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AillΩleadeA *Luciferia Lazward*  作者: 嘉見佳助
Act.1 Episode.1 【英雄】と【災厄】
9/55

はるか彼方への、祈りと願い。

 季節が二度、巡った。

 月日をいくらか重ねようとも、年月がいくら過ぎていこうとも、カインにとって目覚める瞬間に変化は何もなかった。

 目を開くと一番に目に入るのは赤い天蓋。そして黒い絹のカーテン。今までそうして来たように、そしてそれからもそうするが如く、定位置に置かれている衣服に着替え、傍仕えに朝を告げられる。

 名前を名乗ることも、呼ばれることもなく。鍛錬とは名ばかりの地獄のような苦痛と辛苦。それを、歯を食いしばりながら耐え抜いて、使うかも分からない無価値な知識や記録、情報を流し込まれて、一日を終える。

 変化が訪れるのは、目を閉じたその瞬間だ。

 その瞬間に世界は変わる。地獄の底から、すくい上げられる。


「──カイン」


 名を呼ぶ声に、はっとして、瞬き一つ。

 すぐ目の前に、きらきらした金色の瞳があった。

 少女の膝を枕にして、長椅子で横になっている。

「おはよう。カイン」

 ミラーナはにっこりと笑ってそう言ってくれる。

「……ん。おはよう。ミラーナ」

 身体を持ち上げて、ぎこちないながらも笑い返した。眠る前はシーツの海に沈んでいたはずの身体は、長椅子で横になっていた痛みを微かに訴えてくる。うんと伸びをして、全身の筋肉をほぐした。

 はじめて、ここに訪れてから。

 一度の例外もなく、毎夜ここで目覚めることが出来るのが、カインにとって、決して絶えぬ希望の光だった。



 ……この二年。

 幾度となくミラーナの下に訪れるようになってみて、カインにとっての〝世界〟はがらりと変わる事となった。

 まず、ミラーナは、良くも悪くも何も知らない少女だった。だから、様々な事を詰め込まれたカインに、悪意なく

「それはなに?」

「これは?」

「どうして?」

「何で?」

「さっき教えてくれたこととちがうよ?」

「あれ? それじゃあ、今度はこっちがちがっちゃう」

 と、矢次に尋ね尽くしてきたのだ。

 誰かに教える、という経験は、意図せずともカイン自身にとって、流し込まれた記録を、己の記憶とするだけの糧になった。

 当たり前の常識的な知識から、賢人でもなければ知らない事、学者にしか分からないような事、武人でなければ心得ていない事。

 この世界には数多の人々が住んでいるが、ほんの一握りだけ、普通の人より綺麗で長生きする〝別〟の人がいること。

 ここではない、カインが今いる国でもない、外の国で起きた事。今は存在しない国の話。

 色んな町や村に伝わる寓話。童話。逸話。神話。かつて存在した英雄達。夜空に浮かぶ星達の伝承。

 ……戦争の話は、悲しくなるから避けようとしたけれど、ミラーナが何度も聞きたがるので、結局カインの方が折れた。

 そんな風に数え切れないぐらい様々な事を、ミラーナに語っていく。そうして、カインの中でも、確かな形となっていく。

 教えるのにとにかく苦心したのは、人の間で信仰されている宗教の話。

 世界三大大陸のうち二つ、カインが生まれたエイリオル大陸と、最も広大な大陸であるセイレーヌで信仰されている、唯一神ヴェザディスカルオと、それを守るという五つの使徒を擁したシーヴァ教。

 北方のシリウス大陸で信じられているのは、リクタール・トゥーリス教。こちらは三大聖神をはじめとした十一柱の神々と、神々に紐付けられた実態を持つという元素エレメンタル達や、四獣などの存在を語っている。

