どうして【6】
「結局、私達は相性が悪かったのか、子供は生まれなかったけどね。種馬の役目を果たせなかったわ。でも主人は良い人だし、今更国に帰っても両親に会わせる顔も無いから、すっかりこの国の人になったつもりよ。いつの間にかペルフェクト語も堪能になったし」
「そうですか……」
ザビーネからシュタルクヘルトの女性捕虜の話を聞いてどう返したらいいのか言葉に迷っていると、ザビーネは言葉を選ぶ様にそっと話す。
「貴女も私と同じ国から来たというのは主人から聞いているわ。素敵な旦那さんに巡り合えたとも」
「そうですね。私は捕虜として扱われずに、オルキデア様に……主人に保護していただきました。ペルフェクト人になれとも、子供も強要されなかったです。他の捕虜の人達によりもずっと良かったです……」
保護された時は記憶喪失だったことやアリーシャの正体もあったとはいえ、今のザビーネの話を聞く限りでは随分と手厚く保護されていたらしい。
この制度もオルキデアとクシャースラたちは絶対に教えてくれなかっただろう。あの二人はアリーシャの身の上を知ってもなお、特別視することなく気持ちを尊重してくれる。特にオルキデアの溺愛は日に日に苛烈さを増しており、所かまわずアリーシャの身を包む激しい愛撫と熱烈な言葉には羞恥を覚える。
そんなオルキデアがこの国の暗部に当たる話を教えてくれるはずもなく、ザビーネが教えてくれなかったら知らないままでいただろう。
「そうね。だからこそ、貴女は素敵な旦那さんに会えて良かったわ。主人から聞いたけれども、貴女は良妻賢母の優しい人だもの。きっと捕虜なんて耐えられなかったと思う」
「そんなことはないです……」
「でも忘れないで、優しさと甘さは似て非なるものよ。本当の優しさだけが、相手を救うことが出来るわ」
アリーシャがその意味を尋ねる前にザビーネはそれだけ言うと、「それじゃあね」と言って帰ろうとする。
「何か身の危険を感じたらすぐに連絡してね。うちに限らず、警察や頼れる人でもいいから。ラナンキュラス少将が帰宅されるのを待つんでしょう?」
「はい。ありがとうございました」
ザビーネが足早に去って行くと、アリーシャは中に戻る。言われた通り、鍵をしっかり掛けると、チェーンも掛けようか迷ったが、オルキデアが帰宅した時に屋敷に入れなくて困るかもしれないと考えて、チェーンはそのままにする。
もう一度応接間に戻ってコートを持って来ると、アリーシャは自室に戻ることにした。
先程少し寝たので気分は良くなっていた。今なら家の事を出来るだろう。
自室に戻ってハンガーにコートを掛けると、テーブルの上に置かれたままになっていた錠剤が入ったガラス瓶が目に入る。
(そうだ。風邪薬があったんだった……)
風邪薬が入った瓶を手に取ると、アリーシャはまじまじと瓶を見つめる。風邪をぶり返したのなら、薬を飲んだ方がいいだろう。この前、風邪を引いた時もそう言って、オルキデアはこの風邪薬を渡してくれた。
蓋を開けたところで、アリーシャの手が止まってしまう。
(でも、これくらいで飲んでいいのかな……。薬って高価な物なのに……)
まだ娼婦街で母と共に暮らしていた頃、子供だったアリーシャは幾度となく体調を崩したが、薬は高価で買えないからと、母は何度も謝りながら仕事を休んで看病をしてくれた。
当然病院にも連れて行ってもらえないので、アリーシャは自分の力で回復するしかなかった。
運が良い時は、母の常連客や娼婦仲間から薬を分けてもらえるが、そんなことは極めて稀なことだったので、基本は栄養の付くものを食べて、一日中寝ることで時間を掛けてでも治すしかなかった。
それを経験していたから、前回アリーシャが風邪を引いた時にオルキデアが当たり前の様に風邪薬を買って来て、それも夕食と共に瓶ごと渡してきたので驚いたものだった。
ただ、あの時は今ほどが体調が悪くなかったので、オルキデアが心配しない様に薬を飲んだ振りをして、実際は風邪薬を飲まなかった。
今度こそ、飲むべきだとは思うがーー。
(ううん。もっと具合が悪くなってから飲もう。あんまり頻繁に飲むのも良くないよね)
オルキデアが仕事で不在にしてる間、書斎で読んだ本の中に書かれていたが、同じ薬を飲み続けていると抵抗力がついてしまい、やがて薬が効かなくなってしまうらしい。
それなら薬は本当に具合が悪い時だけ飲んで、少し具合が悪いくらいなら飲まない方がいい。
アリーシャは風邪薬が入った瓶をテーブルに戻すと、部屋着に着替える。今度こそ、家のことに取り掛かったのであった。