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あの光の向こうに。  作者: あお
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心の底

その夜、一度着替えを取りに帰った雪はそのまま朝陽の家を訪れた。まださっきの演奏が頭を離れない。ばらばらに分解してしまえばたったひとつ、たったひとりの音たちが、ひとつふたつ重なり合っていくとなんと美しい音色になるのだろう。居場所を見失っていたピースたちが、己の居場所を見つけ、あるべき位置にかちりとはまったパズルのように、散り散りになっていた分身がひとつにまとまることでやっと1人になれた瞬間だった。音源とはまた違う。あの時、あの場所にいた人たちが作りだした空間。きっともう全く同じ空間を再現することは不可能なのだろう。観客やメンバーはもちろん、あの空気、自然、空、全てで共有したあの瞬間はきっと、何にも代えられない。その空間にいられたこと、なんと幸せなことだったのだろう。半ば呆然としながら雪は歩いていた。


朝陽の家に着くと、先ほどライブを終えたばかりなのに、アコギを抱え歌っている彼の背中が見えた。雪が入ってきたことに気づいていない様子だ。雪はしばらく玄関に腰をかけ、スーパーで買ってきた鍋の食材を置いて彼を眺めていた。どうしてもあの瞬間がよみがえる。丸く小さな背中なのに、ここが世界の中心であると錯覚するような、不思議な空気感。きっと、朝陽も思い出しているのだろう。

このまま朝まで、いや、いつまでもこのままでいられたらいいのに。愛するひとの後姿を眺めながら、幸せなひと時をかみしめていたい。ずっとそうして生きていけたらいいのに。ありえない未来を想像していた。今日の朝陽は明らかに楽しそうに歌っている。



「ご飯、食べよう。」

いつの間にかギターを置いて、雪の隣にしゃがみこんでいた朝陽に驚いた。

「あれ、私、寝ていた?」

「来ていたなら声くらいかけてくれてもいいのに。遅いから探しに行こうかと思ったよ。」

頬を膨らませながら、食材を運び手際よく支度を始めた。

「いたた。」

変なところで寝ていたからか、腰や肩が痛んだ。大きく伸びをして各所を伸ばしてみると、待ってましたと言わんばかりに、身体中が疼いた。


「帰ってきてからもギターを弾いているなんて珍しいね。」

「そうだね。」

「弾きたくなった?」

「うん。弾きたくなっちゃった。」

鍋からいっぱいに吹きあがる湯気が、彼の表情を虚ろなものにした。

「やっぱり歌っていいね。好きだなあ。」

しみじみと噛みしめている。朝陽の大きな手で作られた、大きな肉団子。噛むたびに肉汁がじゅわっと溢れてくる。

「明日はどうするの。」

「明日もまた歌いに行くよ。」

「バイトは?」

「夕方までバイトだから、そのあとかな。」

「ふーん。どうなの、居酒屋バイトは。」

「相変わらず、かな。楽しいとは言い難いけど、こんなもんかなって。雪こそどうなの。」

「普通だよ。仕事ってこんなもんだよね。」

「疲れているように見えるけど。」

「そうかな。」

「そうだよ。」

「こんなもんだよ。」

「こんなもんか。」

一瞬間をおいて、朝陽の顔を盗み見る。ぱちっと視線が合う。納得のいっていない表情だ。

「なんで。」

「玄関で寝ていたじゃん。風邪ひくよ。」

「そうだね。考え事していたら寝ちゃった。」

「何を考えていたの。」

「朝陽の背中ってこんなに小さかったかなって。」

「なにそれ、これでも身長 180 センチあるのに。」

箸をおいてじっと睨んでくる。雪は吹き出してしまった。

「眉間にしわ寄ってるよ。」

雪も真似て、眉間にしわを寄せてみた。朝陽は力が抜けたようにふっと笑った。

「私ね、今、すごく幸せなの。」

「そうなの?」

「すごく裕福って訳ではないけど、自分たちで稼いだお金で、それなりの生活が出来ている。大好きな人がいて、大好きな音楽があって、私がいる。きっと世界平和とか大それたことはできないけれど、この瞬間が、この生活が、ずっと続けばいいのにって思っている。」

「僕も、そう思うよ。」

「でもね、きっとそれはいつか変わる日が来るから、今その幸せをかみしめることができるの。永遠なんて存在しないし、仮に存在しても飽きてしまうだけ。幸せが当たり前になってしまえば、今まで見えなかった当たり前が目につくようになってしまうの。だから、常に移ろいゆくことに意味があるの。地球の裏側で誰かが殺し合っているかもしれないのに、私は幸せを噛み締めることができてしまうの。それでも私は生きていくの。」

「雪の変わってしまう幸せってなに?こうやってふたりで生活していくこと?それとも、今にも死にそうな人を助けること?」

朝陽は普段からぼんやりとしている人だが、時折確信をついた質問をしてくるから驚きだ。答えを求めていないわけではない。しかし、あまり考えないようにしていたのは事実だ。雪は箸をとめ、じっくりと考えた。朝陽と離れる未来は想像できない。きっといつまでもこうやってふたりで慎ましく生きていくのだろうと、漠然と考えていたのだから。それは逃げなのだろうか。

朝陽に、歌で有名になって欲しいのだろうか。今日のライブは、その第一歩になりうるものだった。まだ持ち合わせていない答えをぼかすように、雪はシメの雑炊をかきこんだ。


「明日も会いに行くね。」

今日のライブについては、お互いに触れなかった。まだおなかの中で渦を巻いている。ふたりとも消化出来ていないし、吸収も出来ていない。あの感動を言葉ではなく、心で共有するかのように強く抱き合いながら眠った。朝陽はいつも以上に優しかった。それとは対照的に、朝陽の瞳に映る雪はどこか寂しげであった。朝陽の腕に込められた力は、さっきみた小さな背中とは不釣り合いなくらい頼もしくて、涙が出そうなくらい希望に溢れていた。


「おやすみ。」




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