ルナティアの、王子様
何故この人のことをたとえ一時でも、男だと思ってしまったのだろう。
辿り着いたティタ村、予約していた宿の風呂場の脱衣室にて、脱いだ法衣を丁寧にたたみながら、ティアは浅く溜息をついた。
目前で何のためらいもなくさらけ出された肢体は、紛れもない成熟した女性のもので。それもそんじょそこらのありふれた女性のそれでもなく、筋肉質ながらも豊満なバストとヒップ、キュッと締まったウエストから形成された完璧なプロポーションを持つものだった。
ティアは自分の薄い身体を見下ろす。下着をつけている状態でも十分わかる、貧相な胸と、どこにもくびれのない体。先程までとは別の意味でオリビアの前で服を脱ぐのが嫌になってしまった。
「何してるの?早くしたら?」
そんなティアに少し離れたところから声がかかる。見れば、当のオリビアはもうとっくの昔に服を脱ぎ終えて、何の恥ずかしげもなく風呂場へと入っていくところだった。
それを見送り、ティアも観念して下着を取り去り、それでもやはり恥ずかしいのでタオルを身体の前にあてると、風呂場へ続く扉をガララと開ける。
「はあー。気持ちいー」
オリビアは先に湯船の中に入っていた。この時間、彼女たちの他に利用している客はいないようだった。
ティアもそろりと足を浸け、持っていたタオルを脇に置くと、湯に浸かる。透き通った濃い茶色の湯は薬湯のようで、気持ちが良かった。しかしどうしても目が、彼改め彼女──オリビアの方へいってしまう。
「どうかした?」
「いいいえ!!」
怪訝に思ったのだろうオリビアに訊ねられ、ティアは慌てて首を振った。オリビアは特に気にする様子もなく湯船の淵に手をかけ、くつろいでいる。
それにしても妙な感じだ。
さっきまで男だと思い込んでいたその人が、今服を脱いで目の前にいる。れっきとした女性として。彼が彼女であったことはもはや疑いようがなく、がぜん乙女な想いを燃え上がらせていた身としては、心中複雑だ。
はああ…──
ふんふーん、と鼻歌を歌いながら身体を洗い始める姿を尻目に、ルナティアは心の中でだけ、大きな溜め息をこぼした。
風呂から上がり、夕食も済ませていったん部屋へ戻り、各々明日の準備などして落ち着いた後。眠る前にミルクを一杯だけもらおうと、降りて行った一階の廊下で、数人の男──おそらくは宿の宿泊客なのだろうが──に囲まれてしまった。
「よお、お嬢さんよお。俺達の部屋に遊びに来ないー?」
こういうことに免疫のないティアは固まってしまった。逡巡するティアの側に、男たちが近寄ってくる。
「おわ。すっげえ美少女」
正面にいた一人が、ずいっと顔を近づけてきた。そのままじろじろとティアの相貌を眺める。
ニヤついた気持ちの悪い顔。正視に耐え兼ねず一歩引いたなら、男の手があごにかけられ、ティアは嫌悪感もあらわにその手を振り払った。同時に、手にしていたマグカップのミルクが周囲に飛び散る。
──っ!やば…っ。
「…っ、てめぇ…」
青褪めたティアに男の拳が振りかかる。
──ひっ!殴られる…!
