2年生8月:海(3)
「痛てっ。」
ディックが腕を離して、自分の後頭部を触った。
「何だ‥?」
「‥君たち、何をしているのですか‥?」
「ディックとアリス? 偶然だなぁ。」
「こらそこ、勝手に止まるな!」
ディックの後ろで仁王立ちのエリオスと、笑顔で手を振って近づいてくるベリアルと、ピッと笛を吹いて注意をとばすファンさん。
そして砂浜を走っていく一群。
「ウォール、ランニングに戻れ!」
「すぐに追いかけますからみなさん先に進んでください。」
「俺がフォローするんで大丈夫ですよ、ファン先生。」
「いいわけないだろ!」
状況がさっぱり見えないけれどこれはまずい。
とにかくエリオスの極上の王子様スマイルがまずい。
(ものすごく怒ってる‥!)
「今日はクラスの女友達と海に行く予定でしたね。」
「ええ、リリカとイマリと一緒に‥。」
「それでなぜブレイカーくんが。」
じろり、とエリオスがディックを睨み付けるけれど。
「だっさ‥。」
それに全然引かないディックの呟きに場が凍りつく。
(どうしていきなり修羅場ってるの?!)
ディックとイベント成立と思っていたら、エリオスもベリアルもファンさんも、攻略キャラが全員揃うなんて。
モテ期、なんて浮かれる余裕のないガチの修羅場だ。
(こんな展開知らない!)
「貴女という人はそのピアスをつけたまま他の男と‥、」
「アリス、今日は俺と付き合うんだろ。」
「ウォール、いいから研修に戻れ!」
「あーはいはい、みんないっぺんに喋らない!」
パンッ!とベリアルが手を叩くとやけに大きな音が響いた。
海で遊んでいる人たちが一斉にわたしたちの方を見る。
「ほらウォール先輩、戻りますよ。」
「‥そうですね。失礼しました。」
周りの視線で少し冷静になったのか、エリオスがわたしたちに頭を下げた。
「二人とも邪魔してごめんな。」
ベリアルの明るい声で雰囲気が和らぐ。
「よかったら昼飯一緒にどう? ウォール先輩の奢りでいいですよね。」
「でもイマリたちと来てるから。」
「みんな連れてきたらいいよ。じゃああのホテルの入口に12時でよろしく。」
また後でとベリアルが手を振り、エリオスとファンさんもみんなの進んだ方へ走っていった。
「何か派手な音がしたわね。」
リリカたちもイマリたちも海から戻ってきた。
「喧嘩したの?」
不機嫌なディックを見て、リリカがわたしに囁く。
「ううん、ちょっと生徒会の人たちと会っただけ。」
「生徒会って誰?!」
ダンが勢いよく話に割り込んでくる。
「ランス会長? ウォール副会長?」
「二人ともよ。」
そう答えるとダンは頭を抱えてしゃがみこんだ。
「俺も荷物番してればよかったー!」
えっ?
「お二人に会えるチャンスだったのに、イマリが泳ごうとか言うからだろ!」
ええっ?
「あー、もう俺今日は絶対泳がないからな! イマリのせいでマジつまんないし!」
えええっ?
ダンの態度に驚いて、わたしとリリカは言葉が出てこない。
「ランス先輩が一緒に昼メシ食おうって。」
ディックがそう伝えると、とたんにダンが笑顔になる。
「そっか、そっか!」
「12時の約束で、ウォール先輩の驕りだ。」
「ディックは最高の親友だよ!」
ダンはディックに抱きつきそうなくらい上機嫌になってしまった。
「泳ぎたいからしばらく荷物番変わってくれ。」
「いーよいーよ、楽しんできて!」
パンパンとディックとわたしの背を叩き、ダンはシートに寝転がる。
「ほらアリス。」
ディックがわたしの手を引いて歩き出す。
「イマリ、ジュース買ってこいよ。」
背後からそんなセリフが聞こえた。
「なんなのよ、あの男ー!」
わたしは胸の辺りまで海につかったところで沖に向かって叫んだ。
リリカたちとも離れた、人の少ない岩場の陰。
底までよく見える美しい海なのに、腹立たしくて仕方ない。
「最低のモラハラ野郎ー!!」
「‥また人のことで怒ってる。」
ディックは魔法で作ったウォーターフロートを海に浮かべ、うつ伏せで日光浴をしている。
「それよりさ‥。」
ディックの指がわたしの片耳に触れた。
ちゃぷんと波が揺れて、フロートにうつ伏せたままディックがピアスを弄る。
「これ、ガチのロック魔法かかってる。」
「えーと、わたしも自分で外せないのよね。」
「ウォールからのプレゼント?」
碧の猫のような瞳がキラリと輝く。
‥これは逃げられそうにない。
「ウォール『先輩』からよ。」
「めちゃくちゃ高そうだけど、付き合ってるの?」
「付き合ってないわ。」
「なら俺と付き合おう。」
さらりと耳元に吹き込まれる大人びた声。
「アリスが好きだ。」
‥せっかく立ったフラグを、わたしは自分でへし折る。
「わたしは誰とも付き合わない。」
「俺とも‥ウォールとも?」
「そうよ。」
わたしは耳元のディックの手を両手で包み、真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
「今は他にしなきゃいけないことがあるから。」