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火恋の山 ‐ヒレンノヤマ‐  作者: 遠矢九十九
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騎士

一方でラドリッドは、突然現れた同居人にとまどいながらも、これまで通り日々忙しく任務に励む。


生活は非常に不規則で、アリシアと同じ時間に家にいることはほとんど無く、実際のところ、家で二人が遭遇する機会は少なかった。


ただ、ラドリッドにとって以前と大きく変わったことと言えば、今まではディーゴがおおまかに用意していて、時には自分で作ることもあった食事が、いつ帰ってきてもきちんと作り置きされていて、火にかけるだけで食べられる状態になっており、しかもどれもとても美味しいということだった。


それから、風呂上がりにアリシアと遭遇したり、逆に、風呂上がりのアリシアと遭遇したりして、気が動転して思わず、


「風呂は、その、俺が先に入るべきか、それともアリシアが先に入るべきだろうか。散々汗をかいて帰ってきた俺のあとでは、湯が汚れていて嫌なのではないか?しかしアリシアの後に俺が入るのも、なんというかその…」


などとわけのわからないことを口走り、


「そんなこと言われたら、こっちまで変に意識しちゃうじゃないのよ、馬鹿」


などとアリシアが顔を赤らめてしまう場面もあったが、


「私だってもういい歳で、今までずっと家族と暮らしてきたんだから、そんなこと気にしたこともないわよ」


と一蹴され、自分の愚かな発言に逆に恥かしさがこみ上げ、無言で家に帰っていくラドリッド。


窓越しにその背を見送りながら、


「真面目というか…、もはやただのお子様ね…。本当に精鋭の騎士なのかしら」


と、アリシアは苦笑いする。


街で話している中で、自分がディーゴのところに住んでいるというと、かなりの割合でラドリッドの話が出た。


そして必ず、アリシアを見ては、なるほどねぇ、などと何かを勝手に納得された。


やっぱりみんなしてラドリッドに私をくっつけようとする気配を感じるわ、などと思いながらも、しかしそれと同じぐらいの確率で、老若男女問わず、ラドリッドについての賞賛や羨望の声も耳にする。


若き精鋭騎士団、中でも特に一○一騎士団員は、街では英雄のような扱いになっているようだった。


ラドリッドが騎士訓練兵団に入団したのは、十六の時だった。竜翼の孫と前評判も高かった彼は、その一年後、訓練兵団を主席で卒業し、まずは当時の騎士団の最下級であった第二十一騎士団に配属される。


その第二十一騎士団を含む従来の騎士団は、三十年前の戦で大きな活躍を見せ諸国に名を馳せ、その名だけでも充分に抑止力になり得るほどの存在であった『竜翼』の騎士団が中心になって、それまでの力任せに偏りがちだった騎士団を、もっと統率的で強固な防衛力に特化するよう再編成したものだ。


『竜の子』とも呼ばれるその新生騎士団は、綿密に構成され鍛え上げられた屈強なる騎士団となり、長らく近隣諸国に睨みをきかせることに成功していたが、その目的は主に国の防衛であり、もっと言えば、二十年前に即位した気弱な王の強い要望に沿わざるを得ない形で、中央都市の防衛を基盤とするように構成されている感が強かった。


そんな彼らを、『竜の子』とは言え、しょせんは戦を知らぬ箱入りと、軽視し始めた北方の国が、数年前から国境近くで小競り合いを引き起こすようになり始めた。


さらにはその同盟国である大国からも、これ以上大きな戦にならぬように止める代わりに、我が国の属国になるように、というような圧力がかかり始め、気弱な王は放っておくとそれを受けかねない様子だったが、騎士団総長を始めとする反対派の勢いも強く、それまで主に防衛のための組織であった『竜の子』とは別に、新たに特殊で戦略的な部隊を作り、隣国の侵略に備えるべし、という意見が大勢を占めるようになっていった。


