1年生4月:入学式(1)
グラディス王国は15年前に魔王を封じ、魔族との長い争いに終止符を打った。
魔王軍と王国騎士団・魔術師団との決戦の場となった『聖都』は見事な更地になり、神殿その他の遺跡は魔術師団長の命とともに砕け散った。
長く魔族との戦いに悩まされていた王国では、対抗できる魔術師の育成に力を注ぎ、一定量の魔力のある子供たちは6才から強制的に魔法学園に集められ、魔術師としての教育を施される。
学園の中で貧富の差はないが、魔術師が権力を持つため貴族は積極的に魔力のある者を家系にとりこみ、結果、高等部に進むほど実力がある者の大半は貴族という状況だった。
わたしはアリス・エアル・マーカー、15才。マーカー子爵家長女。
今日から王都グラディオス一の名門校、ダリア魔法学園の高等部に入学する。
といっても、子爵である祖父に引き取られたのは去年の夏。それまでは母と二人、辺境の村で貧しく暮らしていたため、子爵令嬢といってもいまいち優雅に振舞えない。
「‥はあ‥。」
入学式会場に入る気がおきなくて、講堂の裏手の陰で切り株に座って空を仰ぐ。
これでもかという上天気にも、ため息しか出ない。
魔法なんてこれまで使ったこともなく、魔力だけバカみたいにあるわたしは、この学園でしなければならないことがある。
小さなときから、母に不思議な子だと言われていた。
誰も知らない料理を作り、誰も知らない風習を語り、怪我の治りが異常に早かった。
去年の夏、その母が奇病にかかり、毎日が苦しかったころ。
わたしは貴族の青年と出会い、夢を語り、そしてこの世界の未来を知った。
『ダリア魔法学園物語』
前世でわたしがプレイしていた、恋愛系RPGゲーム。
魔法学園高等部に編入したヒロインは、学園生活の中でパラメーターを上げ、イケメンキャラクターと恋愛イベントをこなし、2年生の最後に復活する魔王を、攻略キャラクターとパーティーを組んで倒さなければならない。
‥そう、わたしが。
左手の薬指には、真っ黒になってしまった指輪がはまったまま。
破邪の指輪は記憶の封印を完全に吹き飛ばし、大量の魔力を呼び戻し、黒く焼き付いてしまった。
あの夏のことは記憶が曖昧だ。
彼の顔も、声も、あまり思い出せない。
事故を知ったマーカー子爵家がすぐわたしと母を連れ戻し、蘇った記憶となんとか折り合いを付けてベッドから起きたときは、初雪が降っていた。
前世で死んだのも、雪の降る日だった。
母子家庭だったわたしは、母を守ろうと空手を習っていた。
10才で全日本小学生チャンピオンになり、中高一貫の強豪校に特待生で誘われて、これで母に迷惑をかけなくて済むと思った。
寮生活の寂しさを紛らわせてくれたのが乙女ゲームで、『ダリア魔法学園物語』は女子高生のころはまっていたように思う。
わたしがいなくなって、母も寂しかったのだ。
看護士でバリバリ働いていた母は、質の悪い男に引っかかった。
高校2年生の冬休みに帰省すると、部屋の中にはそこら中に酒の空き缶が転がり、無精ひげだらけの男が『酒を買ってこい』と母を殴っていた。
一瞬で血液が沸騰した。
知らないその男に回し蹴りを喰らわせ、母を抱えて玄関から逃げ出したとき。
わたしの後頭部を金属バットが打ち抜き、薄く積もった雪に鮮血が散った。
ほんの1分ほどの、出来事だった。
大会の前には、いつも近くの神社にお参りをしていた。
全日本の前には、母がお百度参りをしてくれた。
小学生のときの大会のお弁当は、いつもおにぎりと卵焼きが入っていた。
大好きだったお母さん。
今のわたしは、15年前に魔王を封印して殉死したジャスパー・イオス・マーカーの忘れ形見。
父と隠れて交際していた庶民の母は、父の死後ひっそりわたしを産んで、マーカー子爵家から隠れて生きてきた。
何度父親のことを聞いても、何も教えてくれなかった母。
母の奇病は、わたしの封じられた魔力から漏れて変質した力の影響だったそうだ。
病の進行が止まった母は、マーカー子爵家本邸の離れで暮らしている。
祖父は跡取りとしてわたしを連れ戻したものの、わたしたち母娘に家族として関わる気はないらしい。
たった一人で参加する、誰も知らない入学式は憂鬱だ。
今日から始まる全寮生活には不安しかない。
「‥はあ‥。」
「そのような表情では、幸運が逃げてしまいますよ?」
わたしの幾度目かのため息に、柔らかな低い声が投げかけられた。
立ち上がりあたりを見回すと、少し先のところで講堂の外壁にもたれかかって、何かを読んでいる男子生徒がいた。
青のタイ、2年生だ。
「貴女は新入生でしょう。そろそろ講堂に入られた方がいいと思いますよ?」
柔らかそうなふわふわの茶色の前髪の隙間から、同じく優しげなミルクティー色の瞳がわたしに微笑む。
すらりとした細身のスタイル、端正な顔立ち、低く響く甘い声。
エリオス・J・ウォール、正統派貴族の学園生徒会長。
当然、攻略キャラクターだ。
王子さまスマイルに、心臓がドクンと跳ね上がった。
「‥リアルの破壊力、半端ないっ‥!」
直視できず思わず両手で顔を覆ってしまったわたしの肩に、そっとエリオスの手が添えられた。
「きゃあっ!」
変な声が出て思わず飛び下がる。絶対、顔が真っ赤になってる!
「すみません、レディに失礼でしたね。」
泣いてしまわれたかと思って、とエリオスは差し出しかけていたハンカチをポケットに戻した。
代わりに緑色の包み紙の何かをわたしの手に握らせる。
「ミントのキャンディーです。気分が落ち着きますよ。」
小学生の時に好きだったハッカのドロップを思い出す、清涼な香り。
「せっかくこの学園にいらしたのですから、素敵な時間をすごしてくださいね?」
エリオスがわたしの赤いタイを整えながら耳元で囁く。
顔が近いし、何かいい香りがするし、かかる息がぞわぞわするし!
「あ、ありがとう、ございます。失礼します!」
わたしはさらに数歩下がって一礼すると、一目散にその場から逃げ出した。
やばいやばい、わたしが攻略されてどうするの!
忘れるな。
わたしは、アリス・エアル・マーカー子爵令嬢。
わたしは2年後、世界を滅亡から救わなければならない。