火恋の山
あぁ、街で見るより、星がきれいなんだな……。
ゆっくりと仰向けに倒れながら、ラドリッドは、一瞬すべてを忘れて空を眺めていた。
きっとアリシアの村では、もっときれいに見えるのだろう。
いつか、一緒に見たいものだな……。
しかし倒れ落ちた瞬間に全身を激しい痛みが襲い、はっと意識が戻り、うめき声を上げた。
くそ…、この妙な武器のことも、帰って報告せねば……。
自分の腹と胸を深々と貫通している槍と、左の胸当てにぶら下がる三日月刀を憎々しげに睨む。
しかし……。
なんとか城まで戻る道程を思惑するが、
これは果たして…。
ゆっくりと頭や体が冷え始めるのを感じていた。
この傷では、アリシアをかついで山を降りることなど…。
「!」
そこでアリシアの存在を思い出し、
「アリシア……!」
力の入らぬ体で、必死に声を上げて呼び掛けると、こちらへ這い寄ってくる音と共に、
「ラ……ラドリッド……?」
震える声が耳に届いた。
「良かった……。お前は無事なのだな……」
その声に安堵の息をもらすラドリッド。
「ラドリッド!」
ラドリッドの元へ辿り着き、アリシアがその顔に触れた。
「ラドリッド!!ごめんなさい……私のせいで……ごめんなさい…ごめんなさい……ラドリッド……ぅ…ふえぇえぇぇ……!」
アリシアは、ラドリッドに抱きつきながら、大声で泣きじゃくり始めた。
ラドリッドはその頭を、まだ動く右手でそっと撫でた。
「ごめんなさい……ラドリッド……ごめんなさい……」
ラドリッドにしがみついたままむせび泣き、詫びの言葉を叫び続けるアリシア。
「いいんだ…アリシアが無事なら……。これは俺の……そして騎士団の未熟さが招いたことだ……。お前のせいじゃない……」
それでも謝り続けるアリシアを、諭すように優しく頭を撫でながら、
「謝るのはむしろ俺の方だ、アリシア……。こんな無様な姿では、もはやお前を守れそうもない……。本当にすまない……」
その言葉にアリシアは顔を上げ、
「いやよ!何よ!騎士なら約束守ってよ!一緒に帰るって、私を守るって言ったじゃない!!ラドリッドぉ……!お願い……起きて……帰ろう……?お願いぃ……」
とまたラドリッドにしがみついた。
「本当に…すまない……。……敵の狙いは俺だ……。お前はなんとか街へ……ディーゴのところへ戻れ……。そしてディーゴにすべて伝えるんだ……」
「いやよ!行かない!一人なんかじゃ行けない!お願い……一緒に帰るの!『翼』の騎士はこんなところで負けたりしないわ!だから…お願い……」
アリシアはラドリッドにしがみついたまま強く首を振る。
「アリシア……」
「いやっ……!」
さらに強くラドリッドを抱きしめるアリシアに、意識も朦朧とし始めたラドリッドは、どう言葉をかけたらいいのか、もはや思いつかなくなり始めていた。
アリシアの体温が、暖かかった。そのぬくもりの中に目を閉じ、眠ってしまいたかった。
アリシアの頭を優しく撫でながら、すまない、と再び謝り、
こんなことなら、もっと早くにちゃんと伝えておくべきだったな……。だがここは…北の山だ……。……そうだ…、ここは北の山か……。
何かを思い出す。
「アリシア……」
「ラドリッド……」
答えるが、しがみついたままのアリシア。
「アリシア……、俺は大丈夫だ、アリシア…。俺は『翼』の騎士、いくさ場で戦うことが俺の使命…宿命だ…」
しがみついたまま、無言で首を横に振るアリシア。
ラドリッドは続ける。
「だが、『翼』の騎士は、こんなところでこんな無様な姿を晒しておくわけにはいかない…。……ちょうどここは、北の山だ」
アリシアが、そのことを思い出したように、動きを止めた。
「…この山の力を使って……俺を燃やしてくれないか……」
顔を上げ、大粒の涙に濡れた目を見開き、ラドリッドの目を見詰めるアリシア。