そこで新設されることになったのが、第一○一騎士団である。


すでに現場から遠ざかっていたディーゴを含む、元『竜翼』の騎士の何人かが急遽招集され、すぐにその新設騎士団員の候補者の選別が始まり、厳密な審査や試験の結果、百名ほどに絞られた。


さらにその百名に二年近くの間、過酷な訓練や試練を課し鍛え上げ、通常の騎士団とは全く異なる、従来の騎士道に背くような奇襲攻撃などの戦術、暗殺、密偵などの知識・技術も叩き込んだ。


その訓練の苛酷さや、騎士道精神への呵責などによって、最終的には半数以上が脱落し、残った五十名程度の中から、以降にも増設が予定されている新騎士団をまとめ上げられるような素質を持った二十名が選別され、第一○一騎士団として創設されることとなった。


さらに残る三十余名の精鋭たちも、同時に第一○二騎士団として結成された。


すなわち、実際のところは、一○一騎士団と一○二騎士団はほぼ同等の戦闘力と地位を持った同期ということになる。


従来の騎士団が『竜翼』の騎士の生み出した『竜の子』であるのに対して、その特別で高度な機動性という意味も含めて、残る一字をとって、彼らは『翼』の騎士団と呼ばれるようになった。


そしてその『翼』の騎士、第一○一騎士団の中には、当時二十二歳になったばかりのラドリッドの姿も見られた。


うーん、家での姿からは、何度聞いても想像できないわ。


すでに三ヶ月以上が過ぎているというのに、未だに信じられないといった様子のアリシア。


「ちょうどいい、今日は城前の大広場で、『翼』の騎士団が揃って公開訓練をするはずだよ。みんな見に行くんじゃないかね。あんたも行ってみたらいいさ」


商店のおばさんがアリシアに勧めた。


「そうねぇ、今日のお仕事もこれで終わりだし、せっかくだから行ってみようかしら」


ラドリッドが騎士としてどんな様子なのか、それはそれで興味がある。


戻ってくるまで荷車を預かってもらえないかと頼むと、おばさんは快く引き受けてくれた。


礼を言って、城へと向かう。


やがて城に近付くにつれて、大きな掛け声や、金属同士の合わさるような音が聞こえてきた。どうやら公開訓練はもう始まっているようだった。


広場の周辺では人が渋滞し、会場となる広場には、周囲を囲んだ階段状の観覧席が用意されていたが、すでにほぼ満員で座る場所は残ってはいなかった。


うーん、よしっ。


広場から少し離れた歩道にある大きな木に登り始めるアリシアを、通り掛かる人が驚いて見上げたが、アリシアは気にもとめず、広場を見渡せる高さまで辿り着き、ラドリッドの姿を探した。


しかし、現在第一○一から一○九まで、それぞれ二十~四十名、総勢三百名近い『翼』の騎士団、しかも全員がほぼ同じ甲冑姿をして整列していて、いくらアリシアの目が良くても、さすがに特定の一名を探し出すのは難しかった。


今回の公開訓練は、第一○一と一○二の上位騎士団から一名ずつが、残る七騎士団からの三~四名を相手に、順に模擬戦闘を行うという内容で、基本的にはそこで上位騎士団が全員勝利する演武のようなもので、上位二団の特別な強さを民衆に誇示し、称賛と羨望の声を煽る目的であったが、実は下位騎士団の昇格試験も兼ねているというのは、すでにほとんどの者に知れ渡っている話であった。


一般の騎士は騎士団長に昇格、そして各騎士団長は、倒した上位騎士と入れ替わりに上位騎士団への入団となるはず、と、おっさんたちが酒を飲みながら大声ではしゃいでいる。


ゆえにある程度流れの決まった演武とは言え、上位騎士も下位の騎士も油断や隙は許されない、かなり本気の戦闘となるはずだと、民衆たちが期待して、誰が勝つの負けるの賭けるのと、騒いでいるのが聞こえた。


