともないわ!」
ドレスで来い、というのは当然、クラウスの好む女性の仕草や表情、言葉遣いまで身につけて来いという意味である。そのいずれもが、ヴィクトーリアには生まれつき縁のないものだ。
「ふっ」
ヴィクトーリアは鼻で笑った。
「やれやれ、どうにも我侭だな我が婚約者殿は」
「ワガママなのはどっちだ!」
「そんなものどう考えても、決められたお茶会を嫌がる殿下の方だろう?」
「どれだけ甲冑を脱げと言っても全く聞く耳持たん貴様が、どの面を下げて言うか!?」
「私の甲冑姿は必要があってしていることだ。だがそなたの要求はただの我侭だろう?」
「ええい、減らず口を!」
微妙に言い負かされているクラウスが、そう言ってビシッと指を立ててヴィクトーリアに突きつける。
「おい、人を指差すのは無礼だと━━」
「とにかく!サロンにも茶室にもガゼボにも貴様の席などないわ!分かったらとっとと辺境伯領へ帰れ!」
「なっ………!」
クラウスは言いたいことだけ言ってしまうと、あまりの暴言に絶句するヴィクトーリアを残して、踵を返してさっさとその場を立ち去ってしまったのだった。
連載物また一本増やしてしまいました…。
本日22時にもう1話アップします。