お揃いだと言って、少女は笑った。
カインの名前を聞いたミラーナは、上機嫌でカインの手を掴んだ。
「こっち! 座るところがあるんだ」
くん、と引っ張ってくる。
カインは素直に、ミラーナに引かれるままに付いて行った。引っ張られているのに、今までで一番、足が軽い。
連れられたのは、丁度噴水の反対側。そこには長椅子がある。その端っこに、周囲に咲いている花達で作られた冠や指輪。つくりかけの首飾りも。
「この花、知ってる?」
まず示されたのは、白い方の花だ。
頭の中の記録をいくらか引っ張り出す。見た目と該当する花がいくつかあったが、絞りきれない。そもそも、花の実物を見たことだってはじめてだ。
「サーカシア、うぅん。それとも、アルトリース? ……いや、分からない。ごめん」
「? 何で謝るの?」
不思議そうにミラーナは首をかしげる。カインも、咄嗟に口を手で覆った。
〝鍛錬〟が終わった後、きちんと知識や記録が頭の中に刻み込まれたかを確かめるべく、大人達から口頭でいくらか問いかけをされる事があった。今でこそ、記録達を本のように引っ張り出すことは出来ても、最初は頭の中が、直にかき乱されたようにぐちゃぐちゃで、返事がろくに出来なかった。
そのたびに、冷たく見下された視線で、
『残念です。御子様』
と言い放たれた。それに対して出来たのは、「ごめんなさい」と謝る事だけだった。
無知は大罪である、といつか大人達の一人が言っていたのを嫌でも覚えている。だから、今も同じようにしてしまった。この子は、あの大人達とは決定的に違うと分かるのに。
「こっちの白い花は、ファティールの花なんだ」
ひょい、と長椅子の上に置いてあった冠を取って、ミラーナはカインの頭に乗せてくる。恐る恐る、その冠に指先を伸ばしてみた。白い花びらの柔らかな感触がする。しっかりと編み込んで作られているみたいで、冠が崩れる様子はない。
ファティール。ファティールの花。
ああ、言われれば、分かる。清廉な水と豊潤な土に恵まれた場所でしか咲かない花だ。本来なら人の手が入っていない山奥ぐらいでしか見られないはず。
与えられた知識よりも、花は一回りほど大きかったし、美しい。編み込まれたその花の冠は、本で語られる花嫁を飾るのにも相応しいんじゃないかと思った。
「それで、あの空と同じ色の花がね――」
指を指して、途端にミラーナははにかむ。心の底から嬉しそうに、だけどちょっぴり照れくさそうに。
「あれは、ミラのとおんなじなんだ。ミラーナっていうんだよ!」
「……ミラーナの、花?」
カインは何度か瞬きをする。
考える。思考を沈める。与えられた知識を引っ張り出しても、刻まれた記録を辿ってみても、それは知らない。見たこともない。
「そうだよ! ミラが生まれた日の朝にね。この花が咲いたの。だから、ミラとおんなじ名前!」
「そんな花……俺、はじめて、知った」
この世に存在するもの全て、我が身のうちに叩き込まれたものと思っていたのに。未だ、名前さえ知らぬものがあったのかと、驚きを隠せない。
ミラーナは
「えへへ」
と無邪気に笑うと、カインを連れて、長椅子に腰掛ける。驚きでいっぱいになっているカインも、自然とそれに習った。
「んとね。ミラのお母さんがね。花を育てるのが、大好きなんだって」
作りかけの首飾りを、ミラーナは手に取った。その中心には、あの空色の花が据えられている。
「それで、沢山、たっくさん、花を育ててたら。お母さんにしか作れない花が、咲いたんだ」
「ああ……花同士の交配、か」
「こーはい?」
「えぇと……」
口ごもる。頭の中にある文言をそのまま伝えたところで、ミラーナには分からないだろう。今のミラーナにも分かるように、言葉を砕かねばならない。
こんな経験も、はじめてだ。
「たとえば……。白い花と、赤い花が、同じ地面に隣同士で、咲いてたとする、だろ?」
「うん」
「そうしたら、たまに、白と赤の、両方の色をした花が、同じ地面で新しく咲く事があるんだ。白い花と赤い花から、二つの色を貰った、新しい花が出来る。そういうのを、交配、って言う。……俺のこの言い方で、分かる、か?」
「……わかる!」
「良かった……」
「すごいね!」
「そうだな。凄いよ、ミラーナのお母さんは」
こんなに美しい花だ。深い愛情をかけてこの花を作ったんだろう。きっと、その愛情の形を、そのまま、我が子であるミラーナへ託したのだ。
