オリビア
ゆらゆらと身体が揺れる心地がする。ふっと意識が浮上し、辺りを見回すと、もう夕闇に包まれていた。すっかり夜になってしまったらしい。
──なんて、呑気に考えている場合じゃなかった。
「ジッ、ジークッ──たっ」
どうやら自分は抱えられているらしかった。勢いよく起き上がろうとして、身体がぐらついた。咄嗟にしがみつくものを探して手が宙をかくのと同時に引き寄せられて、固い鎧にルナティアは額を打ちつけた。
「おっ──っと。気が付いた?」
真上から覗き込む瞳と目が合う。心臓に悪い。
「ジ、ジーク、下ろして。あ、歩けるから。」
言うと、彼は素直にティアを地面に下ろしてくれた。
もう森は抜け出たらしかった。遠くに、今まで歩いて来たのだろう街道の灯りがぽつぽつと見えていた。
村の入り口はもうすぐそこだ。
「ご、ごめんなさいジーク。お、重かったでしょう?」
恐る恐る訊ねると、
「大丈夫だよ。君、軽いし。まあ、羽のようにとまでは行かないけど、これでも鍛えてるから。」
言って拳をグーパーしてみせる。あの後ジークは、気を失ったままのティアを抱えて散々森の中を彷徨い歩いてくれたらしかった。おかげで自分は、眠りこけている間に村の入り口まで運ばれている、という体たらくである。申し訳ないことこの上ない。
ジークが辺りを見渡して言った。
「すっかり暗くなっちゃったなあ。…今夜の宿、取れるかなあ。」
「あ、あの、私、教会からの紹介状で、宿を一部屋、手配してもらってるんです。だからあの、良ければ一緒に…」
「本当?じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。」
ティアは慌てて言った。せめてこれくらいは、自分も役に立たなければと思ったのだ。言ってから、自分が随分と大胆な申し出をしたのだと気づいたのは、紹介状を持って入った宿の、カウンターでおばさんの言うことを聞いてからだった。
「部屋は一部屋しか取ってないけど…いいんだね?」
ティアはそれを聞いて固まった。ジークはカウンターに肘をついて、優雅に微笑んでいる。
「はい、大丈夫です。よろしく。」
そしてティアの方を振り向いて言った。
「大丈夫。問題ないよ」
そして破壊力満点の笑みを浮かべた。ティアは面食いである。美形の笑顔は毒だ。ティアはあっさりと陥落した。
そもそも彼に魔物からも賊からも助けてもらい、あげくショックで気を失って散々森の中を歩いて運ばせたのはティアなのである。何も持たない彼女に出来るお礼なんて、この程度のものくらいしかないのだから、このくらいのことはして当然だ。そう。
何も問題はない。
ティアは微笑み返した。おそらく、少しばかり引き攣っていただろうが。
宿の部屋に着くと、ジークはすぐに鎧を脱ぎ捨てた。
「あー─、暑かった。」
簡素な黒い服とズボン姿になると、伸びをして後ろのベッドに倒れ込む。そしてしばらくくつろいだ後、扉の前で立ちすくんだままのティアを見て軽く目を瞠り、起き上がって手招きをした。
「ティア?──どうしたの、そんな所で。こっちおいでよ。」
そう言っても動かないティアに、彼も動きを止めた。ティアはだらだらと汗をかいていた。何せ生まれてこの方、こんな風に男の人と二人きりの状況になったことなど一度もない。
一体どうしたらいいのかわからなかった。
彼の瞳がティアを見つめる。
やばい。緊張する。
「──ぷっ」
不意にジークが噴き出した。まただ。本日二度目。
そしてそのまま腰を折る。唖然とするティアに、
「──ああ、ごめんごめん。…くくくっ、可愛いなあ、ホント。」
破壊力満点の台詞を放った。
「なっ…」
可愛いって。可愛いって。
「──あ、言い忘れてたんだけど、私──」
──女だから。
続けて投下された爆弾に、今度こそティアは頭が真っ白になった。
「え、えっ…」
「本名はジークじゃなくてオリビア。嘘ついててごめんね。探してる人がいるんだけど、ジークっていうのはその人の名前。私の師匠でもあるんだ。こっちの方が色々と都合が良いから、そう名乗らせてもらってるんだけど──」
「ちょ、ちょ、待ってください。」
ティアは慌てて止めに入った。思考がショートしそう。ここで再び気を失わなかった自分を褒めてやりたい。
「そんなこと、私に言ってしまっていいんですか?あの、私──」
「いいんだよ。」
ティアの言葉を遮り、ジーク改め──オリビアはにっこりと笑った。
「別に、女であることを隠してるわけじゃないし。ただ、男の名を名乗って、それで周りが勘違いしてくれればその方がやりやすいってだけ。何故かそれだけで皆、面白いほど勘違いしてくれちゃうんだけど──なんでなんだろうね?」
オリビアは可笑しそうにくすくすと笑った。それが先ほどまでとは違う種類の魔性の笑みに見える。
ティアだってうっかり騙されたうちの一人だ。だって、それもそのはず。
まず、彼女はとても長身だ。それこそ、普通の男性並みに。それに鎧を着て剣を提げているのである。それだけでも十分男性らしいのに、その言動、仕草、全てにおいてスマートで格好良く、およそ女性であることを感じさせない。
というか未だにティアには、この目の前で長い脚を投げ出し、ベッドの上で懐から取り出した折り畳みナイフを弄もてあそんでいる人が、女であることが信じられない。
「でも、私がそのことを他の人に言ったら困るんじゃあ──」
「別に。女だと油断してくれればそれはそれで、やりようはあるからね。」
そう言ってオリビアは、簡素な服の袖口からジャキンッと暗器を覗かせた。
「まあ、探してる人がジークだってことは──彼、その道の人の間では超有名だから、言っちゃあまずいこともあるのかもしれないけど──ティアは、そんなこと言ったりしないでしょう?」
美しい魔性の笑みに、更に見えざる圧力がかけられたかのように感じてしまう。
しかし次に、彼女は予想外の事を口にした。
「それに、君とは友達になれそうだから。」
だから話す気になった、と。
ティアは呆然となった。およそ彼女が相手に対して抱いていた感情とは全く違う、その率直な言葉に、だ。
「ねえ、ティアって呼んでいい?」
心底嬉しそうに言う彼女の表情に、ティアはこれだけは絶対に言うまい、と思った。
あなたに恋をしそうになっていましたとは、絶対に。
オリビアの性別について、がっかりさせてしまった方いらっしゃいましたら、すみません。