1年生5月:模擬戦後
天井が高い。
わたしは二人部屋の2段ベッドの下なのに、なんであんな高いところに天井があるんだろう。
「気がつかれましたか。」
頭の近くから、男の人の声がした。
誰?
「無理に起き上がらないで、そのまま横になられていてください。」
丁寧な、柔らかな声。
「‥だ、」
口の中がカラカラで声が出ない。
「お水を飲まれますか?」
首の後ろに腕を差し込まれ、わたしは彼に支えられて上半身を起こす。
唇にガラスが触れ、少しの水が口に流れ込んできた。
ごくっと喉が音をたてる。
「ゆっくり飲んでくださいね。」
わたしがひとくち飲み込むごとに、ちょっとずつグラスを傾けてくれる。
「もう少し飲まれますか?」
首を横に振ると、彼の指がそっとわたしの濡れた唇を拭った。
細いきれいな指先が目に入る。
そこで初めて彼の顔を見た。
ふわふわで柔らかそうな茶色の髪から覗くのは、甘いミルクティーのような優しい色の瞳。
とても端正な顔だちをした、外国の男の人。
「誰?」
「ああ、失礼しました。貴女にきちんとご挨拶していなかったですね。エリオス・J・ウォールと申します。」
優雅にお辞儀をする彼は見事なまでに少女漫画に出てくる白馬の王子さまで。
なんで女子高生のわたしなんかに、親し気に笑顔を向けるの?
「あの、ここは‥。」
「ここは学園本部のゲストルームです。今日から3日間、学園は休講になりました。」
学園? 休校?
「アリスさん?」
「はい。」
「まだ調子がよくなさそうですね。…熱があるのかな?」
すっと彼の顔が近づき、わたしのおでこに彼のおでこが重なる。
お互いの息がふれあう距離。
近い近い近いー!!!
「どうして先輩はいっつもこんな近いんですか!」
ぞわっとなって一瞬で顔が真っ赤になって、とっさにエリオスを押し戻していた。
「…ああ、いつもの貴女ですね。」
エリオスは慌てるわたしを見て、楽しそうに笑った。
「何だか夢の中にいらっしゃるようでしたね、アリス・エアル・マーカーさん。」
それからエリオスが手元のベルを鳴らすと、ハンス先生がやってきた。
ベッドから起き上がってソファに移動するのに、エリオスがさりげなく補助してくれる。
わたしは制服のまま。事故は昨日の午後で、今は翌日のお昼前とのこと。
「さ、ぱぱっと事故の説明して、マーカーくんが元気そうならお昼食べに寮に戻ろうかー。」
いつもどおりのハンス先生。
ヨセフとレナードは重い障害も出ず、今日には退院できる見込みだということ。
他に生徒の被害はなく、ベリアルたちも本部の治療で回復したこと。
魔物出現の原因を探るため、今日から3日間授業は休講となり、生徒たちは寮で自習していること。
キャサリンは3日間の謹慎で、自宅に戻されていること。
ハンス先生が1カ月の減給になったけど、キャサリンの父親が被害生徒やアリーナ破壊の賠償に含めてハンス先生にもお見舞金をくれるから大丈夫だということ。
「マーカーくんにもお礼をしたいと言ってたよー。そのうち連絡あるかもねー。」
「それはまたそのときにご相談します。それで、」
わたしはエリオスに視線を動かし、
「なんでウォール先輩が、」
「一晩一緒にいたのですから、エリオスと呼んでいただけませんか?」
話の途中に笑顔で要求をかぶせてくる。
一晩一緒って何?!
「…エリオス先輩がここにいらっしゃるのでしょう?」
ハンス先生とエリオスはちょっと目を合わせ、エリオスがどうぞと先生に促す。
「昨日、魔力暴走したのは覚えてるー?」
「…はい、足を治癒しようとして失敗しました。」
そっと右足首を触ると、もう傷は治されているようだった。
「大きな怪我をしてるときは自分で治癒かけちゃダメだよー。魔法を使うときは一度全身を魔力が巡るから、基幹部分の怪我は回路の障害になるからねー。ま、普通は中等部で教えられることだけど。」
「そうですか…申し訳ありません。」
「いやもうマーカーくんから漏れる魔力がすごくてねー、ちょうど連絡に来たウォールくんが魔法的に隔離して保護してくれて、で一応意識が戻るまでついててくれたわけ。」
『防魔壁』は一切の魔法攻撃を通さない結界魔法で、逆に対象者の魔力も通さないため魔法が使えなくなる欠点がある、使い勝手の悪い魔法だ
この結界でわたしを覆い、物理的に魔力流出を防いだとのこと。
「いやいや、ウォールくんがこんな珍しい魔法使えるなんて助かったよー。」
「いろいろ研究するのが好きなので‥。アリスさんも安定されたようですし、自分は戻りますね。」
わたしは慌ててベッドから立ち上がり、エリオスに深くお辞儀をした。
「お手間をかけまして、申し訳ありませんでした。」
「そんな無理をなさらないで…それにね。」
エリオスはわたしの頭を撫でて、
「貴女からは謝罪より感謝がほしいな…」
わざわざ耳元で囁いてから、部屋から出て行った。
「いやあ、見事に真っ赤だねー。ほんと天然王子って質悪いよねー。」
「…言わないでください…。」
「ま、ここだと気が休まらないだろうから、動けるなら寮へ送っていくよー。」
「そうします。先生、お願いします。」
「オーケー、じゃあ行こうかー。」
立ち上がったハンス先生のあとに続く。
先生は扉を開けようとして、くるっと振り返った。
「そうそう、マーカーくんが『復活』使ったことは絶対秘密ねー。」
人差し指で唇を押さえ、ナイショのポーズを作る。
「彼らにも箝口令出してるから。そうしないと君、悪い大人に攫われちゃうよ?」