1年生9月:噂(3)
『人の噂も七十五日』と言うけれど、2カ月半ってけっこう長いよね。
実際は1週間もすればみんな他の話題に夢中になって、わたしの噂なんて忘れてしまうと思っていた。
A組がざわざわしたのは初日だけで、その後は何もなく普段どおりにみんなと授業を受けている。
たまにキャサリンが嫌味を言ってくるけれどそれは前からだし、リリカは臨海学校でいい雰囲気だったタッドとうまくいってるみたいで、あまりわたしに構ってこない。
嫌がらせは、クラスの外で起こっていた。
例えば、
・食堂で体当たりされてお昼ご飯をぶちまけさせられる。
・緑化委員会活動中、頭から水をかけられる。
・女子寮の部屋の扉が凍らされて閉じ込められる。
…うん、なかなか実害が出てるじゃない。
週末の金曜日、女子寮で扉の隙間から水魔法を使われたみたいで、学園から帰るとわたしの部屋が水浸しにされていた。
さすがに部屋にいることができず、鞄を抱えて途方に暮れてしまう。
片付け、かなり面倒だな。
イマリが帰ってきたら、今夜泊めてもらおうかな。
三連休だから実家に帰るって言ってたかも。
とりあえず1階ロビーでイマリを待とうと4階の女子フロアを出ると、3階でベリアルに呼び止められた。
「ちょっと、いい?」
あたりを見回して他に誰もいないことを確認してから、3階フロアへわたしを引っ張る。
「男子フロアは困ります!」
「バレたら俺も困るから、大きな声出さないで。」
『飛行』でベリアルと一緒に浮かばされてしまい、そのまま一番奥の320号室へ連れ込まれてしまう。
「俺の部屋だから、適当に座って。」
…男子の部屋とか、前世通じて初めてじゃないかな。
こういうときどうするのが正解なんだろう。
鞄を胸に抱えたまま入り口で固まっているわたしに、ベリアルはぽんぽんとベッドの上をならして、
「ここに座って。」
「…失礼します。」
紺色のベッドカバーの上に浅く腰掛けると、ベリアルは向かいのデスクチェアーに座った。
彼は無言で入り口付近の天井を指さす。
天井には大きなシミが広がっていた。
「上はアリスの部屋だよね?」
ああ、そういうことか。
わたしは立ち上がるとベリアルに深く頭を下げる。
「うっかり花瓶を倒してしまいまして、ご迷惑をかけてしまってすみません。すぐに片づけますから…。」
「そうじゃないよね。」
…ん? ベリアルの声が低い?
「そうじゃないよね、アリス。」
しばらくの沈黙。
わたしはベリアルに何も話すつもりはない。
お互いに見つめ合うというより、にらみ合いのようだ。
ベリアルはおもむろに窓を大きく開けて体を外に乗り出すと、『飛行』でわたしの部屋へ上がっていった。
「ちょっと、やめて!」
部屋の窓は換気のために開けてある。
わたしはベリアルの部屋から飛び出して自分の部屋に駆け上がったけど、当然間に合わなかった。
「熱っ!」
わたしの部屋は蒸気が立ち込めて、まるでサウナみたいになっていた。
「ベリアル! 勝手に入るなん‥けほけほっ!」
つい怒鳴ったら熱い蒸気を吸い込んでむせてしまった。
「あと1分待ってて。」
部屋の真ん中あたりにある白い塊の中からベリアルの声がした。
まかれた水を熱で気化させて、部屋に発生した霧を窓から外に流し出しているようだ。
こういう、らしい魔法が使えるっていいなぁ。
実は『飛行』の魔道具を試したけど、適正がないみたいで全然ダメだった。
せっかくファンタジーの世界なんだから、炎を出すとか空を飛ぶとか魔法使いっぽいことをしてみたい。
「だいたいこれぐらいかな。」
パン、とベリアルが手を叩き、もあっとした空気が窓から外へ流れていった。
床の水はすっかりなくなり、濡れた壁や布団まで乾いてしまっている。
「ありがとうございました。」
ベリアルに深々とお辞儀をしてお礼を言う。
「すごいですね、すっかり乾いちゃって。なんていう魔法ですの?」
ベリアルはちょっと嬉しそうな表情を浮かべたけど、すぐに真顔で尋ねてきた。
「いじめられてるよね?」
「そんなことありませんわ。」
「あの噂のせい?」
「身に覚えのないことです。」
「なんで怒らないんだよ。」
「相手にするだけ無駄です。」
今回の騒動、わたしはどこか他人事で、相手をつきとめようという気持ちになれなかった。
「評判がめちゃくちゃになっても?」
「どうせ嘘ですもの。」
言い返してから、自分の言葉がストンと胸に落ちる。
そう、わたしは、嘘だもの。
自然に笑みが浮かんだ。
「だからベリアルが心配しなくても大丈夫ですわ。」




