43年前:北部国境
王国は北部国境の街に軍を常駐している。
北の国が滅びたのはもう100年も前のことで、隣接するこの街に住人はほとんどいない。
国防の防衛線たるこの街は、王国軍のバックアップ機能だけを残して他は移転してしまった。
国境に高い壁を築き、昼夜見張りを置いている。
唯一残っていた街道は、通る人が耐えた今では草木にまみれてしまっている。
魔物にとっては道があろうがなかろうが、さしたる障りはないらしい。
王国軍は、騎士と魔術師の混成部隊だ。
魔術師の方が多いが半分はバックアップ部隊で、攻撃部隊は1対1で構成されている。
近接戦の騎士と遠距離攻撃の魔術師ペアが基本単位で、10ペアが交替で任務につく。
「最近、魔王軍がおとなしいな。」
ディーは熱いコーヒーを相棒のザックへ手渡した。
「少し休もうぜ。」
今夜の当直が始まり2時間、詰所に一度報告に戻り、少しの休憩ができる。
お互い同時期に王国軍に派遣された2人は、この1年ほどペアを組んでいた。
王国騎士のザックと王国魔術師団のディー。
派手好きで好戦的なディーと質実剛健を地でいくザックは、正反対なところが意外とはまり、軍で1、2位を争う討伐記録をたたきだしている。
「魔王は何をしたいんだろうな‥。」
ザックはブラックコーヒーを一口すすり、星空を見上げる。
冬の夜空は、星の輝きまでも寂しく映る。
魔王軍の攻撃が始まって100年以上。
王国の北西ラインに出現しては村人の殺戮を行い、彼らが満足すると去っていく。
領土的な目的のない、純然たる暴力の行使。
王国から討伐軍を出すには分が悪く、魔王軍が現れたら撃退を試みる防衛戦は、じわじわと王国の体力を削っている。
「夏にひとつ村を潰したきり、音沙汰がないのが不気味だ。」
「あれは酷かったらしいな‥西部ラインの先輩魔術師がそのあと退職した。」
「そうか。」
「なあザック、お前はやめようと思ったことはないのか?」
「やめる、か‥。」
王国軍への派遣を志願したとき、恋人は泣いて引き留めた。
「やめても食うに困らないだろ?」
「俺は次男だからな、自分で稼がないと。」
「貴族っていっても世知辛いな。」
ザックは子爵家の次男で、幼い頃から剣の指導を受けてきた。
騎士の中ではエリートの部類だ。
何もこんな危険な場所にこなくても、と言われなくもない。
「ピーーーー!!!!」
警笛が響き渡った。
「行くぞ!」
2人はマグカップを放り出し、走り出す。
「年明け早々、ついてないな。」
「ああ、派手にきめてやろうぜ!」
そんな小競り合いを経ながら冬が過ぎ、春も過ぎ。
すっかり暑くなった7月1日。
北部国境基地は魔王の攻撃を受け、壊滅した。
「ー入れよ。」
病室の入り口で佇んでいる影にザックは明るく声をかけた。
「見舞いに来てくれたんだろ、ディー。」
黙ったままベッドの近くまでくると、サイドテーブルに花の鉢植えを置いた。
見舞いに鉢植えか、と言いかけて花を見て納得する。
「ありがとう。」
黄色のダリアの花は、ディーの特別な花だ。
「ーひどい顔だな。」
ディーの土気色の顔を見てザックは笑ってみせる。
「お前の方が怪我人みたいじゃないか。」
「‥すまなかった。」
「あの戦いで半分以上死んだ‥足1本で済むなら上等だ。」
ザックの左足は太ももの途中から先が失くなっていた。
「これだって、ディーが焼いてくれたから助かったんだ。」
魔人の攻撃で吹き飛ばされた左足の傷口を、ディーが魔法で焼いて出血をとめる荒療治のおかげでザックの命は助かった。
命さえ助かれば、あとは治癒魔法で回復できる。
バラバラに散った左足以外は。
「王都に帰るのか?」
「ああ、そうするつもりだ。」
「‥寂しくなるな。」
「‥そうだな。」
強気なディーがそう言ってくれることが嬉しい。
「お前は凄い魔術師だよ。」
魔王とその直属魔人たちの力は凄まじかった。
たった5人で1000人規模の基地を更地にし、半数余りを殺し、残りのうち半数も重傷だ。
ザックたちの隊が生き残ったのは、ディーが魔人の1人と互角に渡り合い、退けたからだ。
そんなディーの相棒だったことが誇らしい。
「さすが、ダリア生え抜きの魔術師だ。」
「まあな。」
ディーは自虐的に笑う。
「俺みたいな生まれだと、ひとつくらい取り柄ないとキツイし。」
ディーは捨て子だったと聞いた。
だから無料のダリアに入るため猛勉強したこと。
育った孤児院に王都に戻るたびにたくさんの土産を持って顔を出していること。
ボランティアにきている男爵家の娘と恋仲だが相手の親に反対されていること。
「お前は魔術師団長になるんだろ。」
「どうかな‥。」
「俺は王都でお前の活躍を自慢する予定なんだからな。」
1週間後、ザックはダリアの鉢を持って実家に戻った。
恋人はザックの顔を見て、足を見て、泣きながら抱きついた。
帰ってきてくれてありがとう、と。
すぐに結婚し、子爵邸の離れで夫婦で過ごして半年後。
兄が独身のまま流行り病で急死し、家督を継ぐことが新婚夫婦に陰を落とすことを、アイザック・クラン・マーカーはまだ知らなかった。