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2年生7月:オアシスの夜(2)

部屋に戻る途中、エリオスは初老の男性に声をかけられた。

「ああ、支配人でしたか。」

「ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。エリオス様。」

「今日は自分1人ですから、お気遣いなく。」

両親もよく滞在しているため、ウォール公爵家はこの宿の上得意客だった。

「ご一緒の男性は、ウッド男爵家のご関係者でいらっしゃいますか?」


「誰のことですか?」

「これは失礼を。」

支配人は頭を下げた。

「受付のときに少々おもめになっていらっしゃった、体格のいい男性です。」

「ファン先生のことですか。」


エリオスは話を下げようとしない支配人の態度に違和感を覚える。

こういった場所で、同行者の素性をしつこく聞くことはありえない。


「ウッド男爵家はずいぶん前に廃位されたのでは? ‥たしか、当主の自殺で。」

『聖戦』前の混乱期のことで、もう埋もれてしまった話だ。

「ウッド男爵は当宿でお亡くなりになられました。」

「そうでしたか。差し支えなければ、彼はどうしてここで自殺を?」

「カジノで破産されたためと聞いております。」


このオアシスにはカジノエリアがある。

蜃気楼のようにはかない一攫千金の夢は、砂漠に散るのがふさわしいのかもしれない。

「‥今夜も賑わっているのでしょうね。」

この宿と少し離れたゾーンにある歓楽街は、王都の貴族もお忍びで楽しんでいるとか。


「エリオス様はたしなまれないので?」

「正直興味は持てませんね。父はよく行っているのでしょう?」

支配人は曖昧に微笑んで答えを返さない。

「それで、どうしてウッド男爵家のことを?」

「後から見つかった遺品があり、息子さんを探しているのですが行方がわかりません。先程の方は先代男爵によく似ていらっしゃったのでもしかしたらと思いまして。」


「一応聞いてみますが、違うと思いますよ。」

ファンの経歴書を思い出すが、孤児だったように思う。

名前も『ファン』しか記載がなかった。

「ありがとうございます。厚かましいお願いですが、何かお耳に入りましたらお知らせくださいませ。」


(カジノ、ね‥。)

豪華なスイートルームのベッドに転がり、エリオスは支配人の話を頭の片隅に押し込めた。

あまり気分のいい話じゃない。

男爵とはいえ貴族が破産するほど賭け事にのめり込み、自殺して家族は行方不明。

今夜もまたカジノでそんな男が生まれているのだろうか。




「あーん、また負けたぁ!」

可愛らしい声でカードを放り投げたのは、煌めく仮面で目元を隠した美しい女性だった。

貴族や裕福層をターゲットにした会員制カジノでは、ほとんどが仮面で顔を隠して楽しんでいた。

ここに入れるのは身元の確かな会員と、その同伴者1名だけ。

会員制の安心感を確保しながら匿名のスリルを味わうなんとも腑抜けた話だが、セレブたちのかっこうの遊び場になっていた。

安心に『飲む・打つ・買う』を楽しめる空間。

そう、『買う』ための部屋も多種多様に用意されている。


「もうお金なくなっちゃったぁ♪」

彼女はカクテルを片手に甘い声を出す。

体のラインにぴったり沿ったドレスの胸元からは、白い双丘がこぼれそうに男を誘う。


「マリア、それなら俺と飲もうよ。」

彼女は通称『マリア』。

どこかの貴族の愛人でベッドの中でも仮面を外さないという噂だが、男たちの評判は『特上』だ。

「どーしよっかなぁ~。」

マリアは誘ってきた男のアクセサリーや服の仕立てを見る。

(雰囲気は普通だけど、お金は持ってそうね。)

「そうねぇ‥。」


伸ばしかけた白い指を、横から別の男が奪った。

「今夜は僕に付き合ってよ、マリア。」


黒い仮面のその男は、ここで初めて見る男だった。

マリアはごくりと息を呑む。

軽い立ち振舞いの、どこにでもいそうな風貌の男性。

それなのに繋がれた手から圧倒的な熱が流れこんでくる。

(なに、身体が熱い‥!)

肌が上気し、瞳が潤んだ。


(欲しいー!)


「君のそういう、素直なところがすごく好きだよ‥。」


引かれるまま、マリアは小部屋に連れ込まれた。

カチャリと鍵がかけられ、薄暗い部屋のベッドにマリアは雑に押し倒される。

「ま、待って‥。」

「待てる?」

重ねられた唇は、甘く、熱く、マリアを溶かしていく。


「『解除リリース』。」

彼の指がマリアの仮面に触れた。


「やあ、『シスター・マリア』。」

「あ、やぁ‥。」

マリアは手で顔を隠そうとするが、両腕を頭の上で掴まれて逃げられない。


「大神殿の聖女がこんなとこで‥そそるよね。」

彼の舌が、マリアの胸をなぞる。


「ああっ、あなた、誰っ‥!」

マリアは快感に必死に抗う。

「わたしに変なことしたら、セドリックが黙ってないんだから‥!」

「さんざん他に喰わせといて、よく言うなぁ。」

「わたしはっ、この国の王妃になるのよっ!」


「やっぱりそれが狙いかぁ。」

彼はマリアの身体を責める手をとめない。

「あ、ああっ‥。」

「気持ちいい?」


マリアは自分を見下ろす男の右目が紫色に輝くのを見た。

「あなた、誰っ‥!」


「僕は『快楽ジョイ』だよ。」

彼は自分の仮面を外した。

「あなた‥、」

ビクンとマリアの身体が快感ではねた。

「いいねぇ、マリア。君の欲深さ。」

「あ‥あ‥。」

「君に『歓喜ハピネス』をあげよう。」


マリアの身体が、意識が、抗いきれず快楽の海に沈んだ。

「ふふっ‥気持ちいいでしょ。」

彼は楽しそうに嗤う。


「そろそろ全員復活しないとねぇ。」


砂漠の夜に輝く満月の光は、その部屋まで届かなかった。


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