2年生5月:失踪
魔人『悲哀』は黙って上空へ消えていった。
ハンスの言うことをきいたのは意外だったが、ベリアルは魔人の退場に安堵する。
「あれが前に学園に出た魔人で間違いない?」
ハンスはあの騒動のときにいなかった。
思い出を再確認する必要もなく、ベリアルは即座に肯定する。
「はい、卒業式の日でした。」
「んー、とりあえず岸に降りて安全確認。」
ハンスはレナードたちのいる方を見て、眉をひそめる。
「セドリック王子とマーカーくんは‥ああ、あそこか。」
桟橋の近くで、水面の一部が金色に光っている。
『聖域』の結界だ。
「何で潜ってるの‥すぐに引き戻して、」
そこで、初めてハンスの表情が変わる。
「構えろ!」
突如水面が大きく盛り上がり、大量の水が辺りに爆散した!
「なっ‥?!」
不意に水の弾丸を全身に浴びたベリアルは、『飛行』を保てずに湖に墜落する。
飛び散る水の中をセドリック王子の身体が空を舞った。
「殿下?!」
ハンスはセドリック王子を受け止め、そのまま岸に降りた。
「先生、今の爆発は‥。」
「水中に何か大きな魔力反応があったけどもう消えた。」
レナードとファンの前にセドリック王子を横たえる。
「ファンくん、殿下をみてくれ。回復薬あるな?」
「ああ、わかった。」
セドリック王子は意識を失っているが、今すぐ死にそうな感じではない。
それより問題なのは。
「ハンス先生!」
桟橋にたどり着いたベリアルが叫ぶ。
「アリスの結界が消えた!」
沈んだ白い水の中で、キラキラと金色の破片が舞って消えていった。
さっきまであった結界が砕けたことの意味。
ベリアルは大きく息を吸ってまた湖に潜る。
(アリス‥!)
息の続く限り潜るが、水の中は視界が悪くてアリスを見つけられない。
水面に戻り、また潜ろうとしたところをハンスに襟首を捕まえられた。
「先生?」
「一度上がって。」
「アリスが‥、」
「上がりなさい。」
岸に連れ戻されたベリアルは地面にしゃがみこんだ。
急に身体に異常な重さを感じる。
「ランスくん、こっちの陰で休んで。」
「はい‥。」
立ち上がるが、頭がふらふらする。
ふらついた身体をレナードが支えてくれた。
岩にもたれかかるように座りこむ。
すぐそばにセドリック王子が仰向けに横たわっていた。
その胸元が血に染まっている。
「セドリック?!」
「落ち着け。」
ファンがベリアルに体力回復薬を渡す。
「王子の怪我はあいつらが治癒済みだ。」
目線の先には見慣れない男が3人、ハンスに詰めよっている。
「‥いったい、何がなんだか‥。」
「それは俺が聞きたい。」
ファンは乱暴にベリアルの襟元を掴んだ。
「お前、何をしていた!」
ベリアルは目をそらし歯をくいしばる。
「アリスはどうしたんだ!」
「まあまあファンくんも落ち着いて。」
「元はあんたが俺の仕事を!」
「想定外のときにヒトの価値がバレるんだよー。」
あいつらとかね、とハンスの指す先を見るとセドリック王子の護衛3人が地面に転がっている。
「うるさいから眠らせちゃったよ。僕は他にすることがあるのに。」
ハンスは湖の桟橋の先に立つと、両手を広げて空を見上げる。
「‥眩し‥。」
もう昼になろうとする時間だ。
たった2時間くらいの実習で。
(僕の邪魔をしたのは誰だ?)
「『魔力感知』。」
最大出力で広い湖の中全てを感知するが、アリスは引っ掛からない。
水爆と共にアリスの魔力が消えたから、これは想定内。
ハンスは別の魔法を発動させる。
「『魔力痕跡』。」
かすかに残っている魔力残滓を感知する、ハンスの極秘魔法だ。
『聖域』のあった付近で感知した魔力を、自分の中のデータと照合していく。
湖の中から拾える魔力は、アリス、セドリック、そしてあの爆発を起こした魔力と、それと混ざったセドリックの魔力。
(謎の魔力がセドリックに攻撃した‥?)
いや、この魔力は知っている。
この攻撃的な波動はー。
(魔人『憤怒』事件‥。)
ハンスは記憶を手繰り寄せる。
あの場所にいたヒトでない存在。
「アレか‥!」
キャサリン・アーチャーの腕を斬り落としたアリスの召喚獣。
(アリスがセドリックを攻撃した?)
「まだ生きているかが問題か‥。」
もし死んで湖に沈んでいるなら、『魔力感知』に引っ掛からない。
ハンスはベリアルたちの元に戻る。
「ファンくん、学園長に連絡して。」
「‥なんて。」
「討伐実習で事故発生、被害状況は‥。」
まだ意識を取り戻さないセドリックを見てから。
「アリス・エアル・マーカーが生死不明‥至急、『白濁湖』の捜索を要請する。」
ダンッ、とベリアルが拳を地面に叩きつけた。