2年生8月:救援
アリスと母親マーサの行方不明は、『未亡人が恋人と駆け落ちした』という偽情報で子爵邸に伝えられた。
一行が南へ向かったという情報に、どうしたものかと関係者が頭を悩ませていた翌日。
昼前に王都からマーカー子爵領へ入った者たちがいた。
「マーカーくんが拐われたって本当なの?」
2頭の馬が並んでマーカス・シティのメイン通りを進む。
ほどほどの人混みを左右に眺めながら、ダリア魔法学園のハンス・クラレール教諭は先を急ごうとする連れに話しかけた。
「それならまず子爵邸に行くべきじゃないかな。」
「時間が惜しい。すぐに現場へ向かいます。」
「えーっ、せめて昼メシは食べようよ~。」
ハンスはすぐ近くの、大きな看板を掲げた定食屋を指差す。
「だいたいね、ウォールくん全っ然説明足りてないから。」
ハンスをここまで連れてきたエリオスは、彼の言葉に心外だと首を傾げる。
「ハンス先生の説明もこのくらい適当でしょう。」
「夜明け前に叩き起されてこんな遠いとこまでつきあってる僕に酷くない?」
「‥‥ちっ。」
「舌打ちしない。ほら、カレーでいいから奢ってよ。」
「生徒に払ってもらうつもりですか?」
「ウォール公爵令息ともあろう人が、まさか安月給の僕に払わせるつもり? 」
ウォール家は王国随一の名門貴族。
跡取りのエリオスは、今年の王都社交界アンケート『結婚したい男性』の1位に輝いていた。
「‥わかりました。」
定食屋で夏野菜カレーを注文して、冷たい水で喉を潤す。
斜め向かいに座ったエリオスは、微妙にハンスと目を合わせない。
「でさ、マーカーくんに何があったの?」
「‥彼女のピアスが外れてしまって。」
「え~、それのどこが変?」
「魔法をかけたから絶対に外れないはずなのに。」
「外れないって、なにそれ呪いの魔装具?」
自分にしか外せないよう、アリスに『装着』の魔法をかけたエリオス謹製の銀水晶ピアス。
完全な防毒機能とGPS、そして緊急時通報機能を付与している。
「ピアスへの魔力供給が止まると、その場所を強制的に警告するんです。」
エリオスは鞄から水晶板を取り出して、写っている地図を見せた。
魔法で外せないピアスがアリスの体から離れた理由。
赤く表示された1点を指す。
マーカス・シティ郊外の、住宅街のはずれのあたり。
「この場所で何かあったとしか。」
「何って、何が。」
「耳を切り落とされたとか。」
ハンスはふぅと息を吐き、肩をすくめた。
「ウォールくんの発想が怖いわ~。」
「だから早くアリスを見つけないと。」
「いや耳のことだけじゃなくて、そのピアスのことが。」
店員のお姉さんがカレーを2皿運んできた。
「レアな魔法だと思うしそのこともいろいろ聞きたいけど。」
ハンスがスプーンで軽くルーを混ぜると、スパイシーな香りが広がる。
「それで、マーカーくんを監視してた?」
「そんなことは‥。」
「白濁湖で彼女が行方不明になったとき、その水晶板を持って捜索に来てたよね?」
カンと陶器の皿にスプーンが当たって音をたてた。
「このことは終わってから話そうか。」
それでも外部に協力を求めるあたり、アリスの危機をエリオスが真剣に危惧しているわけで。
「食べたらすぐに『魔力感知』しに行こう。」
「‥ありがとうございます。お礼は十分にさせてもらいますから。」
「いーよ、そんなの。」
ハンスはヒラヒラと左手を振る。
「マーカーくんは僕の大事な大事な生徒だからね。」