別れと断髪【5】
シャキシャキ……と、鋏の音と共に切り落とされたダークブラウンの髪が床に落下する。
薪が爆ぜる音に負けないように、鋏の音が聞こえてくる中、ただオルキデアは一心に鋏を動かしていた。
ーー少しでも早く、アリーシャの声を忘れる為にも。
ようやくアリーシャの声が聞こえなくなると、膝をついていた床からオルキデアは立ち上がる。
鏡代わりにしていた窓ガラスを見ると、そこにはこれまでとは雰囲気の違う男が映っていた。
首筋まで髪を切り、前髪も刈るように切ったからか、前よりも軍人らしくなったような気がした。
ここまで短くしたのは、士官学校時代か、新兵の頃以来かもしれない。……心なしか、気分も変わった気がした。
床に落ちたダークブラウンの髪を集めて捨ててしまうと、拾い集めた郵便物と、不在時の電子メールを確認している内に、室内が一段と暗くなった気がした。
電気を点けて、カーテンを締めようと窓に近づいたところで、灰色の雲から白いものがふわふわ落ちてきていた。
「初雪だな。お前も見るのは初めてだろう。アリー……」
道理で先程よりも寒いと思った。
そんな言葉を口にしながら自然と後ろを向いて愕然とする。
(ま、また、俺は……無意識の内に、アリーシャを求めて……)
窓に寄りかかりながら、脱力したようにその場に座り込む。
ーー後ろを振り返ったら、当たり前のようにアリーシャが居ると思っていた。
「あ……ああっ……」
開いた口から声が漏れてしまう。悲痛な男の声だった。
ふと、扉の側に居るはずのない人影が立っているような気がした。
ーー綺麗な雪ですね。雪が積もったら、一緒に雪だるまを作ってみたいです。
そんな声と共に藤色の髪を揺らしながら振り替えるアリーシャの幻まで見えた気がして、愕然とする。
「くっ……!」
内側から感情が込み上げて、声を上げそうになる。痛みを堪える様に唇を噛み締め、床に手をつくと押し寄せて来る激情の波に耐えようとする。
けれども、それは何の意味もなさなかった。
「うっ……」
息を詰めたオルキデアの頬を一粒の雫が溢れていった。
床に落ちた時、それが自分の目から流れたものだと知り、またオルキデアは愕然とする。
「あ……あ……」
父が亡くなった時も泣かなかった。軍の同期や部下、仲間たちが戦死した時も泣かなかった。
それなのに、アリーシャを失ったオルキデアは涙を溢している。
最愛の人を失ったことで、オルキデアは泣いているのだっだ。
「アリー……シャ……」
その言葉を呟くと、同時に自分の中で堰き止められていたものが崩壊したようだった。
まるで決壊したダムのように、オルキデアの目からは絶えなく涙が落ちていった。
「アリーシャ……アリーシャ……! アリーシャァア……!」
ここまで声を上げて泣いたのは、いつ以来だろうか。泣くこと自体が、久しくなかった。
声を上げて泣いたことなど、子供の頃以来かもしれない。
「お、れは……おまえを……まもれなかっ……! ほんとうは、まもりたくて……!」
慟哭の涙を流しながら、誰にともなく懺悔する。
本当は国に帰したくなんかなかった。自分の手で守りたかった。でも、自分では守れなかった。そもそもの原因が自分だったからだ。
「アリーシャ……すまない……アリーシャ……アリーシャアア……!」
ずっと側にいて、お前を愛し、守ると約束したのに、果たせなくてすまない。
こんな方法しか選べなかった自分を許して欲しい。
愛しているからこそ、大切に想っているからこそ、少なくともここよりは安全なお前の母国に帰した。
どうか、その国で安全に暮らして欲しい。
ーー願わくは、こんな方法しか選べなかった最低な男のことなど忘れて、別の男と幸せになって欲しい。
それだけをオルキデアは望んでいた。