2年生8月:マリア
それは、映画の1シーンのようだった。
白い肌にぱっくりと開いた赤い傷口。
撒き散らされる鮮血がスクリーンを紅に染めてゆく。
母の両腕がだらんと垂れ下がり、見開かれた瞳が天井の灯りを映す。
ゆっくりと唇が動くけれど、声にならなかった。
ストンと膝から垂直に落ち、ゆっくりと前のめりに、長い栗色の髪がふわっと広がる。
「あ、ああっ‥っ‥!」
血だまりに四肢を投げ出した母の死体。
(なにが、どうして‥っ!)
わたしは自分の胸を掴み、無理やり呼吸をする。
(落ち着いて、まだ終わりじゃないっ!)
壁の向こうにいるのはシスター・マリアとケント、他に4人の魔術師たち。
ケントを母に近づかせた彼女たちの目的は、きっとわたしだ。
これは、わたしのせい。
(必ず助ける!)
わたしは両足でしっかり立つと、ぐっと顔を上げてマリアの目を見つめた。
「母親が死んだのに、案外取り乱さないのですね。」
マリアが右手を振ると目の前の透明な壁が消え、血の臭いが溢れた。
「こちらへどうぞ。母親を生き返らせたいでしょう?」
わたしがゆっくり近づくと、彼女たちは母の側から離れた。
「‥いいのね?」
「ええ、『聖女の奇跡』、是非とも見てみたいですわ。」
「‥‥‥。」
床に描かれた魔方陣の中心が、この舞台の要だった。
ライトも母の死体も、わたしもマリアたち観客のために準備されたもの。
(『復活』目当て?)
『秘密にしてないと、悪い人達に拐われちゃうよ~。』
ハンス先生の呑気な声を思い出した。
それでも、今はこれにのるしかなかった。
わたしは血だまりに膝をつく。
顔にかかった髪を寄せると、母の蒼白な死に顔が現れた。
(ママ‥。)
母の目を閉じさせ、肩に手を差し込み体を仰向けに戻す。
わたしの膝枕で眠っているような、血まみれの母。
切り裂かれた喉にそっと右手をあてる。
「『復活』。」
「『解析』。」
『復活』の金色の光がわたしたちを包み、それは母の身体に吸い込まれてゆく。
(大丈夫‥、大丈夫‥。)
温かな光が全て吸い込まれて消えるまで、わたしは傷口を押さえていた。
「おお、これは‥っ!」
男の呟きが聞こえて、手を離すと喉の傷が消えていた。
頬にまだ血の気は無いけれど、胸に耳をあてると心音が聞こえる。
「本当に生き返った‥!」
「録れましたか?」
「母親の方は。聖女と『復活』は解析不能です。」
「そう。この魔方陣でもダメなんて、あの子バケモノなのかしら。」
カツカツとヒールの音が近づき、白い手袋をした手が母の喉に触れた。
「生きてるようね。」
「触らないで!」
マリアを払おうと振りかぶった手を後ろから押さえられた。
「離せっ!」
「おとなしくしろ!」
背中から男2人がかりで両手を後ろに捕まれ、ガチャリと手錠が掛けられた。
「この女はまだ使います。」
マリアの指示で男たちが母を部屋から運び出す。
「彼女はその椅子に拘束しなさい。」
わたしは乱暴に立たせられると、ライトの下に運ばれた木の椅子に座らされた。
背もたれと椅子の脚にロープで縛り付けられ、向かい側の椅子にマリアが座った。
「貴方達も出なさい。わたくしと彼女の話を決して聞いてはいけませんよ。」
男たちが出た後、マリアは扉に鍵をかけ、紫のローブと手袋を脱ぎ捨てた。
清楚なシニヨンをほどき頭を振ると、豊かな金髪が広がる。
「『聖女』って面倒なのよねぇ。」
豊満なボディラインを強調するぴったりしたミニワンピースで、大胆に足を組んで椅子に座る。
「それが素なの? ずいぶんイメージが違うわ。」
「貴女だって子爵令嬢のイメージぶち壊しでしょう。」
「母をどうするつもり?」
マリアは美しく整えられた眉をひそめた。
「それから聞くの?」
「母は関係ないでしょう!」
「そうね、他人だものね。」
「他人?」
「あの女、貴女の母親じゃないわよ。」
「‥何、言ってるの‥。」
「知らなかったの?」
マリアが嬉しそうに笑った。
「貴女、魔力鑑定でマーサ・トーノと親族関係無しって結果が出てるわよ。」
(なに、それ‥。)
マリアの高笑いが耳に響く。
言葉の意味が、頭を通りすぎてよくわからない。
「ウソ、よ。そんなの‥。」
「いいわねぇ、その顔! あんたがセドリックにさっさと殺されてくれれば、あの女を拐うこともなかったのにねぇ。」
(情報を整理して‥。)
マリアから母を助けないと。
ああでも混乱して、全然考えがまとまらない。
「間抜けな顔ねぇ。」
マリアの紅い爪がわたしの顎をとらえ、敵意に満ちた紫の瞳が迫る。
「『聖女』はわたしよ。あんたじゃない。」
「‥わたしを殺すの?」
「そうしたいけど、ざーんねんね。彼が貴女を殺すなって言うからぁ。」
マリアのなめらかな指が、つぅっと耳へと顎のラインを這い上がる。
「貴女はわたしの駒にしてあげる。」
マリアは左耳のピアスをつまむと、力任せにぶちっと耳から引きちぎった。
「‥っ!」
(負けるもんかっ!)
火がついたような耳の痛みを噛み殺して、わたしはマリアを睨み返す。
「生意気ー。」
マリアはさらに右耳のピアスも引きちぎると、床に放り投げた。
「あんた、なんかに‥。」
傷口を押さえることもできないわたしを、マリアが余裕の笑みで見下ろす。
「そう吠えないでよぉ、すぐに癒してあげるから。」
マリアの両手がわたしの傷口を押さえる。
「わたしの魔法はとってもキモチイイの。みんな虜になっちやうくらいにね。」
『治癒中毒者』
ケントの、男たちのマリアに媚びへつらう姿が浮かぶ。
「やめてっ!」
「わたしに全て委ねるのよ‥アリスちゃん。」