さらに、一部の熱心な民衆の間では、一○一、一○二騎士団の団員各個の名や特徴は有名らしく、誰が強いとか誰は今日辺り危ないんじゃないかとか、そんな話もしている。


アリシアは、その中にラドリッドの名が無いか、腰掛けた枝の上から聞き耳を立てたが、時々ちらほら出てきたような気はするものの、どういう評価なのかまでは聞き取れなかった。


そしてそうこうするうちに、まずは第一○二騎士団から一名ずつ前へ出て、それを三人の下位騎士団員が取り囲み、いよいよ模擬戦闘が始まった。


使用するのはお互い木製の模造武具とは言え、生身の部分に直撃すれば骨ぐらい折れる可能性はある。


仮に昇格試験など無く単なる演武であったとしても、決して気は緩められない。


開始の鐘が鳴り響き、刹那、三人の騎士が中心の一人の騎士に向かって走り、一気に斬りかかる。


が、ほとんど一瞬で、その囲みを抜け出しながら一人の腹を斬り倒し、目の前から消えた標的に残る二名が戸惑っているところを、間髪入れずに背後から一人、そしてその返す剣で最後の一人の胴を払った。


大歓声に包まれる会場。


観衆に一礼して答える勝者と、ゆっくりと立ち上がり、一礼して元の隊列に戻っていく三人の敗者。


アリシアも、初めて見る騎士同士の斬り合いに息を飲み、ほんの瞬きするほどの間に勝敗の決した戦闘終了後には、観衆と共に大きな拍手と声援を送っていた。


その後も、一○二騎士団総勢三十二名については、各自少しずつ闘い方に、恐らく意図的に織り込まれた個性や特徴はあるものの、おおむね同様の戦闘と結果に終わった。


どうやらここまでは、昇格試験とは無関係な通常の演武だったらしい。


そしてついに、王立第一○一騎士団の模擬戦闘が始まった。


先ほどまで三人だった相手が四人に増え、武器も剣だけではなく、長槍などが加わっていた。


観衆からどよめきと、さらに大きな歓声が上がる。


とは言え、やはり何か根本的なものが違うのだろうか、それとも今回は本当にただの演武のみなのか、勝負はほとんど一瞬で一○一の騎士の勝利となった。


その結果に、大番狂わせを期待するおっさんたちの野次が聞こえる。


だが、やはりその後も同様の試合が続き、七人目の騎士が前へ出た。


「ラッドー!!」


と叫ぶ野太い声が、観衆の中からちらほら聞こえる。


あっ、ラドリッド…!


アリシアも枝から落ちぬよう気を付けながら、できるだけ身を乗り出してラドリッドに見入る。


それにしても、今までよりもやけに男性や中年の方々の声が大きくなった気がする。


その性格からか、そういう一群に人気があるようだ。


ラドリッドらしいわね、とアリシアが笑みを漏らしていると、模擬戦闘開始の合図である鐘が鳴り響き、はっと、真剣な眼差しに戻りラドリッドを見ると、一瞬、目が合ったような気がした。


長剣を構えるラドリッドを取り囲むように、三人が剣を、一人がやや短めの槍を向けている。


実はこの時、というより、だいぶ前から、ラドリッドはアリシアの存在に気が付いていた。


何しろ、いい娘が木の枝に腰掛けて、観衆の頭上からこちらを見ているのだ。


ほとんどの騎士が早々に気が付き、アリシアや、アリシアとラドリッドの事情を知る者は笑いをこらえていた。


まったく、何をやっているんだあいつは…。


あとで絶対仲間にからかわれるだろうな、とため息をつく。


が、ふいに耳に入った開始の鐘の音に、瞬間、彼を取り巻く空気が変わる。


いついかなる状況でも戦闘に対応できるように、常にあらゆる訓練を積んでいるため、もはや体が勝手に反応し、それこそ本を読み耽りながら、眠りながらでも、瞬時に戦闘体制に切り替わるようになっていた。