「俺は…、おそらくもう街へは辿り着けない……だから……」
「いやよ!!何言ってるのよわからないわラドリッド!!あなたは私を守るの!私を連れて家に帰るのよ!何よ!何よ!勝手なことばっかり……!そんなの……いやよぅ……!」
「頼む……もう……」
「いやっ!いいから起きて!ラドリッド!………ラドリッド!?ラドリッド!!いやっ!!起きてよ、目を開けてよ!!家に帰るの!一緒に帰るのよ!!『翼』の騎士でしょう!?絶対に負けない!死んだりしない!!お願い!お願いだから……!!ラドリッドぉ……」
言葉を返さなくなったラドリッドにしがみつき、大声で呼びかけながらむせび泣くアリシア。
すまないアリシア……結局俺は……お前に何も……。
言葉を返す気力も失われ、ラドリッドは耳元のアリシアの声でかろうじて意識をつなぎとめながら、己の不甲斐なさを悔い、心の中で詫びていた。
やがてどのぐらい経ったか、アリシアの泣き叫ぶ声は、背を震わせながらも、静かなすすり泣きに変わっていた。
ラドリッドは暖かな静寂と闇に包まれ、ゆっくりと意識が遠のいていくのを感じた。
その時。
好き…
ささやくような声が聞こえ、ラドリッドの足の爪先に火が灯るが、すぐに消える。
ラドリッドは、ぼんやりと溶け合う遠い闇の中で、アリシアがこちらに向かって何か言っているのを、見たような気がした。
あぁ……そうだ…それでいい…、アリシア……。すまない……お前には苦労ばかり……。こんなことまで……本当にすまない……ありがとう……俺は大丈夫だ……だからもっと大きな声で……。
「好き」
その言葉ははっきりとラドリッドの耳に届き、朦朧と彷徨い消えかけていた魂が、弱々しくではあるが確かに、引き戻されてラドリッドに再び宿った。
ラドリッドははっと目を開けた。
暗闇が星空に変わり、焦げ臭いにおいが鼻についた。
アリシア……?
目をやると、アリシアはラドリッドの顔を強く抱きしめたままで、固く目を閉じていた。
「ア…リシ…ア……」
必死に声を振り絞ると、驚いたアリシアが目を開き、ラドリッドの顔を確かめる。
「ラドリッド……!!」
涙を溢れさせながら、微笑むアリシアだったが、
「離れろアリシア……これでは……お前まで……」
と言うラドリッドに、笑みを止め、怒ったような顔をして首を横に振った。
「いや……!絶対に離れない……!」
そう言って再びラドリッドを強く抱きしめる。
「アリシア……」
ラドリッドはアリシアを押しのけて自分から離そうとするが、体には全く何の力も入らなかった。
「いや……絶対に離れない……………好き……絶対離さない…ラドリッド……あなたのことが好き……本当に大好き……だからもう絶対に離さない…離れない……」
ラドリッドの腕や足に火が灯り、マントや甲冑の中の衣服に少しずつ燃え広がっていく。
もはや体には何の感覚も無く、痛みは何も感じなかったが、アリシアの服の裾や髪にも燃え移りそうな炎に、
「アリシア…」
と呼ぶが、アリシアは全く離れようとはせず、むしろさらに力強くラドリッドを抱き締め、再び、好き、とつぶやいた。
アリシア……すまない…………いや……こういう時は、ありがとう、なのだったな……
ラドリッドはアリシアとの日々を思い起こしながら、目を閉じた。
こんなことなら……、もっと早くにちゃんと言っておくべきだった…アリシア……
「アリシア……」
ラドリッドはゆっくりと目を開け、
「俺もお前のことが…ずっと……」
「うん……言って……」
アリシアはラドリッドの首を抱いたまま顔を上げずにささやく。
「お前のことが……好きだ」
アリシアの背に小さな火が生まれ衣服を焦がし始める。
「聞こえないよ……ちゃんと言って…」
ラドリッドにしがみつく腕に力がこもる。