 そもそも、はじめのはじめとして、神、というものを教える事が難しかった。

 あっちでは〝存在する〟と信じられているのに、別のところではそんなもの〝存在しない〟という。そういう事が、幼いミラーナを混乱させて、

「こっちに神様がいるのなら、向こうには神様はいないの?」

 と無邪気に聞いてくるものだから、それを上手く説明できずにカインも困った。

「いや、そうじゃないんだ。……その、まず、神様っていうのは、誰かの中で考えられてる、空想上の存在で」

「……? 神様は、いないってこと? いないのなら、何で、いるって言うの?」

「いない、というか……。みんなが信じてるから、いる、と、されてるというか……」

「でも、本当はいないんだよね?」

「ううぅ……ん」

 ……本当に、本当に苦労した。

 こればっかりや、環境や人の心の変移に絡んでくる話だから、よくよく考えれば、物心ついた頃には、限定された空間に閉じ込められ、決まった数の大人としか出会っていないカインにとっても、不得意分野であったのだと、この時に強く痛感した。

 逆に、ミラーナが嬉々として教えて欲しいと繰り返されたのは、音楽の類い。その中でも歌うのが好きなようで、頻繁に、知らない歌や音楽を聴きたがる。

 当然ながら、自分で歌って教えるには限界があった。だから一度、ものは試しとたまたま手近にあって、持ち運びやすいフルートを手にして眠ってみたら、ここに持ち込む事が出来た。なので、傍仕えや従者達、何より大人達に露見しないように、フルートと楽譜をこっそり懐に忍ばせて眠ったのは、一度や二度じゃない。

 ……皮肉な事に、与えられた知識の中に楽器の扱いなどの情報も紛れ込んでいたので、演奏自体は上手くいった。

 武具の扱い方、戦場での経験、戦争の歴史、国の行く末、魔術の極意……そういったものならば、本の中にいる勇者に備わっていても、おかしくないけれど。

 大人達が言う【英雄】とは、よく分からないと、あの時心底思った。全てにおいて完璧であるのが彼らにとっての【英雄】なのだろうか? ……あながち間違いではない気がする。

 とにかく、あれだけは、喜べばいいのか何なのか分からず、複雑な心境を抱える羽目になった。でもミラーナがとても嬉しそうにしていたので、まあ、よしとしておく。



 そうやってここで過ごしていくうちに、いくつか分かった事がある。

 まず、カインとミラーナとでは、時間感覚が違う。カインが、常と変わらぬ一日を終えて眠りに入り、再びこの地に訪れるまでは、当然ながら十数時間が経過している。ところがミラーナの目線からすると、カインは突然眠りに落ちて、十分かそこらで目覚めるらしい。

 ……〝あの青年〟と出会った日。

 あの日の夜も、眠った瞬間、こちらに戻っていた。目の前には目をまん丸にして、慌てたようなミラーナの姿。

「あ、起きた! カイン、だいじょうぶ? 苦しいところとか、痛いところとか、ない?」

「……? 俺、どうしてた?」

「いきなり眠っちゃったんだよ。覚えてないの?」

「眠った? どれぐらい?」

「えっとね、ちょびっとだけ。でも、すごくびっくりした」

 ミラーナは不安そうにそう言った。当たり前だ。今まで普通に話していた相手が、突然意識を失えば、驚かせるし、不安にもさせる。

「それは……驚かせて、ごめんな」

「すぐに起きてくれたから、だいじょうぶ」

「……多分、これからも突然寝ると思う」

「そうなの?」

「うん……俺の予想が、正しければだけど」

「でも、すぐに起きてくれるんだよね? なら、いいよ」

 ミラーナの言葉に、あの時は、何の確証も抱けなくて、曖昧に頷くことしか出来なかったけれど。

 実際のところ、それは杞憂に終わり、夜、床に入るたびにこちらにやって来れている。仕組みだけは謎のままだ。


 ミラーナに、カイン自身の事を……信じて貰えるかどうか不安を覚えつつも、話せるだけ話せたのは、出会ってから一年ほど経った頃だと思う。

 自分の事を淡々と語るカインを、ミラーナはじっと見据えて、真摯に耳を傾けてくれた。

 話を聞き終えた後、少し考えて、

「そっか」

 頷いて、それから。

「俺は、ここにいるよ」

 手をそっと握られた事、その手が暖かくて少し震えていた事を、カインは覚えている。


 次に、この場所のこと。どうやらここは、ミラーナの記憶の一部が再現されている空間らしい。ミラーナが言うには、住んでいた家の、庭先の一部がこんな風だったと言う。

 カインがはじめて立ったあの、石畳の道。そこを改めて確かめると、道の果ては、花垣が壁にようにそびえていて、閉ざされていた。あれだけはミラーナの記憶の中にもないという。

