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1年生2月:林間学校(3)

「なあ、アズだよな?」

アズ、と、呼ばれる心当たりはそうない。

「‥店長?」

夏の一時期にバイトしていた居酒屋の店長。

「やっぱアズだー、久しぶりだな!」

高いテンションで、バンバンと背中を叩かれる。

「相変わらず細ぇなぁ。ちゃんと食わねぇと、」

そこで彼の目が細くなる。

「‥お前、女だったの?」


わたしは『アズ』という名前で男の子のふりをして、彼の店で雑用をしていた。

「なんだよ、女ならもっと稼がしてやったのに。ってかお前もここでバイトしてたの?」

「あの、店長はなんでここで。」

「あー、もう店ないの。ドラッグで捕まっちゃって潰しちゃった。」

ドラッグで捕まった?

「お前さぁ、何かいい儲け話あったら俺にも回してくれよ。どーせお前も金に困ってんだろ?」


「うちの生徒に何のご用ですか。」


前触れもなく、わたしと店長の間にハンス先生が割り込んだ。

「こんな時間に女子生徒に絡むとか、やめてくださいね。」

「は? 生徒って今日はダリアの1年生しか‥。」

「ほらマーカーくん、消灯時間だから戻るよ。」

「マーカー? マーカー子爵の?」

ハンス先生はわたしの背中を押して部屋の方へ進ませる。


「おう、アズ!」

わたしの背中に店長が声を投げつける。

「近いうちに王都の屋敷に行くから、子爵様によろしくな!」


‥これは、もしかして脅迫なんだろうか。


「あんなの気にすることないよ?」

ハンス先生はわたしの真後ろについて、店長の視線から隠すように歩いていく。

角を曲がって階段を上がって踊り場を曲がって。

わたしたちの部屋があるフロアを通りすぎた。


「あの、今のフロアが」

「気づいてないみたいだけど、顔色ひどいから。」

ハンス先生はある部屋の鍵を開けて、わたしを中に入れる。

「座って待ってて、お茶もらってくる。」


ツインベッドの、わたしたちと同じつくりの部屋。

茶色のボストンバッグがひとつ、無造作に床に置かれている。

ソファーに座ったほうがいいのかわからず、何となく立っていた。


「お待たせ~って、そんなぽつんと立ってないで。」

ハンス先生がローテーブルにティーセットを置いて、ソファーに座る。

「時間遅いけど、甘めにしてもらったよ。」

注がれたカップからキャラメルの香りが立ち上った。

「少し温まって落ち着こう?」

「‥わたし‥」


ハンス先生は立ったままのわたしの手を握った。

「すごく冷たくなってる。」

そのまま引っ張られて、ハンス先生の向かい側に座ってしまった。


「脅迫は最初の対応が大切なんだ。子爵家の名誉を傷つけないためにも、」

店長は『子爵によろしく』と言った。

「必ずマーカー君の力になるから、事情を話してほしい。」

ハンス先生に促されて、わたしは年齢をごまかして居酒屋で働いていたことを話した。


病気が進んで、母がほとんど寝たきりになってしまったあの夏。

わたしはまだ14才で、ご近所のお手伝いをしてお駄賃をもらったり、野菜をわけてもらったりしてなんとか生活していた。

中学生の労働は禁止されているから昼間にちゃんと働くことができないけど、母を教会に看てもらうにはかなりのお金が必要だった。


どうしても、母を治したかった。


素性を隠しても雇ってくれるのは、ちょっとダークな部分がある店ばかりで。

店長のところでも家出少女をこっそり働かせたりしていて、わたしの『16才』の嘘にも何も言わず、厨房の雑用で夕方から10時まで雇ってくれた。


「まあ年齢詐称があったとして、それだけ?」

「店長、ドラッグで捕まったそうなんです。」


わたしが働いていた10時まではよくある居酒屋だったけど、ちょっとヤバい噂があった。

深夜から朝方にかけて常連だけで派手に騒いでいたり、半裸の女の子が酔っぱらって店の周りで踊っていたり。


「わたしが働いていた時も、ドラッグパーティーの噂がありました。」

「マーカー君もやったの?」

「やってません!」


じゃあたいしたことないじゃん、とハンス先生が興味無さそうに呟いた。

「子爵令嬢が未成年で怪しい店に出入りしてドラッグやってました、みたいな感じにするつもりかな?」

ハンス先生が首を傾げながらカップを手に取る。

つられて、わたしもようやくキャラメルミルクティーに口をつけた。


「甘っ!」


香りも味もかなりの濃さで、飲みこむとすぐ胃が熱くなる。

「激甘でしょ?」

「なんだか体がポカポカします。」

「うん、マーカー君は何も心配しなくていいよ。」

ハンス先生が体を乗り出して、わたしの頭を撫でた。


「ーお母さんのために、よく頑張ったね。」


先生の言葉が、じわりと胸に染み入る。


「顔色、だいぶ良くなった。」

ハンス先生の大きな手のひらがわたしの頬を包んだ。


ードクン、と体の奥がざわめく。

両手から熱が伝わってくるような、ふわっとした波がわたしを襲う。


でもそれは一瞬のこと。


わたしは顔を引いて立ち上がると、ハンス先生に深く頭を下げる。

「ありがとうございます、ご相談できて良かったです。」

部屋の時計はもう11時を過ぎている。

「そうだね、部屋まで送ろう。」

そうしてわたしはリリカの眠る部屋に戻った。


ーアリスを送り届けて部屋に戻ったハンスは、ポケットに忍ばせていた小瓶を眺める。


(効かなかったな‥)


一瞬だけアリスの雰囲気が変わったけど、すぐに平常に戻ってしまった。

効きかけたけど何かにキャンセルされた感じか。

聖女の力で浄化されたか、解毒のアイテムを装備していたか。

アリスは元の魔力が大きいので、ちょっとした魔法が発動していてもまぎれてしまって感知しにくい。


「けっこう効く薬なんだけどな。」

ハンスはベッドに転がると、この『催淫剤』がアリスに効いたシチュエーションを妄想しながら眠りについた。

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