1年生2月:林間学校(6)【改稿】
「かはっ‥!」
背中にはしる痛みに、悲鳴とも叫びともわからない声が出る。
転がり落ちかける子供に手を伸ばしてギリギリで捕まえたけれど、わたしも勢いが止まらずに彼を胸に抱えたまま沢に落ちてしまった。
軟らかな雪が衝撃を受け止めてくれたけど、普通なら死んでもおかしくない高さだ。
枝に積もった雪のせいか、あまり陽の光が射し込まずに薄暗い場所だった。
「う‥うわああー!」
男の子が火のついたように泣き出した。
「ママー、ママー、ママー!」
わたしのお腹の上で丸まって泣きじゃくる。
なんとか腕を持ち上げて、男の子の頭を撫でながらぎゅっと抱きしめた。
「ミッくん、ミハイルくん?」
「ママー、痛いよー、怖いよぉー!」
まだ小さな子がパニックになるのも仕方がない。
わたしは空を見上げながらゆっくり深呼吸をする。
胸を大きくふくらませると、背中に鈍い痛みを感じた。
この子を守れるのはわたしだけ。
痛みにのまれないよう、呪文に集中して彼の細い首にそっと手をあてる。
「『治癒』‥。」
いつもと違う、ざわっとした魔力が全身から立ち上る。
(なにが‥?)
ほわっと暖かな光がわたしたちを包んだ。
「わぁ、キレイ‥!」
キラキラと周りで舞う光の粒に男の子が手を伸ばす。
沢の底から狭い空に向かって、蛍のように舞い上がって消えていく。
ー治癒魔法レベル2『慈愛』発動を確認、レベル5までの習得により『聖女(中級)』へ昇格しますー
久しぶりに誰かの声が聞こえた。
「お姉ちゃん起きて、キレイだよ!」
男の子が光を掴もうと雪の上をぴょんぴょん飛び跳ねている。
「うん、キレイだね。」
わたしは起き上がると彼と手を繋いだ。
「ママのところに帰ろうね。」
と言ったものの。
「けっこう高いなぁ‥。」
あそこから落ちたみたいだけど、学校の校舎くらいの高さがある。
雪がクッションになってくれたとはいえ、よく無事だったものだわ。
ハンス先生が魔力感知で見つけてくれると思うけど、もうすぐ日が暮れる。
夜明かしスペースを確保するほうが先かな。
そんなことを考えていると、パキッと後ろから枝が折れる音が聞こえた。
獣臭い匂いが近づいてくる。
彼を背中に隠しながら振り返ると。
「『聖域』!」
迷わず結界を発動する。
わたしの倍はあろうかという熊が鋭い牙をむき出しに襲いかかってきた!
「ミッくん、わたしの側から離れないで!」
熊の爪は結界に阻まれてわたしたちには届かない。
魔物でもない普通の熊に突破される結界じゃない。
だけどそれは彼にわかることじゃなくて。
わたしはしっかりと彼の手を握りしめておくべきだった。
「わー、助けてぇー!」
熊を倒そうと拳を構えたわたしの後ろから、彼は一目散に走り出してしまった。
結界魔法『聖域』はほとんど見えなくて、発動していることがわかりにくい。
他の結界魔法が『盾』や『壁』を創るのと違って結界の境界がないというか、わたしが認識した外敵やその攻撃は弾くけれど、それ以外の人は出入り自由なのだ。
だから彼はあっという間に結界の外に出ていってしまった。
(すぐ追いかけないと‥!)
右手の指輪をナックルに変化させ、勢いよく熊の顎を下から撃ち抜く。
熊は大きく手を広げて仰向けに倒れて動かなくなった。
「よぉしっ!」
熊殺しの右‥いや『聖拳突』、健在!
すぐに踵を返すと、小さな足跡を辿りながら彼を探す。
「ミハイルくーん、返事してー!」
足跡をひたすら追いかけて、岩の陰に隠れていた彼を見つけた。
手を広げると胸にしがみついてくる。
「怖かったね、お姉ちゃんがやっつけたからもう大丈夫だからね。」
「ううん、僕逃げちゃった‥ごめんなさい‥。」
ベソベソと泣きながら謝ってくれる。
小さくても男の子なんだなあ。
「危ないときは逃げていいのよ。でもお姉ちゃんが必ずミッくんを守るから、お姉ちゃんの手を離さないでね。」
「お姉ちゃんのお名前なあに?」
「アリス、よ。」
「アリスお姉ちゃん、強いんだね!」
無邪気な笑顔が、とても嬉しかった。