特別な騎士団と言えば聞こえはいいが、その訓練の内容は、実際の所、暗殺集団にも近いものがあった。


対峙するラドリッドと四人の騎士たちは、鐘の合図と同時に目つきも鋭く張り詰めた殺気を放ち、ラドリッドの左手にいる騎士の剣が、一瞬わずかに上がった、と、他の三人が認識した時には、すでにラドリッドはその騎士の目前にいて、一気に胴を払っていた。


さらにその流れで槍を持った騎士に走り寄るが、そちらもやはりただの騎士では無い。ラドリッドの動きを追って、小さな円を描くように槍を繰り出す。


剣を封じつつ、腕を落とすことを狙っていた。


が、ラドリッドの剣はまるで柔らかく曲がりくねったかのように、槍に絡み付いてくる、ように見えたその時、騎士の体はラドリッドの掌底に吹き飛ばされていた。


そしてその騎士の首元に、いつの間にか手にしたラドリッドの短剣がぴたりと触れる。


と、ラドリッドが横っ飛びに消えると、残る二人の騎士が斬りかかってくるのが見えた。


倒れている騎士が、あわてて身をよじると、さっきまで自分がいた辺りに一人の剣が深々と突き刺さり、


「死体が動くなよ」


にやりと笑って跳び去る。


が、その騎士が振り返った時には、すでにもう一人の騎士の脇腹にラドリッドの剣が命中しているところだった。


ちっ、もう俺一人かよ、化け物め。


こっちは本気で昇格狙ってんだ、演武など知ったことかと、完全に勝つつもりで挑んでいたはずだったのだが、ラドリッドの常人離れした強さの前に、もはやかなりの劣勢だった。


くそっ、やっぱり一・二番隊のやつらは異常だぜ…。だが、だからと言って…!


さっき跳び去った瞬間に奪い取っていた槍をラドリッドに向かって投げつつ、自分もそれを追うように走る。


槍を交わしたところに、せめて一撃でも浴びせられれば…!


と一気に詰め寄り剣を構えたが、ラドリッドは交わすどころか、飛んできた槍を片手で受け止め、くるりと回すと、目の前まで走り込んできていた騎士の胸を一気に突いた。固い胸当てにぶつかり、槍は真ん中から折れて跳ね飛んだ。


突かれた騎士の方も、反動で大きく後ろへ倒れ込んでいた。


終了の鐘が鳴らされ、跳ね飛んだ槍の先端が宙を舞って地面に突き刺さり、会場からは大歓声が上がり、ラドリッドは、会場と、相手の騎士たちと、騎士団長や来賓席へと順に一礼し、アリシアの方へは振り返らずに隊列に戻っていった。


アリシアは呆然と、信じられない……とつぶやいて、枝から落ちそうになり、あわてて幹にしがみついた。


ラドリッド、滅茶苦茶強いじゃないの!びっくりだわ!なんだか…、どうしましょう…!次会ったら思わず敬語になってしまいそうだわ…!『翼』の騎士団って、本当にとんでもない人たちだったのね!


興奮が冷めやらずに、幹にしがみつき先ほどの戦闘を思い出しながら、ラドリッドから目が離せなくなり、もはや以降の戦闘など何も覚えていなかった。


やがて全ての模擬戦闘が終わり、結局誰一人として一○一騎士団に勝利することは叶わず、その結果に会場からは惜しみない称賛の拍手と歓声が鳴り渡り続けた。


アリシアもラドリッドに大きな拍手を送っていると、木の根元の方から、


「どうじゃいアリシアさん、ラッドもなかなかの名騎士だったじゃろう」


とディーゴの声がした。


「あら、ディーゴさん!」


アリシアは木から滑り降りるようにディーゴの前に降り立ち、


「そうなのよ!すごいのよ!あのラドリッドがあんなに強かっただなんて!この目で見てもまだ信じられないわ!どうしましょう!今日はもう眠れそうにないわ!ラドリッド、早く帰ってくるかしら!なんだか御馳走を振る舞いたい気分よ!本当にすごかったわ!ディーゴさんも見ていらしたの!?」


