2年生8月:母
太陽が沈み、青から薄灰色に変わっていく空。
「お父様ががっかりされたらごめんなさい。」
教会を出てケントさんの案内で歩きながら、しきりに母は気にしていた。
「お嫁さんがわたしみたいなおばさんで‥。」
「おばさんなんて、僕はマーサさんと出会えてとても幸せですよ。」
「だけどわたし、あなたの子供を産むのは‥。」
「アリスさんがいるでしょう。」
前を歩くケントさんがわたしを振り返った。
「今夜、アリスさんが来てくれてとても嬉しい。」
そしてたどり着いた大きな石造りの古い洋館の門を開ける。
「さあどうぞ、アリスさん。」
きしむ門を開けて入ると、玄関まで雑草に埋もれた石畳が続く。
荒れているが、予想よりずっと大きなお屋敷だった。
「ケントさんは小学校の先生ですよね?」
「そう言いましたか?」
重厚な玄関扉が開かれ、中から湿った空気が流れ出る。
「父の部屋へ行きましょう。」
「ここに二人で住んでいるのですか?」
生活感のない雰囲気に違和感を覚える。
「無駄に広くて、マーサさんが大変ですよね。」
「いえ、わたしお掃除頑張りますよ!」
母が力一杯答えると、ケントさんは目を細めた。
「本当にマーサさんは優しいですね。」
廊下の突き当たりの扉を開く。
「貴女がそういう人で、とてもよかった。」
「ママ!」
引き戻そうとしたわたしの手より、母が中へ押し込まれる方が早かった。
「え、ケントさん‥?」
部屋の中には何もなく、天井から吊り下げられたランプが床に描かれた魔方陣を照らす。
広いホールのようだけど、灯りがひとつしかなくて周りの様子がわからない。
(何人かいる‥!)
ランプの下で、ケントが母の腕を捕まえて立っていた。
暗い部屋でそこだけスポットライトが当たり、母の困惑した顔と満足そうに笑う彼を浮かび上がらせる。
「さあ、‥ぐぅっ‥!」
何か言いかけたケントの腕を問答無用で蹴り上げる。
「お前っ‥、」
さらにみぞおちに右拳を叩き込むと、ケントは大きく後ろに吹き飛んで仰向けに倒れた。
「逃げよう!」
母の手を引き、入ってきた扉の方に押しやる。
「捕まえろ!!」
「『聖域』!」
「うわっ!」
高濃度で起動した結界の光が、他に4人の男を照らした。
全員同じ黒装束で、どう見ても悪い人たち確定だ。
「ママ、扉を開けて!」
「う、うん‥。」
「逃がすか!」
突進してきた男はあっさり結界をすり抜けて、わたしを捕まえようと手を伸ばす。
「はぁっ!」
その手を払いのけ、そのままの勢いで回し蹴りを食らわせると壁まで吹き飛び、床に倒れて動かなくなった。
(しまった‥。)
「『火炎球』!」
別の男が魔法を放ち、ドンッと結界に衝撃があった。
部屋の中で攻撃魔法なんて冗談じゃない!
『聖域』の通常起動だと対人効果がない。
魔法や魔物はオートで弾くけれど、人間は中に入れてしまう。
発動するときにきちんと『設定』しないと人の侵入を防げないのだ。
(‥もう一度発動する‥?。)
敵は残り3人。
2人倒したのが効いたのか、距離を詰めようとしない男たちを睨み付けて構えをとる。
母を守るには、結界に閉じ籠るよりさっさと倒してしまうのが一番だ。
「アリスちゃん‥。」
「すぐ片付けるね。」
わたしは魔法を使った男にダッシュをかけた。
「ぐはっ‥!」
魔法発動より先に、わたしの膝蹴りからの回し蹴りがきまった。
別の男の方に蹴り飛ばして2人まとめてダウンさせ、残りの1人にも間髪入れずに殴り付ける。
武闘技『聖拳突』を使ったから、しばらくは起き上がれないはず。
「アリスちゃん、強くなったのねえ。」
「いいから早く逃げよう。」
「でもドアが開かないのよ。」
「壊すからちょっと離れてて。」
わたしは扉に向かって拳を構えるため、部屋に背を向けた。
「『聖水晶壁』。」
透明な、鈴のような女性の声が響いた。
「きゃあっ!」
「ママ?!」
母から目を離した一瞬で。
「ちょっと、なにこれ!」
わたしと母の間に、透明な壁が現れていた。
部屋の端から端を、天井まで分断する魔法の壁だ。
「はあっ!」
『聖拳突』を繰り出したけれど、ビィーンと壁が震えて音が響いただけだった。
「なんて乱暴な‥貴女、本当に子爵令嬢ですか?」
「ア、アリスちゃん‥。」
「2人とも動かないでくださいね。もし動いたら、」
紫のローブを纏った華奢な女性が、母の首元に銀色の短刀を突きつけていた。
「大事なママの頭が下に落ちますわよ?」
「あなた‥。」
「まさか『聖女』がガチガチの武闘派だなんて、ダリアはいったいどういう教育をしていますの?」
女は薄笑いを浮かべ、足元に転がるケントをヒールで踏みつけた。
「『完全治癒波』。」
銀色の光があちら側を満たし、床に倒れていた男たちが全員起き上がった。
「相変わらず貴方達は役立たずですわね。」
「ありがとうございますっ!」
ケントが彼女の靴を舐めるかのように床にへばりつく。
「ほら、始めるから持ち場につきなさい。」
「はいっ、マリア様!」
(‥なんなのよ‥。)
ついさっき、母と出会えてとても幸せだと言った男が。
他の女に踏まれてしっぽ振って喜んでるとか。
「どうして、シスター・マリアが‥!」
「あら、わたくしのこと覚えていたのね。」
進級テストのときにダリア魔法学園で会った、大神殿のシスター。
高名な治癒師の彼女がどうして?!
「アリスちゃん、逃げなさい!」
母がわたしに向かって叫んだ。
「ママは大丈夫だから、逃げて!」
「『大丈夫』なんて軽々しく口にしてはダメよ。」
シスター・マリアが母の耳元に紅い唇を寄せる。
「貴女はここで死ぬのだから。」
スッと銀色の刃が横に動き、白い首から真っ赤な血がわたしに向かって降り注いだ。