表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AillΩleadeA *Luciferia Lazward*  作者: 嘉見佳助
Act.0 Episode.0 予言
1/55

誕生の日。

 男は、ただひたすらに祈っていた。

 空の色は黒。浮かぶのは、月一つ。雲の欠片すら見当たらない。月光は星々の光さえも飲み込み、ただ、悠然と光を大地へと降り注いでいる。

 彼は祈っていた。祈りながら、待っていた。たった一枚の扉を前に、椅子に浅く腰掛けながら、膝の上で両手を組んで。その上に、自分の額を押し付けるようにしながら、ただ、ただ。

 静寂が男の身体にまとわりついても、彼は気に留める事はなかった。僅かたりとも動かず、けして祈りを絶やさないまま、〝その時〟が訪れるのを待ち続けた。

 永遠にも感じられた、緩やかな時間の流れ。それを、一気に解放したのは、扉の向こうから聞こえてきた、声。


 それはまさに、赤子の産声。

 大地に、空に、世界の全てに、今まさにこの世に産まれたのだと宣誓する、尊い声。


 男は立ち上がる。すぐにでも扉を開けるべく駆け出しそうになったが、動き出しそうになる身体をぐっと抑え、やはり、待った。

 産声は、どんどん大きくなる。扉という隔たりを経ても尚、男の耳を震わせていく。ああ、間違いない。元気な赤子だ。

 やがて、扉が開かれた。その瞬間、

「ミストラル様! おめでとうございます、男の子と女の子、双子の、可愛らしいお子様達です!」

 そう、年かさの侍女が、目に涙を浮かべながら伝えてくれる。

「お子様も、奥方様のお身体も、健康そのもので……! 何の憂いもありませんわ、さ、どうぞ中へ」

「そうか、そうか!」

 男は飛び込むように部屋に入った。白を基調とした清潔感溢れる部屋のベッドには、妻である愛しい女性が横になり、こちらを見るや否や、弱々しくではあったが、確かに微笑んでくれた。

 産まれたばかりの愛し子達は、別の侍女の手により、産湯に浸かっている。まだ、揃って大きな声で泣いている。どちらも元気な子に違いない。

「セラフィス」

 妻の傍らに歩み寄り、名を呼びながら膝を折って視線を合わせる。汗ばんだその額を、そっと、何度も撫でた。

「ありがとう。よく頑張った、よくやってくれた。本当に……あぁ、すまない。知ってるだろう? これ以上の感謝と賛辞の言葉を、私はやはり、持ち合わせていないんだ」

「ふふ……。いいえ、そんなこと。あなたの、その言葉だけで充分です。……ねえ、ミストラル。どうかあの子達を抱いてあげて下さい。私は、その……まだ、もう少ししないと、無理そうなので」

「そうさせて貰うよ」

 妻の額に軽く口付け、立ち上がる。一足先に産湯を終えたらしい双子のうち一人は、既に侍女の手の中にそっと抱かれている。上等な絹に何重もくるまれていて、まるでそこに、世に二つと無い至高の宝があるようにさえ思えて来る。

「さ、お父様……。お嬢様を、抱いてあげて下さい」

 侍女にそう呼ばれるのが、少しくすぐったいような気がしたが、ここでたじろぐわけにもいくまい。

 差し出される赤子を、可能な限り丁寧かつ優しくなるよう、慎重に受け取った。ずしりとした重みが、そこにある命の存在を確かに伝えてくる。

 産湯を終えたせいか、それとも一通り泣き終えたのだろうか。先ほどとは打って変わって、静かになったその子は、閉じた目を、懸命に開こうとしている。

 焦らなくともいいよ、と小さく囁いた。その声が届いたのだろか。赤子は、ゆっくり、ゆっくり、瞼を持ち上げる。

「──金の、瞳」

 現われた目の色を見、半ば無意識に呟いた。

 妻の耳には、届いていなかっただろう。だが、侍女はそれを聞くと、赤子の顔を覗き込み、「まあ」と微笑ましそうな声をあげる。

「きっと、お母様から譲り受けたのでしょうね。でも、顔立ちはお父様によく似ておられます。美しく育ちますわ。女児は、父に似ると美人になると、昔から言いますもの」

 腕の中にいる赤子は、金色の瞳をきらきらさせながら、見上げて来る。柔らかく握り締められている赤子の手に、そっと自分の人差し指を入れてみた。

「──ッ!」

 ……その時。言葉を失ってしまった事、恐らくこの場にいる誰もが気付いていなかっただろう。

 悟られぬよう唇を噛み締め、殊更強く我が子を抱き締める。形にする事も出来ない様々な思いが、胸中を駆け巡る。

「……すまないが、しばらくセラフィスと、この子等を頼む」

 そう言い、抱いていた子を再び侍女の手に預けた。

「無事に子ども達が産まれた事を、ウォルター達に知らせなくては」

「それでしたら、それは私が。ミストラル様はここにいらっしゃって下さい」

「いや。出産の事は、男の私には分からない事だらけだからね。皆にはまだ、欠けることなく妻と、わが子達の傍に揃っていて貰いたい」

「……そういう事でしたら」

 侍女達が、一斉に頭を下げる。妻はまどろんだ目で、こちらを見た。

 悟らせてはいけない。まだ、少なくとも今はまだ。

「任せたよ」

 そう言って、部屋を出る。油断すると勝手に走り出しそうになる足と、身体を必死になって抑えた。




 自室に入る途中、ここまでの道すがら出会った護衛兵に言付けを託した。

「ショウとウォルターに、至急、私の部屋まで来るようにと」

 兵達は、敬礼を一つ返すと、すぐ様各々の役目を果たすべく駆け出していく。

 その背を見送る事もなく、自室へ急ぐ。心臓が、嫌なリズムで何度も何度も脈打っている。ああ、煩い事この上ない。

 やがて見えてきた自室の扉を潜り、中に入る。書斎机の椅子に腰を下ろし、深く息を吐く。握り締めた右手。それは、さっき、あの子の手を開いた方の手。それを、もう片方の手で包むようにしながら、肘を机の上に乗せ、両手の拳に額を押し付ける。