頭やら服やらに付いている木の枝葉を払うことも忘れ、すっかり興奮してまくしたてるアリシアに、自分の孫、そして自分が創設者の一人でもある第一○一騎士団が、いつも以上に誇らしげに感じ、嬉しそうに満面の笑みを返すディーゴ。


「あぁー、見とったよ。まだまだ無駄な動きも多いが、なかなか悪くなかったのぅ」


「あれで『なかなか悪くなかった』?いいえ、充分過ぎるわよ!何よ何なのあの異常な強さは!家にいる時と全然違い過ぎるじゃない!」


「いやぁ、まぁ、場に応じた瞬時の切り替えができてこその、本物の使い手というかじゃな」


大騒ぎで感動を伝えるアリシアにディーゴが説明するが、聞こえていない。


「ま、まぁまぁ、とにかくいったん帰りましょうかの。おや、荷車はどこへ……、まぁええか。後で探しに来るとしよう」


ディーゴは感動の声が止まらないアリシアを促して、彼女の言葉に嬉しそうに、うん、うん、と頷きながら家路に着いた。


しかしその後も相変わらずラドリッドの生活は不規則で、家でもすれ違う程度にしか会うことが無く、アリシアは公開訓練の感動をなかなか伝えられずにいたので、仕方無く、作り置きの食事の横に置き手紙を添えておいた。


「第一○一騎士団の、『翼』の騎士さまへ

公開訓練の試合、すごかったです。

感動して眠れませんでした。

こんなに強く立派な騎士さまに守って頂いているなんて、

大変光栄です。

これからもよろしくお願いしますね。

アリシア」


ラドリッドはその手紙を丁寧に四つ折りにして、大事そうに懐へとしまい、一人で気恥ずかしそうな表情で食事を食べ始めた。


今日は、ラドリッドのいちばん好きな、ウシ肉の煮込みだった。


そんなある日。


いつものように街の商店や飲食店を周り、行商を終えたアリシアが、少し人通りも緩やかな小道の石垣に腰掛け、ふぅ、と息をつく。


今日はずいぶん暑いわね、早く帰らないと、体をおかしくしそうだわ。


大きな麦わら帽子をかぶり直して立ち上がったその時、後ろの路地で自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。


