16年前:王国魔術師団
「あー、もう昼か‥。」
肌寒さに、ゼノンはベッドで毛布を引き寄せた。
「昨夜は飲みすぎたな‥。」
ダリア生誕祭で非番の仲間と街に繰り出し、雪の中を魔術師団宿舎に帰ってきたのは夜中の2時すぎ。
最後の宴と、つい飲みすぎてしまった。
魔王軍の侵攻はゆっくりながら着実に王都に近づいている。
魔物たちの足留めに王国軍がゲリラ戦を展開して2ヶ月。
ハラスメント攻撃に徹して魔物たちの注意をそらし、最小限の被害で進行を食い止めている状況だ。
すでに聖都の布陣は完成していて、2週間前に団長が失踪しなければ、今頃は聖都で最後の戦いが始まっていた。
ジャスパー・イオス・マーカー魔術師団長。
史上最年少で王国魔術師団長に就任した天才魔術師は、郊外で大規模な襲撃を撃退したあと、姿を消した。
戦いのなかで彼の攻撃魔法が暴走し、王国軍に被害が及ぶところだったのをゼノンの魔法で事なきを得たのだったが。
(あんなこと初めてだった‥。)
魔術師団の同期入団で、彼と組んで6年余り。
それからずっとペアを組んで戦ってきたが、彼の魔法が失敗したことなんてなかった。
「どこ行っちまったんだよ、マーカー‥。」
背中を守ってきた自分にも、なんの伝言もなく。
魔王との対決が怖くて逃げ出したと噂され、その苛立ちでつい酒が深くなった。
とりあえず昼飯をと、ゼノンは食堂へ向かった。
昼時を少しすぎた食堂は空いていて、日替わり定食を選んで適当に座ろうと思いながらいつもの席に目が向かう。
窓際の一番端、団長の指定席。
「‥は?」
紫のフードを被ったまま、華奢な魔術師がカレーをたいらげている、よく見知った光景。
ゼノンはその向かいの席に荒々しく自分のトレーを置いた。
ガタガタっと椅子が音をたてるが、目の前の人物は顔を上げない。
「よぉ。」
カッカッとスプーンが皿に当たる音が続くだけ。
いつものことに、ゼノンは自分の食事を始める。
(食べてる間は相変わらず完無視か‥。)
目の前には空になったカレー皿と、まだ手付かずの一皿がある。
三皿目のカレーが空になったところで、先に食べ終わっていたゼノンは水のグラスを差し出した。
黙ってそれを飲み干すところもいつもどおり。
「さすがに今日はなにか言えよ。」
ゼノンは目の前のフードを手で払った。
無造作に束ねた鮮やかな金髪が、血の気のない不健康そうな白い肌に一筋ハラリとかかる。
ブルーグレーの瞳と相まって物憂げな雰囲気の、どう見ても10代の少女のような風貌。
「‥‥‥。」
「ただいまとか悪かったとか、俺に言うことは?」
黙ったまま首を横に振られれば、ため息をこぼすしかない。
「ないのかよ‥。」
ゼノンの目の前に、いつもどおりつまらなそうに座っている。
「調子は大丈夫なのか?」
「‥‥‥。」
「魔法、失敗してただろ。ってかお前が失敗するの初めて見たわ。」
「『お前』。」
「『マーカー』が。」
彼は自分のことを『マーカー』としか呼ばせない。
名前呼びも『団長』だけで呼ぶのも、当然『お前』呼ばわりも却下する。
「‥もう、大丈夫‥。」
つまり調子が悪かったのは事実。
「せめて俺には説明をしてくれ。自分で上に話す気ないんだろーが。」
ゼノン・ジュート・ブレイカーは天才魔術師ジャスパー・イオス・マーカーの通訳。
これがゼノンの副団長抜擢の理由だ。
天才にありがちと言ったらそれまでだが、彼はほとんどしゃべらず、周りとのコミュニケーション能力がゼロだ。
それにもかかわらず団長に就かざるをえないほど、その能力は特級。
他の魔術師と明らかに別格、英雄の領域。
彼がいたからこそ、『聖都決戦』のプランが組まれた。
「マーカーが戻ってきてくれて助かった。」
「‥ブレイカー。」
「なんだ。」
名前を呼ぶのは珍しいなと、ゼノンは皿を片付けようとした手をとめる。
「ボクは魔王を倒すよ。」
‥これまで、彼が戦いの意志を示したことはなかった。
「当然だろう。」
「‥ん。」
失踪の言い訳はまた後で考えるとして。
ゼノンは相棒の帰還に胸が満ちたりるのを感じた。