2年生6月:修学旅行(5)
「あっの、サド王子ー!!!」
わたしの八つ当たりの正拳で、ちょっと大きめの岩が砕けた。
建物からちょっと離れたところに流れていた細い川。
気持ちを鎮めようと降りてみたけれどダメだ、怒りが止まらない。
なんなの、あの態度?!
自分を護ってくれている人を斬りつけてケガさせて。
それで『わたしのため』って、冗談じゃない!
なにより怖いのは、彼らを傷つけることに心底なにも感じていなかったこと。
一欠片も悪いと思っていない目だった。
「最低‥。」
この世界に脈々と流れる身分制度。
身分が高い者は低い者になにをしても構わない。
そんな風潮がとくに高位の身分の人たちにあり、筆頭の王家があんなにも傲慢だとは。
身分を盾に、ファンさんも言いなりにして。
「セドリックのバカ!!!」
「ああ、バカだよな。」
幼稚な悪口に返事が返ってきて、わたしは声がした方を振り向いた。
「悪い奴じゃないけど、本気でバカな奴なんだよ。」
わたしの側までベリアルが降りてきて、岩の残骸に口笛を吹いた。
「相変わらずアリスの拳は凄いな。」
「なんのことでしょう?」
とぼけたわたしの血塗れの制服にベリアルが眉をひそめる。
「またセドリックになにかされたのか?!」
「彼が自分の護衛官に斬りかかったのよ!」
今思い出してもムカムカする。
「一番若い人なんて、全身に赤い傷が残っててー。」
そこでふと気づいた。
「ベリアル、あなた火属性魔法の講義は?」
「‥人数多くてさ、俺の番が終わったから抜けてきたんだ。」
「ベリアルがサボるなんて意外ですね。」
「俺のことはいいよ。それよりアリスの制服をどうにかしないと。」
わたしの服は胸元からスカートまで、斬られた彼の血で真っ赤に染まっていた。
「‥ブラウスはあるけど、スカートの替えはありません。」
「わかった。とりあえずコテージに戻ろうか。」
イマリたちのいないコテージの鍵を開けると、遠慮しながらベリアルも中へ入る。
「ブラウスもスカートも一度洗ってしまおう。」
「えっ、でも乾かす時間が。」
「大丈夫、俺が魔法で乾かすから。」
「ああ、そうね。」
これまでもベリアルに乾かしてもらったことがあった。
「じゃあ。」
とベリアルが片手を出す。
「スカート脱いで。」
わたしは反射的にベリアルを外に蹴りとばしていた。
「悪い、俺が無神経だった。」
「本当に反省してくださいね!」
ジャージに着替えてからベリアルを中に招き入れ、コテージに設置された小さな流し台に並んで制服を水洗いしている。
魔法効果を付与された制服は、軽く洗うだけで血が浮き上がり綺麗になっていく。
時間の都合で、ベリアルにもブラウスをお願いした。
「セドリックのこと、ゴメンな。」
水の音が響く中、ポツリとベリアルがそう言った。
「悪い奴じゃないんだ。」
「ベリアルが謝ることではないです。」
わたしはスカートを洗う手に力を込める。
「‥とはいえ、セドリック王子の行動は不思議です。」
彼に殺されそうになった理由がわからないのと。
「あれから教室で、なにも態度が変わらない‥。」
たださっきの出来事で、その理由がわかった気がした。
湖で刺されたときに殺気を感じなかった訳は。
セドリック王子は、わたしを殺すことをなんとも思っていない。
だから殺し損ねたことについても、なんとも思っていない。
「どうして彼は、わたしを刺したのでしょうか。」
それもたいして意味のないことなのかもしれない。
ちょっと水の中で剣の試し切りがしたかったくらいの。
「できるだけセドリックと2人きりにならないでほしい。」
『白濁湖』事件の後、ベリアルは積極的にセドリックをかまって、彼と一緒に行動してくれている。
「ああ‥。」
わたしはようやく思いあたった。
「ひょっとして、今日もわたしのことを心配してきてくれたんですか。」
彼の火属性魔法の会場は、わたしの聖属性魔法の会場とかなり離れていたはずだ。
「よしっ!」
ベリアルがパンッと洗ったブラウスを広げた。
「『乾燥』。」
魔法をかけるともわっと水蒸気が広がり、パリッと乾いた白いブラウスができあがる。
「ほら、早く乾かして修学旅行の続きを楽しもう。」
わたしの問いに答えず、ベリアルはいつもの笑顔で手を差しのべた。