 つまり、彼女の記憶を軸にしつつも、小さく閉じきられた世界がここなのだ……と、思う。

 そして、ここでは時間が流れていない。例えば花を一輪手折っても、いつの間にか手から花は消え、同じ場所に同じように花が咲いている。

 沢山の花を集めて冠や首飾りを作っても、やっぱりそれもなくなって、花が沢山手折られた場所は、元通り。

 そういう風に時間が流れていないのに、何故かカインもミラーナも、少しずつ成長している。空間の時間が止まっている事と、二人の身体に影響する時間の流れは全く関係のないものらしい。

 それを確信出来たのは、カインの不注意で小さな怪我を負った日だった。その傷をそのままにして眠りについたら、こちらでも怪我を負っていた。そして、その怪我はここでは治らず、目覚めてもそのままだった。

 もう一つ。いつも同じように

「おはよう」

 と迎えてくれるミラーナの髪も、いつの間にか伸びている。彼女からすれば、十分にも満たない空白なのに。ミラーナはそれについても、特に不思議に思ってはいなかった。逆に、気付いたら短くなっている時もあると彼女は語る。


 ずっとここに在るミラーナ自身については、カインはあえて言及しなかった。ここにいてくれるだけで充分で、深入りする事が憚られた……要は、踏み込む意気地がなかったのだ。

 けれどそんなカインの事などお見通しと言うように、ある日、ミラーナは口を開いた。その髪が、彼女の肩を隠すぐらいに伸びたと分かるぐらいの頃に。

「俺はね」

 他愛のない話をするような、切り出し方だった。

「俺は、ここにいなきゃ駄目だよ、って言われたんだ」

 ぼんやりと空を見上げながら語る言葉遣いは、あくまでもゆったりとして、柔らかい。

「父さんだったかな。それとも母さん……。ううん、もしかしたら、もっと色んな人がいたかな。よく覚えてないや」

 目線を下に戻して、すぐ傍にあるファティールの花を一つ手折る。作りかけのリースに器用に編み込みながら、彼女は言葉を続けていった。

「でも、すごく悲しそうに言われたんだよ。ごめんなさい、とか、すまない、とか。何で謝ったんだろうね。沢山考えても、わかんないんだ」

 どうしてだったのかなぁ、と青い空に声を投げていた。勿論、返事など返ってこない。そんな事、彼女だって知っている。

 その話をして貰った時、カインはつい

「家族は、父さんと母さんだけ?」

 と聞いた。するとミラーナは少し嬉しそうにして、首を横に振ってから、

「リュ……お兄ちゃんがいる! 双子の! 俺とおんなじ顔をしてるよ、って母さんに言われたの、覚えてるよ!」

 そう答えてくれた。

 当然、こんなところにいれば両親にも、その双子の兄にも会う事は叶わない。けど、その存在がこの世界の外、時の流れる今の世界で生きているのだと信じて疑わないミラーナは、何かのきっかけで家族の話をする時、いつも嬉しそうに笑っていた。


 そして、最後の一つ。

 この世界に訪れていたのは、カインだけではなかった、という事。過去形なのは、ミラーナがその人達に出会ったのはほんの数回。一度きりだった人もいるようだ。

「三回……ううん。二回、かな。二回だけ会ったのは、金色の髪と、俺と同じ色の目をしてた。……多分、お兄さん。多分」

「……多分?」

「……実はね、どっちか分かんなかったんだ。声も、女の人みたいにも、男の人みたいにも聞こえたし……。でも、自分のこと、〝僕〟って言ってたから。カインが、前に教えてくれたよね? 〝僕〟は、男の人が使うって」

 ……今のミラーナのように、女でも、男が用いる一人称を使う者はいるのだが、重要なのはそこではなかったので、ひとまずカインはミラーナの感覚を信じる事にした。

 そしてもう一人が。

「一回だけ会った方は、すごく綺麗なお姉さんだった。うっすらと青にも見えるような長い銀色の髪で、目の色が、赤と青。……髪の色、もしかしたら父さんとおんなじだったかも」