 そうしている間、どれほどの時間が経ったかは分からない。痛い程に静まり返った部屋の扉をノックする音が聞こえ、我に返る。

「ミストラル、俺だ。ショウだ。ウォルター様もいる」

「二人とも、入ってくれ」

 顔を上げられないままそう言うと、扉が開かれる音、そして、二人の大人が中へ入ってきた気配が伝わった。

 覚悟を決めるように、歯を噛み締め、顔を上げる。幼い頃から見知り、育ってきた者達。親友、そして家族とも言える存在が、すぐ目の前で、どこか訝しげな表情をして立っている。

「一体どうしたんだ。セラフィスに付いていてやらないでいいのか」

 親友であり、公における片腕でもある男の一人が問う。眼鏡の奥に見える目には、不信感さえ見える。無理もない。

「その点は心配はいらない。無事に産まれたよ。双子だ。双子の、男児と女児。セラフィスの身体も、健康そのものだと」

「そいつはめでたい」

 言いながら、大袈裟に手を広げて見せたのはもう一人の男。従兄でありながら、実の兄のように思って今日まで一緒にいた、大切な家族の一人。僅かにウェーブのかかった長い髪が、揺れる。

「それで、そのめでたい事を前に、なんでお前さんはそう物騒な事になってるんだ?」

「……」

 すぐには、答えられなかった。

 答えるべき言葉は用意していたはずなのに、上手く声に乗せて、外に出せない。喉の奥につっかえているのか、それとも、この心が言葉にする事を拒否しているのか。

 だが、そうやって逃げ続けるわけにはいかないのだ。これは。これだけは。

「……〝金色こんじき〟だ」

「何?」

「娘の、目の色が金色だった。間違いない。あの子は、予言の〝金色〟だ」

「ま、待て!」

 慌てるように、親友の声が張り上げられ、部屋を微かに震わせる。

「ただ、金の瞳というだけだろう!? あれは、特別珍しいものじゃない! 母親からの遺伝というだけじゃ……!」

「それだけじゃないんだ。……これを」

 握り締め続けていた右手を開き、二人に見えるよう差し出した。

 子どもの小指の先よりも更に小さな大きさの、丸く透明な石。しかし、良く見れば石の中、丁度中央に、ぼんやりと浮かんでいる紋章がある事が、分かる。

「産まれてすぐのあの子が握り締めていた。これが何なのか、お前達なら言わずとも分かるだろう」

「──【幻晶イルシオリス】」

 兄が、重々しく口を開く。紡がれた言葉は、まさしく正しいものであった。

「伝説の、【守護者ヴィア・セリッジ】達の長たる証か。これは……疑いようがねえな」

「ミストラル……!」

 兄は、ただありのまま事実を受け入れてくれている。親友は、この現実に憤ってくれている。

 良き人に恵まれたと、そう、思わずにはいられない。だが、だからこそ、ここで迷うわけにはいかない。揺らぐわけには、いかないのだ。

 開いた右手を強く握り締め、立ち上がった。

「予言が成就する材料は、恐らくこれで揃ったのだろう。だが、私達はそれを良しとするわけにはいかない。三年前は後手に回ってしまった。そのせいでかけがえのないものを失った。だが、今は違う。あの子等の事はまだ、悟られていない。この世を支配する化物共から、世界を取り戻す為にも、絶対に、予言の実現は阻止しなければならない」

 だから──今度こそ、どんな手を使っても。

 例え、愛しい我が子等に憎まれる事になるかもしれなくとも。

「化物の下した予言は、人の手で覆す。必ずだ」

「……そうだな。その為の覚悟を、俺達は決めている。こんなところで、ぐだぐだ悩むわけにはいかねえ」

「今の俺には、少々、耳に痛いですね。その言葉は」

 親友は、少しばかりばつが悪そうな様子で兄を見、そして、長く息を吐き出した。

「けれど……ああ、そうだ。その通りだ。俺達は、戦い続けなければいけない。惑い、立ち止まる時期はとうの昔に過ぎ去った。だからきっと、これは……僥倖なのだろうな」

「そう思いたい……よ」

 小さく呟き、目を閉じる。

 産まれたばかりの我が子達が、瞼の裏に映る。抱き上げた子。未だ泣きながら、産湯に浸かっていた子。本当なら、平穏な人生を歩ませてやりたかった。争いとは無縁の、有り触れた幸せが溢れる生き方を、選ばせたかった。

 だが、それは出来ない。親としての情を優先するには、子ども達が背負った宿命はあまりにも重い。

「一刻も早く、〝英雄〟たる子どもの身柄の確保を」

「分かっている」

 親友が、労るように肩を叩いてくれる。

「心配するな。少なくともその件は、俺が上手くやる。……お前は、まだもうしばらく、セラフィスと、子ども達の傍にいてやれ」

「そうだな、ショウの言う通りだ」

 と、兄もまた、親友の言葉に賛同した。

「いつ、何があるかも分からん。可能な限り、一緒に過ごすべきだろう。血を分けた家族だからな」

「……ありがとう……二人とも」

 礼を言う。

 ……それしか、出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