振り返ると、路地の向こうで座り込み、助けを求めているような素振りの人影が見えた。


「どうかなさったの?」


アリシアはそちらの方へと近付いて行くが、返事は無い。


「具合でも悪いのかしら?大丈夫ですか?」


心配そうに走り寄ったアリシアを、突然、物陰から数人のガラの悪そうな男たちが取り囲んだ。


座り込んでいた人影も、にやにやと笑いながら立ち上がる。


「な…、何!?」


後ずさるアリシアだったが、後ろにもいつの間にか一人の男が立ちはだかり、アリシアの肩をつかんだ。


「ちょ…っと、離してよ!何するの!?」


しかしそれに答える者は無く、


「こいつに間違いねぇか?」


立ち上がりにやにや笑っている、顔に傷のある男が仲間に問うと、


「あぁ、間違いねぇ。ジジイと仲良く歩いてるのを何度も見たぜ」


何人かの仲間が頷き合う。


「そうか」


男がアリシアに近寄りながら、


「悪ィな、あのクソジジイには散々世話になっててな」


己の顔の傷をなでる。


「あの野郎、ジジイのクセに調子乗り過ぎなんだよ、借りは、お前に返してもらうことにするぜ」


「ちょ…っと…」


抵抗するが、二人の男に両腕をがっちりと持たれ、そのまま路地の向こうの、人けの無い水路へと連れて行かれるアリシア。


麦わら帽子が風に舞って飛んで行った。


が、人通りが緩やかとは言っても、全くいないわけではない。遠目ながらにその騒ぎと、アリシアの荷車を見付けたアリシアの知人が気付き、


「大変だ……誰かー!!アリシアさんがー!!」


と助けを呼び走り回り始めた。


何事かと足を止める人々も、


「おい!あっちでさっき何人か騎士見たぞ!」


「早く誰か呼んでこい!」


警備のために、常時街を廻っている騎士は多い。


ちょうど近くにもいたらしい。


騎士を見たという中年が、大声で叫びながら、大通りに向かって必死に走る。


「おぉーい!!騎士さーん!!事件だー!!おぉーい!!」


その先の大通りでは、街の者と談笑しながらさりげなく街の情報を集めている、四人の騎士の姿があった。


大声に四人が振り返り、そのうちの長い金髪を風に揺らす柔らかな雰囲気の騎士が、


「落ち着いて、どうかなさいましたか」


と丁寧に尋ねると、限界以上の勢いで走り過ぎた中年は、息も絶え絶えに、


「む…向こ…で……大変…て…なんか……ア…リシア…さんが…」


と必死に伝える。


「アリシアさん?って…、もしかしてあの……あっ」


騎士たちが、仲間のうちの一人に視線を集めたが、アリシアという名が出た瞬間に、その騎士は音も無く弾かれたように、弓弩の矢のような勢いで中年の出て来た方向へと消えていた。


一方、水路わきの壁際に追いつめられて、二人の男に両腕を抑えられたまま、壁を背に詰め寄られているアリシア。


「ちょっと、何なのよ!どうせあんたたちが何かロクでもないことしたんでしょ!逆恨みも甚だしいわ!」


「っるせぇ!!」


腰からナイフを取り出し、アリシアに向ける傷顔の男。


「いいオンナじゃねぇかよ。傷もんにするのはもったいねぇなぁ。俺の女になれば、許してやってもいいぜぇ?あぁん?」


チンピラ感丸出しでゆっくりと近付いてくる。


「馬鹿じゃないの!こんなことして、情けなくないわけ!?」


焦りながらも、抵抗するアリシアだったが、強い力で抑えられているため、動けない。


「俺とお揃いで顔に傷のある女ってのも、連れてたら面白そうだよなぁ」


目の前まで来た男が、アリシアの顔にナイフを向ける。


「ちょ…」


言葉を失い、怯えた目でナイフを見るアリシア。


その時、先ほどの路地を見張りながら、にやにやとやり取りを眺めていた二人の男が、消えた。いや、正確には、同時に何かに思い切り地面に叩き付けられ動かなくなったのか。


しかし、それを誰かが確認するよりも前に、アリシアたちから少し離れて取り囲んでいた数人も、ふいのつむじ風にでも襲われたかのように、鈍い音と共に吹き飛んで、地面や、端に積んであった資材の山へと落ちた。資材が崩れる大きな音が辺りに響く。


「あぁ!?っるせぇな!」


と振り返った傷顔の男の目に、鬼神のような殺気を放ち立ちはだかる、一人の騎士の姿が映った。


「ラドリッド!」


アリシアが涙を落としながら叫ぶ。


その声と姿を確認するやいなや、騎士の姿が、黒い影が飛び去るように目の前から消えた。


次の瞬間には、アリシアを抑えつけていた二人の男が、声も無く崩れ落ちていた。


「ラドリッド…」


アリシアが、掴まれていた腕をさすりながらラドリッドに顔を向ける。


が、ラドリッドは目を合わさない。その体は小刻みに震えている。


「っんだよてめぇは!!」


いつの間にか背後にいる騎士に向かって、背中に冷たいものが走りながらも、虚勢を張るように大声で叫んで振り返り、ナイフを突き出してくる男、が、あるべき場所にナイフが、というより、腕が無い。