「それじゃあ、ミラーナの父さんの、親戚だったのかな」

「どうかなぁ……。父さんと母さん、お兄ちゃんがいるのは分かるけど、それ以外は、覚えてないから……。あと、この二人とは別々の時に会ったけど、その時の俺、まだ、ここに来たばっかりで、ちっちゃくて。何て言って貰えたかも、覚えてない」

 でも、二人ともすごく優しかったよ、とミラーナはそう締めくくった。表情が少し曇っていたのは、きっと、その人達から言われた事を、覚えていない事に対する申し訳なさのせいだろう。

 ……ミラーナの話を聞く限り、カインが出会った青年は、ここに訪れてはいないらしい。カインも、会えたのはあの瞬間だけだ。だけどあの人も、ミラーナの事を知っていた。仲良くな、と言われて、当然、その言葉は守っている。

 あの人も案外、ミラーナに悟られないようにして、ここに来ていたりしていたのか? こんな事を考えても、仕方のないことだけど、思いを馳せずにはいられない。



 はじめて出会って、二年。

 成長していく自分達以外、何も変わっていかない世界。現実も。この幻のような小さな世界も。

 ……いや。一つだけ。ささやかな変化がある。同時にとても困っている事。

 この二年でミラーナはすっかり、カインの一人称はおろか、言葉遣いまでならうようになってしまった。

 それに気が付いた時、カインは慌てた。相当。生まれてはじめて、慌てるという感情を知ったほどに。

 見目が少しずつ成長すればするほど、ミラーナの中性的な雰囲気は増していったが、それはそれとして、やはり、ミラーナは女の子なのだ。

 せめて、一人称だけでも。

 そう訴えた事は数知れず。そのたびににっこり笑顔で

「はじめての、お前とのお揃いだよ? 絶対にやだ!」

 と棄却されている。


 ……そんなやりとりを交わしていても、それは本当に、ささやかなもので。

 カインにとっての地獄は変わらず。ミラーナにとっての閉じた楽園にも変化はない。

 身体と心だけが少しずつ時を経ていく自分達は、ずっとこのままなのか。

 どちらも言葉にした事はない。だけど、ふとした時に同じ事を考えて、その度にその思考を振り払っているのだと、互いに分かっている。繋いだ手の温もりは、油断すると芽生えてくる不安の種を、いつも取り払ってくれる。だけど。

「……あのさ」

 ふと、ミラーナが口を開いた。

「もしも、もしもだよ? 世界がいっぺんに……それこそ、青空からお星様が降ってきて、地面が、白い雲になるぐらい、ぐるって変わったら」

 ぎゅうと、握り締めてくる手に力が入る。

「俺達も、変わるかな」

「……うん」

「カインが話してくれた、すごく広い世界を、一緒に歩けるかな」

「歩きたい、な。俺も、お前と一緒に、歩いていきたい」

「うん、うん。……俺にも、カインにも、考えつかないような。そんなきらきらした明日が、いつか、来るかなぁ」


 ……それは、不安ではなくて。

 羨望であり、願望であり、きっと、彼女にとっての希望だった。

 カインはミラーナの手を握り返して、目を閉じる。

 その希望を、願いを、否定しない。出来るわけがない。

 何故なら、カインにとっての希望であり願いが、ミラーナの存在そのものなのだ。あの地獄の中で光を見出せた、唯一の灯火。そんな彼女の希望を、どうして、否定出来るという。

 だから、願う。

 ミラーナの望みが、希望が、いつかきっと叶うように、と。

 彼女の願いに、傲慢にも我が身の願いも重ねて良いのならば、その隣に自分が在るように、と。


 そこで、また、〝いつも〟のようにプツリと糸が切れて、真っ黒になって。

 だけど、〝いつも〟と違ったのは。




「変わるよ。もうすぐ」


そんな声が、聞こえた……ような、気がした、こと。

閲覧頂き、本当にありがとうございます。

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