タイムリミット
雪が久しぶりに朝陽の家を訪ねると、彼はパソコンに向かって何かを打ち込んでいた。
「何しているの。」
スーパーで買ってきた食材を冷蔵庫に移しながら雪は尋ねた。
「最近路上ライブもあんまりやってないし、どうしたの。」
ちらりと横目で朝陽を見ると、パソコンの前から動く気配はない。ヘッドホンをしているからきっとなにも聞こえていないのだろう。
「もう。」
小さく息をつき、仕方がないから夕飯の支度を始めた。最近は自分の家と朝陽の家を行ったり来たりしている。
大学を卒業して1年と少し。ひとり暮らしをしてしばらく経つから、料理の腕前もだいぶ上達してきたと我ながら思う。
朝陽の家に来るようになってからは、料理することが楽しいと感じるようになった。ひとりの時も料理はしていたものの、やはりひとりで食べるより、誰かのためと思えるほうが料理にも力が入るものだ。今年で 24 歳になるということもあるのだろう。人の温もりがやけに恋しく感じる。実家に帰れば家族が誰かしらいたが、一人暮らしだとそういうわけにはいかない。だからなのだろうか。鍋のなか、沸き立つお湯をながめそんなことを考えていると、ふと後ろから朝陽に抱きしめられた。
「わ。」
「美味しそうだね。今日はカレー?」
「あと、サラダ。今日はスーパーで売ってたアボカドがすごく美味しそうだったの。もう少し待ってね。」
結局支度を終えるまで、朝陽は雪の後ろにくっついていた。
「今日は何をしていたの。最近ライブもしていないみたいだし。」
カレーを口に運びながら、雪はさっきと同じ質問をもう一度投げかけた。
「ん、曲を作ろうと思って。」
「曲?」
雪は驚いた。雪が彼と出会っておよそ一年。これまでたった一曲でライブをしていた。新たに曲を作ろうというそぶりすら見せていなかったため、驚きを隠せなかった。
「あの曲だけでライブしていくのかと思ってた。」
「ね。僕もだよ。僕もそのつもりだったよ。、、、あちっ。」
猫舌の朝陽はカレーの熱さに思わず飛び上がっていた。
「そんなに熱いかな?」
どんどん食べ進めていく雪に対し、朝陽はカメよりも遅いスピードだった。羨ましそうに雪を見つめては、カレーと奮闘していた。
「作曲なんて、いきなりどうしたの。」
朝陽がどんな曲を作るのか楽しみな反面、これからのライブが、そして朝陽がどう変わっていくのか一抹の不安を覚えていた。喜ばしいことなのに、なぜだろう。
「彼らと一緒に音楽をやりたくて。」
「この前一緒に見た人たち?」
「そう。つい最近、また一緒に歌ったんだ。同じ曲だったのに、全く違うものだった。みんながその時の気分に合わせてアレンジを変えて、新たな曲を生み出していくんだ。あの時、あの瞬間にしかできないライブだった。」
スプーンを持ち、一点を見つめたまま、朝陽は動かなかった。ふわふわと湯気が舞っている。
「一緒にやりたいんだ。」
「そっか。」
雪はふっと笑った。1 年間たった 1 曲でやってきたように、朝陽はなかなか前へと踏み出すことが出来ない。変化を嫌うのか、不変を好むのか、雪にはよく分からない。いつもはその場にうずくまって動こうとしない朝陽が、自分から歩こうとしている。いつもはあまり感情を表さないが、今日ばかりは目に見えて分かった。1年前、あの駅の木陰でひとり、ギターにしがみついていた彼はもういなかった。
「楽しみだね。」
雪を真正面から見つめ、笑いかけてくる朝陽。彼の瞳には、確かに雪が映っている。
「僕の思い出話、少し聞いてくれる?」
ご飯の片づけを終え、ソファで休んでいる雪の隣に朝陽がやってきた。改まった様子に、雪は起き上がり、座りなおした。朝陽は少し寂しそうに雪の腰に手を回すと優しく抱き寄せた。自分を勇気づけるようにしっかりと雪を抱きしめて、朝陽は語り出した。
僕のタイムリミットは、30 歳なんだ。