見ると、男の腕はあらぬ方へと折れ曲がっていた。


「ぅああああああ!!」


傷顔の男は叫んで後ずさり、よろけて座り込んだ。


「この娘に手出しすれば生かして返さん」


泣き叫んでいる男に向かって、本当に殺しかねない気を放ちながら詰め寄っていくラドリッド。


その圧に無意識に思わずアリシアも後ずさる。


「おい、やめとけラッド。こんなのを殺したら騎士の名に傷が付くぞ」


そこへ遅れて到着した騎士の一人が、状況を察し、静かに声をかける。


「構うか!」


ラドリッドが剣の柄に手をやりながら吐き捨てる。


「あら、こりゃ本気だわ」


ラドリッドと、彼の背後で怯えた表情で震えるアリシアを見た、その栗色のくせ毛の騎士は、そっと剣に手をやる。


次の瞬間、大きな金属音が辺りに響いた。


腕を抑えて泣き叫んでいる傷顔の男の前で、ラドリッドの振り下ろした剣と、それを制する栗毛の騎士の剣がぶつかり合い、ぎりぎりと音を立てながら競り合っていた。


と同時に、栗毛の騎士が傷顔の男を蹴り飛ばして遠ざける。


男はまるで手鞠のように吹き飛ばされて転がっていき、壁に後頭部を強打して動かなくなった。


はっとしたアリシアが、ラドリッドの背に向かって、


「もう大丈夫だから!大丈夫!ラドリッド!私はもう大丈夫!ねぇ!」


と声をかけるが、それもしばらくは聞こえぬような殺気を放って、競り合う剣を睨みつけていたが、背後から何度も呼びかけるアリシアの声に、やっと力を抜いた。


そして死んだように動かなくなっている傷顔の男を一瞥しながら剣を収めると、大きく息をついた。


それを見て栗毛の騎士も、やれやれ、と剣を収める。


「すまなかった……、怪我はないか」


ラドリッドは振り返るが、うつむいて目は合わせずにアリシアに詫びる。


「う、うん、大丈夫…」


先ほどの、アリシアにすら感じ取れるような殺気はもうしないとは言え、ラドリッドの、『翼』の騎士の闘う姿を目の前にしたアリシアは、少し怯えながら、しかしそれを悟られぬように、ふらつきながらもゆっくりと歩み寄りながら答えた。


「本当に…すまない」


頭を下げたまま両拳を強く握りしめているラドリッド。


「何言ってるの、私はほら、どこも怪我もしてないし、大丈夫だから」


「しかし…約束を守れずに、危険な目に遭わせてしまった…。こんなことでは、いつでもお前を守っているなどとは言えない…。騎士として、俺は情けない…」


ラドリッドは甲冑の上から懐の手紙に手をやり、唇を噛む。


見慣れたような馬鹿真面目の騎士の姿に、


良かった、もう、いつものラドリッドだ、たぶん…。


「もう、大丈夫だって言ってるでしょ。約束通り、ちゃんと助けに来てくれたじゃない。だから」


アリシアはほっとしながら、ラドリッドのそばへ辿り着く。


「うーん、みんな生きてんのか?コレ。オイ、起きろ!めんどくせぇから自分で歩け阿呆ども」


先ほどの騎士が他の二人の騎士と共に、地面に転がっている無様な男たちを蹴り起こし縛り上げながら、


「ったく、こんなもんに、ちったぁ手加減してやれよな」


と当のラドリッドを見ると、アリシアに頭を下げ続けている。


少しの間、二人のやりとりを面白げに眺めていたが、


「おいラッド!家まで送ってやれよな!」


と声をかけた。


その声に振り返り、


「い、いや…、しかしまだ任務中では…」


と戸惑うラドリッド。


「はぁ…。いいんだよそんなもん、いかに『翼』の騎士と言ったって、惚れた女のためなら任務もクソもねぇだろ。だいたい、その子の名前が出たとたんに、誰よりも先にその任務をすっとばして消えたのは、お前の方じゃねぇか」