とっさに動けずにいたなら、横からぐいっと左腕を引っ張られ、男の拳を避けられた。
「可愛い顔に傷をつけられちゃあ大変だ、なあ?」
「きゃあっ!何す」
そのまま横にいた別の男の方へ引き寄せられてしまった。
腰に手が当てられる。ぞわりと嫌な感触が這い上がり、ティアはカップを取り落とした。
ゴトリと重い音が鳴る。
「気の強い女は嫌いじゃないぜ。まあ、ここはあんまりないみたいだが──」
男の手が伸びる。胸を触られる、そう思った途端、ティアは無我夢中で暴れた。男が一瞬怯み、しかし腕の力は緩まず、そしてまたすぐに、さっきまでとは違う心底楽しそうな笑みが広がり──
だめ。怯えちゃだめよ、ティア。負けちゃだめ。
渾身の力で相手を睨みつけ、思いきりその顔を押し退けようとして、両手を取られていることに気づいたティアが顔を青褪めさせたと同時に、男の表情が会心の笑みへと変わり──ぶつりと消えた。
「え?」
見えたのは、残像。
そして。
「ひっ!」
一撃で足元の床に倒れ伏した男のミルクまみれの顔を見て、ティアは小さく悲鳴を上げた。同時に視界の端に映ったのは、戻される白いおみ足。
「ルナティア」
低く、柔らかく呼ぶ声で、彼女は顔を上げた。
彼女の、王子様が立っていた。
ルナティアの、王子様。
*
「ルナティア」
呼ばれ、強いけれど丁寧な力で腕を引かれた。今度は抵抗なしにその胸の中へ倒れ込む。
「オリ─ジーク!」
宿備え付けの、男物の寝間着を身に着けていたので慌てて呼び方を変える。ちなみにそれは、前で合わせて帯で留めるタイプのものだったので、今しがた男の頭にかかと落としを食らわせた彼女の着衣には盛大に乱れが見られた。大きく開いた胸にはどきりとしたものの、中にはさらしを巻いており、その豊満な膨らみは見事に隠されている。しかしはだけた足元の、その魅惑的なラインまでは隠しおおせない。
しかし場所が暗がりなせいか、長い髪に一瞬戸惑うそぶりを見せたものの、その背格好から彼等はオリビアを男だと判断したようだった。
「私の連れに手を出すとは、いい度胸だね」
オリビアは飄々と、けれど確かな凄みを利かせた声でそう言い放った。
その不敵な笑み──目は笑っていない──を向けられた残りの男達は互いの目を見合わせ、
「べ、別に嬢ちゃんをどうこうしようってんじゃねえよ」
「ちょっと声かけただけじゃねーか。それにまだガキだし。なあ?」
もごもごと言い訳ともつかない台詞を吐いた。腰が引けているところを見ると、これ以上争う気はないらしい。なんとも都合の良いことだ。オリビアという味方を得てすっかり強気になったティアは眉を顰めてしまうが、こちらとしてもこれ以上、男達の汚い顔を見続けるのはごめんである。
「ジーク。行きましょう。」
ティアが服の裾を引くのを合図に、オリビアは足の下敷きにしていた男を、ごろんと前方へ蹴り転がした。
「──ティアがいいなら、まあいいけど。こいつはちゃんと持って帰ってよね。宿に迷惑だから。あと、二度とその面私達の前に見せるな」
最後にもう一度、にっこり凄んで見せてから、彼女は男達を追い払った。山羊のミルクくさい後ろ姿が廊下の先へ消えるまで見送ってから、はあと溜め息を吐いてティアを見る。
「意外とあっさりだったね。ちょっと拍子抜けだな。ティア、怖かったでしょう。部屋に戻ろう」
そう気遣わしげに声をかけてくれるが、対するティアは舞い上がっていた。
「オリビアさん、すごい!一発でノックアウトさせちゃうなんて!それに何にもせずに追い払っちゃうなんて、格好良い!」
襲われかけた恐怖はどこへやら、美形の勇姿を拝めただけで飛んでいってしまうのだから、ティアの脳みそはつくづく現金に出来ている。
オリビアは少し顔を赤くして、ポリポリと頬を掻きながら、
「そうかな?本当に殆ど何もしてないし、私としては、少し暴れ足りないというか…。」
などと言っているが、ティアにとってはどうでもいい。
──やっぱり、王子様だわ。
性別なんて関係ない。
この運命の出会いを、絶対に逃してなるものかとティアは胸に誓った。
ここまで読了いただきありがとうございます。
ある意味典型的ではあるのですが、こういうシーンは作者も書いていて虫唾が走る思いです。
なのであんまり、こういったエピソードを書くことは少ないのかなあと思います。
オリビアは今後もただひたすら格好良く無双します、はい。