2年生6月:修学旅行(4)
赤い血は苦手。
真っ白な雪の上に倒れたわたしの視界をじわりと侵食して。
冷えていく身体に染み込む鉄のような臭い。
‥白か赤かわからない、わたしの最期の記憶。
ハンカチで血を拭っても、なまあたたかいぬるっとした傷口の感触が右手に残っている。
「まだ痛みますか?」
床に横たわったまま、護衛官の彼は首を横に振った。
『修復』の効果で、セドリック王子に斬られた彼の傷口はー赤い線が痕に残っている以外はー無事にふさがった。
「ふん、見事なものだ。」
セドリック王子の呑気な呟きがわたしを苛立たせた。
「どうしてこんなことを!」
「アリスの修行のためなのに、何を怒っている?」
わたしの責める言葉にセドリック王子は首をかしげた。
「治癒魔法の訓練は人体実験が一番だとマリアが言っていたぞ。」
人体実験?!
「神殿ではこうして修行するのだろう?」
セドリック王子の剣がきらめき、別の護衛官の右腕がとんだ。
斬り落とされた腕の付け根から、勢いよく噴き出す真っ赤な血飛沫。
「さあ、早く治してみせろ。」
男性講師は真っ青な顔をして立ち尽くし、事態についてこれていなかった。
腕を斬り落とされた彼は椅子から立ち上がろうとして床に倒れ、護衛官の残り2名は能面のような表情で椅子に座ったまま微動だにしない。
(なに、この状況‥。)
「さあアリス、死んでも問題無いが経費が勿体ない。」
淡々と、倒れた彼を左手で指して肩をすくめてみせる。
「ああ、噂だと死人も復活できるとか?」
室内を満たしていく血の臭い。
「うん、あと1人殺すか。」
セドリック王子の指先が、隣に座る護衛官に移る。
弾かれたようにファンさんが立ち上がり、護衛官たちの前にその身体を盾にする。
「アリス、早く治療を!」
「どけ、それは俺のモノだ。」
セドリック王子の剣がファンさんに突きつけられる。
「俺の邪魔をするのか?」
ファンさんは無言で睨み返す。
「そうか、ダリアは王家の敵に回るのだな。」
(この男はー)
どこまでも平坦なセドリック王子の声が。
「やめろアリス!」
ファンさんの絶叫を背に、わたしはセドリック王子に一瞬で詰め寄った。
剣の腕はともかく、体術はわたしの方が上だ。
「ぐっ‥。」
右拳を腹に叩きこみ、セドリック王子が身体をくの字に曲げた。
前のめりに突き出た彼の頭を抱え込み、彼にしか聴こえないように耳元で。
「魔王が復活ー」
ー聖女の『禁句』抵触を認定、魔属性魔法レベル3『消去』を強制発動しますー
記憶を消す魔属性魔法『消去』。
意識を失いガクンと膝から崩れ落ちるセドリック王子。
それを倒れるまま床に転がし、わたしは腕を斬られた護衛官のもとへ駆け寄る。
近くに転がっていた腕を拾い上げると、まだ温かかった。
(これを‥。)
どうしたらいいか、何となくわかっていた。
「お水ありますか?」
意外なことに、隣に固まって座っていた護衛官の1人が水筒を差し出してくれた。
切断面を水で流すと赤い肉の中に白い骨の断面がのぞく。
(うう‥。)
あまり見ないようにして肩口に腕を押し付け、接続箇所に右手をあてて魔法を唱える。
「『修復』ー」
温かな光を感じて、この血生臭い空間でようやく息ができた気がした。
ペタンと床にへたりこんだわたしの背後で、男性講師が倒れたセドリック王子に治癒魔法をかけている。
(しばらくほっとけばいいのに‥。)
セドリック王子は護衛官たちを傷つけることに何の躊躇いもなかった。
『俺のモノだ』
それに逆らわない4人の護衛官。
ファンさんも抗えない、身分の壁。
(王族ってそんなに偉いの?)
ああ、頭がぐちゃぐちゃだ。
なんでこんな展開になってるんだろう。
わたしは魔王と闘うためにこの世界にいるのに。
魔物から人々を守るための『聖女の力』なのに。
「‥ファンさん、後をお願いします。」
わたしはふらりと立ち上がる。
「セドリックに何をした?!」
ファンさんも余裕がないのか、王子を呼び捨てにしていた。
(いつも冷静な人なのに‥。)
ちょっと可笑しいかも。
「大丈夫ですよ、起きても記憶がとんでますから適当にごまかしてしまえば。」
「アリスー。」
「みなさん、協力してくださいますよね。」
自然と笑みがこぼれた。
わたし以外の全員に、まったく同じ壊れ物を見るような表情が浮かんだけれど。
「少し外の風にあたってきます。」
かまわずに扉を開けて、わたしはここから逃げ出した。