1年生2月:林間学校(9)
まずは冷えた体を温めておいで。
ハンス先生にそう言われて、ホテルの最上階にある露天風呂に案内された。
VIP用の設備で、要は露天風呂付きスイートルーム。
浴場は他のお客さんもいるので、こちらの方がゆっくりできるでしょうとホテル側が提供してくれた。
「わあ、贅沢~。」
大理石の浴槽に寝そべるみたいに肩までつかると、満天の星空が広がった。
露天といっても寒くないようにガラス張りの仕様になっていて、湯気でくもらないようにしてるところがさすが高級リゾート。
「気持ちいい~。」
とろっとした乳白色の温泉は、ちょっと熱くてとてもわたし好み。
ぽつぽつと置かれたキャンドルの灯りは、ほの暗いけれどロマンチックな雰囲気だ。
んーと伸びをすると、左手の『召喚の輪』が目に入った。
(そういえばさっき消えちゃったけど‥。)
「クララ!」
「あっつーい!」
喚ぶと湯船の中からクララが現れる。
「もーアリス、もっとちゃんとしたところに喚んでー。」
服ごとずぶ濡れのクララは、すぐに湯船から上がってしまった。
「ごめんね、クララ。お洋服ずぶ濡れにしちゃった。」
「これ服じゃないからだいじょーぶー。」
クララがぶるぶるっと体を振ると勢いよく滴が舞った。
「このスカート、布じゃないの?」
クララは可愛いミニ丈のワンピースを着ている、ように見える。
「クララの体だよぉ。」
スカートの裾を指で挟むと、なんとも言えないもちっとした弾力がある。
「くすぐったいー。」
なんて言いながらクララがじゃれてきてくれて可愛い。
「ねえ、なんでさっき消えちゃったの?」
クララはお風呂の縁に腰かけて、足でお湯をぱしゃぱしゃ蹴っている。
足は人間っぽく変化しているのに、腕は触手のままなんだよね。
「クララ、結界の中に入れないのー。」
「入れない?」
だから『聖域』を展開したら消えてしまった?
「クララはわたしの『使徒』なのに‥。」
「アリスのお部屋は魔物ダメだから、クララもムリー!」
ばしゃん、とクララが強く蹴ったお湯を真正面から顔に浴びて、わたしは思いっきりむせてしまった。
「ごほっ、ごほごほごほっ!」
「大丈夫ですか?!」
誰か来る?
(クララ!)
咄嗟に召喚を解除する。
ざぶざぶと近寄ってきた誰かは、顔を両手で押さえて咳き込むわたしの頭にタオルをかけて、丁寧にお湯を拭き取ってくれる。
「眠っちゃいましたか?」
‥溺れかけたと思われてる。
大丈夫とまだしゃべれないけど、タオルを受け取って自分で顔を押さえる。
何度か深呼吸をして。
「ありがとうございます。」
タオルから顔を上げて、お礼を伝えた相手は。
「ベリアル?!」
「アリス?!」
ここはお風呂で、わたしは裸で、彼もそうで、だから、だからー。
「っ!!」
左手で胸を隠すのと同時に、右手がベリアルの頬に炸裂していた。
「‥どうか忘れてください‥。」
冷たいタオルで左頬を冷やしているベリアルに、わたしは頭を下げた。
くっきりと、わたしの手の跡が赤くついている。
原因は、ベリアルがわたしと同じように案内された隣のスイートルームが、お風呂で繋がっていたことだった。
上流貴族や政治家が、秘密の誰かとお忍びで過ごすためだとか。
(大人っていったい何やってるのよ‥。)
「あの、『治癒』をかけましょうか?」
「ごめん、大丈夫だから今はほっといてくれないかな。」
お互い服を着ているのだけど、ベリアルはわたしの方を見ようとしない。
「俺は、これが事故なのをわかってくれればいいから。」
「それは、はい‥。」
駄目だ、なんだかすごく恥ずかしい。
「あの、ベリアル、」
「食事が準備されているはずだから、行っておいでよ。」
「それならベリアルも。」
「助けた男の子の家族がアリスを待ってると思うよ。」
時間は9時を過ぎたところだった。
「‥行ったほうがいいですね。」
「うん、そうした方がいい。俺はなんとでもなるから。」
ああ、これだけは伝えないと。
「ミハイルくんを助けてくれて、ありがとうございました。」
「‥アリスが守ったんだよ。」
「いいえ。」
あまりに強い否定だったからか、ベリアルが振り向いた。
「ベリアルが引き上げてくれたとき、とても嬉しかったから。」
それだけ言うと、わたしは部屋を出た。