2年生5月:討伐実習(4)
「ー@#%&ー♪」
湖の方から音が聴こえる。
「ー♪%※@##ー」
(ー歌声?)
ベリアルの身体から緊張が伝わってくる。
眼下の白い霧の海にゆらゆらと波が広がり、押し広がるように霧が薄く散っていく。
わたしたちの真下に姿を露にした湖は、広く、そして湖面が真っ白だった。
湖の周りはよくある自然の風景だけど、白濁した湖面と、そこに突き出した真っ黒な桟橋が異様だ。
「降ろせ。」
セドリック王子がレナードに言い、レナードがベリアルに視線を送る。
「降りよう。」
開けた周囲に魔物の影はなく、わたしたちは湖を囲む柵から少し離れた場所に降りた。
「ー※&@%@#ー♪」
桟橋の先から聴こえてくる機嫌のいい歌声。
青い長い髪を波打たせた女性が、桟橋の先に座って湖に足をつけている。
「~はぁい♪」
敵意のない無邪気な笑顔で、彼女はわたしたちににっこりと手を振った。
「せっかくご招待したのだから、アタシの歌を聞いてくださる?」
「お前が『セイレーン』か。」
セドリック王子が剣を抜くが、その場から動けない。
「そうーどんな哀しみもアタシが癒してあげるわ。」
彼女は一人で進むのがやっとの細い桟橋の先に座っている。
その真っ黒な桟橋も異様な質感で、これを渡るのは罠に嵌まりにいくようなものだ。
『セイレーン』
魚の尾をもつ女性の姿をした海の魔物。
その歌声は船乗りを惑わせて海に沈めてしまうという、死の歌姫だ。
彼女の誘惑の魔句は、魔法防御力が高い者にはほとんど効かない。
水中に逃げられれば倒すのが難しく、しかしこちらが倒されることもないーだからレベルC程度でランク付けされる。
「退き時だ。」
ベリアルがセドリック王子の肩に手をかける。
「ーベル、『飛行』であいつにひと当たりできるか?」
「周辺魔物の掃討は完了した。」
「しばらくあいつの気を引いてくれ。湖に潜って調べたい。」
「湖の中に何がいるかわからないぞ。」
「だから調べる必要がある。」
セドリック王子の言うことも一理あり、そしてなにより退く気がなかった。
「ーわかった、もめる時間が勿体ない。」
「ベル、僕も援護するよ。」
レナードは『飛行』を使えるけれど、わたしは使えない。
「わたしはセドリックの防御にまわるわ。それでどうかしら。」
「頼む、レナード、アリス。最長で10分ーいいなセドリック。」
「ああ、わかった。」
「それとポーション1本、お前持ちな。」
ベリアルはもう1本『金のポーション』を飲みほしてから魔装具を構える。
「いくぞー『炎矢』!」
魔法を撃ち出してすぐベリアルたちが空に舞い上がり、セイレーンとの追いかけっこが始まった。
「結界で空間を確保しますね。」
わたしは先に湖に浮かんで『聖域』を発動した。
セドリック王子も見えるように魔力濃度を上げると、湖に半分沈んだ淡い金色の箱が出現する。
「入ってきてください。」
ザブンとためらわずに飛び込んだセドリック王子がわたしの側に泳いできた。
「変わった結界だな。」
結界の壁をすり抜けたのが気になるのか、セドリック王子は境目から手を出して何やら動かしている。
「湖の中に結界を拡げますが、どちらの方にしますか。」
「底だ。何が沈んでいるのか気になる。」
「わかりました。」
面積はあまり広げずに、底に向かって結界を伸ばしていく。
30mくらいで結界が何かに引っ掛かった。
「潜ってみますか?」
「ああ。」
湖をこじ開けたような結界の中は、ぬるいプールを沈んでいく感じだ。
「息ができるのか。」
「え? そうですね。」
湖の中だけど湖の中ではない、不思議な浮力のある空間。
わたしは慣れてしまったけれど、説明が難しい結界だ。
(例えば羊水の中にいるようなー。)
「ーもったいなかったな。」
「はい?」
半分ほど結界を潜った所だった。
「っ!!!」
わたしの左胸から剣先が突き出しているのはなぜ?
ズルリ、と刃が身体から引き抜かれる。
背中への強い衝撃。
(な、に‥。)
前に飛び出した身体が『聖域』を越えて、パンッと結界が消える。
乳白色の中に広がる赤。
(ああ、この色は‥。)
わたしがいつも最期に見る色だ。