1年生3月:『復活』
冷たい世界の中で、ふと口元に熱を感じた。
唇から喉へ流し込まれるなにか。
よくわからないけれど、自分の呼吸の音が聞こえる。
(わ、た、し‥?)
こくん、と喉が動く。
喉からお腹の方へ熱が広がっていく。
「そうだ、もっと飲めるか?」
誰かの声。
また唇にやわらかい熱がふれて、甘い液体が注ぎこまれる。
「そう、いい子だ。」
背中に回された腕の力が、わたしがここにいることを教えてくれる。
(な、に、が‥。)
いきなり真っ暗になって、身体中が痛くなって。
ぼやけた視界に入るのは、ファンさんの真剣な瞳だけ。
「ん‥。」
また唇に甘い味がして、液体が口移しで注ぎ込まれる。
「ファ、ン、さ‥。」
「まだ喋るな。息はできるか?」
ー『騎士の宣誓』受諾を確認したため、フレッド・ファン・ウッドを『聖女の騎士』と認定しますー
ゆっくり息を吸い込むと喉がピリッと痛んで思わず咳き込んでしまう。
「いっ‥!」
咳の反動で全身に痛みが響く。
「大丈夫、大丈夫だ。」
ぎゅっと抱きしめて、背中をやさしくさすってくれる。
「ファン、どういう状況だ?!」
「即効性の毒を撒かれました。拡散しましたが安全確認をお願いします。」
「お前は無事か?」
「俺は完全耐性があるんで。」
「わかった、まだ全員降りるな!」
ふわっと空からの暖かな風が頬をかすめていった。
その後、とんとんと何人もが地面に降り立つ。
「一班は救護を最優先、二班は魔人の確保、三班は周辺封鎖だ!」
「魔人、動きません! このまま確保します!」
「封鎖は別動班が確保済み、救護を行います!」
「救護班、こっちを頼む! 毒消しは飲ませたが、まだ足りない!」
ファンさんの声で、わたしはすぐに柔らかな布の上に寝かされた。
「『解毒』。」
「『中級回復』。」
かけられた魔法の効果でふっと体が軽くなる。
(魔法ってすごい‥。)
「ありがとう、ございます‥。」
目を開けると、ファンさんが頷いてくれた。
「このまま運びましょう。」
担架がすっと持ち上げられて、ゆっくり景色が動いて、その途中で。
「少年1名、死亡確認‥!」
「ディック、ディッーク!!」
響き渡るベリアルの絶叫。
「待って‥!」
わたしは担架を運ぶ人の手を押さえた。
そのまま担架から転がり落ちて、地面に這いつくばる。
「アリス?!」
「ファンさん、わたしをディックのところに‥!」
ファンさんは黙ってわたしを抱き上げて、ディックのところに運んでくれた。
「ディック、嘘だろ、ディック‥!」
ベリアルがディックの細い体を揺さぶり、シャツに涙がパタパタとこぼれていく。
わたしはベリアルの隣に降ろしてもらい、彼の震える背中に手を添えた。
「アリス‥。」
ベリアルはわたしを見つめて何かを言いかけたけれど、次の言葉を紡がなかった。
「どうして‥。」
ディックは攻略キャラクターのひとり。
来月ダリア魔法学園高等部に入学してくる、生意気な年下の男の子。
「わたしは助かったのに‥。」
エリオスがうつむくわたしの左側に膝をついた。
「そのピアスがなければアリスも死んでいたよ。」
エリオスがわたしの耳にふれると、真っ黒になったピアスが手の中に転がっていた。
「このピアスが振りきれるほどの毒なら即死だ。」
ディックの顔は青白く、苦痛に歪んでいた。
光を失ってしまったエメラルドグリーンの瞳。
彼が死んでしまうなんて。
「ミス・マーカー、やめなさい。」
学園長が後ろからわたしの肩に手を置いた。
「『中止』。」
その言葉で体が固まった。
「ミス・マーカーを救護室へ運んで。」
「学園長‥!」
「ランスくんも診察を受けるように。ウォールくんもね。」
学園長の部下たちがわたしたちを連れていこうとする。
ーダメだ、動けわたし!
「はあっ!」
気合いで両脇を抱えるようにする部下二人を蹴り飛ばし、ゆるんだ腕からすり抜ける。
「クララ!」
「はーい、アリス呼んだぁ?」
『召喚の輪』から少女の姿をとった使徒『クラーケンのクララ』を呼び出して命じる。
「誰もわたしに近づけないで! でも大きなケガさせないで!」
「えー、それ難しい~。」
口を尖らせたクララはすばやい動きでわたし以外の全員をーベリアルやエリオスもー投げ飛ばしていく。
「『聖域』。」
わたしはディックの身体と結界の中に閉じこもった。
「ミス・マーカー、その結界は出入り自由なはずだ。」
学園長がかまわず近づいてくる。
「ーいいえ、破りたいなら魔法で攻撃してください。」
何度も『聖域』を発動して感じたことがある。
この中は、わたしが守りたい者だけを許す空間。
完全な物理防御と一定の魔法防御力を持つわたしだけの世界は、発動したときの『設定』で、排除できるものが変わる。
魔道具の攻撃も設定していたら、あの毒の珠も排除できていたかもしれない。
だから今は『誰も入れない』と思って発動させればそれで足りる。
伸ばした学園長の手は、見えない壁をペタペタさわるだけだ。
「わたしに攻撃魔法を使いますか? ーその場合、ディックもめちゃくちゃになりますよ。」
「ディック・メイビス・ブレイカーくんは死亡が確認された。」
「‥そうですね。でもこれまでは認めてくれてましたよね?」
「君の魔法を公式に残すわけにはいかないんだ。」
「では今回もうやむやにしてください。」
「ーきりが無いんだ。そのうち君に助けてほしい人が君の前に行列を作る。」
「だからなんですか!」
わたしはディックの目を閉じさせ、そのまま右手をあてる。
「ーごめんなさい。」
特別な魔法を使える者の、傲慢な考えなのだろう。
生誕祭の夜、不器用な想いをぶつけてきたディック。
わたしは彼を、失いたくない。
「ー『復活』ー」
金色の強い光が、わたしたちを包みこんだ。