そうカインが思っていると。
「ううん、そうじゃなくて」
と、ミラーナは首を横に振った。
「え?」
「ミラーナの花がどうやって出来たか、ミラ、今まで知らなかったから。カインが教えてくれたおかげだよ」
「そんなの……大した事じゃない。俺なんか」
まばゆい笑顔が、胸の浅いところをちくりと刺す。
自分が持っているものは、全て強制的に注ぎ込まれたものだ。器の大きさを無理矢理拡張しながら、そのたびに新たなものを入れ続け、限界が見えたらまた広げて、新たなものを追加する。その繰り返し。
カインが自分の意志で知ろうとしたものなんて、何一つないのに。
「あ。それからね、あのね」
ふと、ミラーナが距離をつめて、ぐいとカインに顔を近づける。
「どうした?」
「さっきから、気になってたことがあるんだ」
「……気になってたこと?」
「うん。カインは、どうして、おれなの?」
「……ん?」
問われた意味が分からない。返事に困ると、ミラーナは考え込んだ。カインにも上手く伝わるように、言葉を探している。
「えと、あの……。ミラは、ミラーナだから、ミラのこと、ミラっていうんだ。でも、カインは、カインだけど、〝おれ〟っていう」
「あ……ああ。一人称のこと」
合点がいった。
なるほど、確かに自分の事を、自分の名前で表しているミラーナからすれば、そうでない自分は不思議に見えただろうと、カインは納得する。
「何て言えばいいかな……。自分で、自分の事を言う時は、名前を使うだけじゃない……って言えば、分かるかなぁ」
「名前を言わないなら、なんていうの?」
「色々ある。俺みたいに、〝俺〟とか、〝僕〟……。〝私〟とか」
さすがに、〝儂〟や〝我〟、〝己〟に〝妾〟などというものまで引っ張り出すと、余計な混乱を招きそうだ。これはカインの胸に留めておく。
「……まあ、とにかく、沢山。〝俺〟と〝僕〟は、男がよく使うかな。でも、ミラーナは、女の子だろ? 〝私〟は、女の子が使うことが多いんだ。だから、自分の事は〝ミラ〟だけじゃなくて、〝私〟って言っても、いいんだよ」
これで分かるか? とミラーナの方をうかがった。
「うー……? ミラはミラーナだけど、〝ミラ〟だけじゃないんだ……。ミラ、おれ、ぼく、わたし……。ミラは、〝わたし〟……。わたし……?」
うんうんと唸っているミラーナ。多分、意味は伝わっていると思うのだけど、と落ち着かない心持ちのカイン。
ミラーナは考えている。顔を俯かせて、さっき手にしたあの作りかけの首飾りをくるくる回しながら。やがてその指先が、ミラーナの花に触れて、空色の花びらを一枚一枚撫でる。そうしながらもずっと考えて、考えて……そして。
「──うん、決めた!」
ついに何事か決意したらしい。
ぱあっと表情に灯りを点して、ミラーナは顔を上げた。
「カインと一緒にする!」
「…………え?」
咄嗟に反応出来なかった。言われた事の意味が分からなかった。
「今から、ミラじゃなくて、おれって言うんだ! うんうん、そうする!」
「いっ……一緒って、そういう……!?」
更に追撃で、全く想定していなかった事を、自信満々に告げられる。
それは、女の子としてどうなのだろう。いや、どうもこうもない。駄目だ。いくら見た目が男の子のようにも見えようとも、ミラーナは正真正銘の女の子なんだ。それなのに。
「ま、待て。ミラー……!」
「それにこれで、おれとカインで、〝おそろい〟だよ!」
「っ……!」
制止の言葉が、形になる前に霧散して、消えた。すごく嬉しそうに笑っているミラーナを止められなかった。
……それ以上に。多分、お揃いだと笑ってくれるミラーナ以上に、今、この時に喜びを感じてしまっている自分に、カインは気がついてしまっていた。
「おそろい! おそろいだー!」
と、ミラーナはカインの片手を握って、ぶんぶんと振り回している。
それを止める気すら起きない。ただただ、歓喜とかそういうものが腹の底から湧き水みたいにわき出してきて、止められなくて、そもそもそんな感情を抱く事自体がはじめてなのだから、止め方なんて知ってるはずもない。
カインは己の顔を取り繕うのに必死だった。
だってきっと、油断すればすぐさま、林檎のように真っ赤になってしまうのが、分かりきっていたから。
閲覧頂き、本当にありがとうございます。
もし宜しければブックマークや下部の評価ボタンを押して頂ければ、大変嬉しいです。今後の糧となります。