「アリシア…好きだ…!」
先程よりも大きな炎がアリシアの腕に上がり、二人を包み込んでいく。
その痛みに耐えるようにラドリッドにしがみつきながら、
「聞こえない……!もっとちゃんと言って!ラドリッド!!」
アリシアが叫ぶ。
ラドリッドは最期の全ての力で、大きく息を吸い込んだ。
「好きだーッ!!」
その爆発とも言うべき火柱と轟音は、北の門からも、街からでも確認できるほどだった。
「ありゃあ、なんてこった、やっちまったか」
大きな音に振り返り、空にも届くような炎の柱に、中年の門番が間の抜けた声を上げて驚く。
「おいおい、ヤベェって、知らねぇぞ、どうすんだよおっさん!」
若い門番が焦って、中年の腰を拳で突く。
家で眠っていたディーゴも爆発の音と振動で目を覚ました。
「なんの騒ぎじゃ……アリシアさん!おぉい、アリシアさん!」
家中を探すが、アリシアの姿はどこにも見当たらなかった。
アリシアを探して家の外へと出ると、北の山の中腹から、まるで噴火でもしたかのような火柱が上がっているのが見えた。
「これは一体……」
北の山で誰かが……。北の山と言えば、そういえば昼間、ラッドが北の山を越えて密命を果たしにしばらく出ると、シーラから聞いておったが……。
ラドリッドが命を落とすかも知れない今回の任務に、かつての同僚であるディーゴへの気遣いか、文官長は珍しく自らディーゴの元を訪れ、詳しくはないが、ラドリッドが一人長旅に赴くことになったことを伝えていた。
「ラッド……それにアリシアさん……、……まさか」
矢のような速さで走り出すディーゴ。
北門に向かって、道も無視した最短距離を飛ぶように駆け、門も止まらずに走り抜ける。
大騒ぎしている門番の横をすれ違う時に、
「ラドリッドー!アリシアちゃーん!ぐぅ…、本当にすまねぇ…、俺が通したばっかりに…」
ぐしゃぐしゃに泣きながら詫びる中年の声を聞いた。
やはり…。
ディーゴはさらに速度を上げて山中へ、すでに炎は収まり黒い煙のみが高く上がっている、その方向へとすさまじい勢いで消えていった。
ぬ……。
焦げ臭い中にも、辺り一面に漂う血と死のにおいに気が付き、走りながらも少し警戒するディーゴだったが、生きた殺意の気配は感じられなかった。
足元に転がる黒装束の死体を飛び越える。
これは……。
さらに煙の上がる方へと近付くと、暗闇の静寂の中で、おびただしい数の肉片と武具が転がっているのが確認された。
だが、それらの赤黒い残骸の中に、ラドリッドとアリシアの姿は無い。
さらに走り抜け、鎮まりかけている煙の方向へ、川を一気に渡り終え、対岸の大岩に辿り着いたディーゴは、そこですべてを察した。
辺りは静寂に包まれ、川のせせらぐ音だけが響いていた。
そこには、真っ黒に燃え尽きた炭と灰になりながらも、強く固く抱き合ったままの二つの人影があった。
腹と胸を貫く槍と共に燃え残った鋼鉄の甲冑には、見慣れた一○一騎士団の紋章が刻まれていた。
「ラッド……アリシアさん……なんという……そんな……どうしてこんな……」
ディーゴは その前にひざまずき、嗚咽を漏らした。
「なんという……すまぬ……二人とも……なんという……」
老人はしばらくの間、その亡骸の前で声を上げて泣きながら詫びていた。
が、やがてどれぐらい経った頃か、泣くのをやめ、ふらりと立ち上がると、アリシアとラドリッドに目をやり、
「もう、こんな老いぼれには、残ったものなど何も無いわぃ……」
と、山の奥深くの暗闇の中、街とは反対の方角へと、音も無くゆっくりと消えていった。
その後、ディーゴの姿を見た者は無い。
その国も、何度かの同様の作戦を試すがすべて失敗に終わり、やがて攻め入ってきた大国との長い戦の末に敗れ、今ではどの地図からも姿を消したという。
「火恋の山」 終