笑う仲間に、顔を真っ赤にして黙ってしまう。


まぁ、と少し照れながらも、嬉しく感じるアリシア。


「それに、危険な目に遭った一般市民を無事に家まで送り届けるのも、立派な任務だろ。とりあえず馬車出すから、いったん行って戻って来いよ。報告書とやり過ぎた分の始末書用意して待っててやっから。……妙なことして遅くなんじゃねぇぞ」


騎士にしては若干下町臭い口調の仲間にからかわれつつも、


「う、うむ……そうだな…、すまない、頼む」


とラドリッドは頷いた。


アリシアに絡んできた無粋の輩たちは連行され、その場はすっかり片付いて静かになり、辺りには水路を流れる水の音が小さく響く。


「行こっか」


アリシアの方が少し気遣ってラドリッドを促すと、


「あ、あぁ」


と、アリシアが目の届くところ、自分の少し前にいるように半歩下がってラドリッドも歩き出した。


「あ、荷車…」


「あとで誰かに持ってこさせよう」


「そう…」


路地を出た時にそれだけの会話を交わした他はずっと無言で、大通りまで戻り、仲間が呼んでくれていた馬車に乗り込み、走らせる。


道中、馬車の中でもずっと、ラドリッドは背筋を伸ばして正面を向き、アリシアはラドリッドとは反対側の窓から外をぼんやりと眺め、無言のまま、やがて家に着いた。


馬車の音を聞きつけて、畑仕事をしていたディーゴが戻ってくる。


「おや、どうかしたかの」


普段ならぬ空気を察して、ディーゴが二人に問いかける。


「うん、街で…、ちょっと、ね」


「すまない、ディーゴ、アリシアを頼む」


ラドリッドが短く伝え、


「本当に大丈夫か」


と先に馬車を降りたアリシアの背に聞く。


「うん、ありがと…。大丈夫よ」


振り返って、笑顔につとめながら、アリシアが答えた。


「うむ…、すまない、俺はいったん戻らねばならない」


すまなそうな、心配げな顔をしているラドリッドに、


「本当に大丈夫だから。行って」


とアリシア。


ラドリッドは重い足取りで、何度か振り返りながら、再び馬車に乗り込み、街へと戻っていった。


その姿を見送りながら、


「ただごとではなさそうじゃが…」


とディーゴがアリシアに歩み寄る。


「うん…、まぁ…、……とりあえず入って話しましょう」


答えて家の扉の方へと歩き出すアリシアに従うディーゴ。


もしや、と、背後の老人の目が一瞬鋭くなったことに、アリシアは気が付かなかった。


家に入りいったん椅子に腰掛け、ディーゴが茶を沸かし、テーブルの上に二つの湯のみが湯気をたてる。


それをはさんで座るディーゴに、アリシアは今日の出来事を簡単にかいつまんで伝えた。


「なんかほんと、顔に傷のある気持ち悪いごろつきでさ、でも、ラドリッドがちゃんと助けに来てくれたのよ」


顔に傷、と聞いて、ディーゴが何かに思い当たり、心の中で唇を噛んだ。


「そうじゃったか…。本当に危ない目に遭わせてしまって、すまなかったのぅ…。そんなことなどないように、色々と手をつくしてきたつもりだったんじゃが…」


と申し訳なさげにアリシアを見詰める。


「ディーゴさんのせいじゃないわ。どうせ街のごろつきの因縁や逆恨みでしょう。それに、なんやかんやで無事だったんだし、もういいのよ」


そう言って湯のみに手を伸ばすが、意に反して止まらない震えで上手くつかめず、やっとつかんだものの、湯のみから跳ね飛んだ飛沫が手にかかる。


「熱っ……」


あわてて手を引っ込めると、湯のみが倒れ、茶がテーブルの上に広がった。


「あ……」


「おっと…、これで冷やしなされ…」


アリシアに水で濡らした手ぬぐいを渡しつつ、後ろからもう一枚の乾いた布を取り、テーブルを拭くディーゴ。


「ごめんなさい……」


手ぬぐいで手を冷やしながら、うつむくアリシアに、


「今日はもう休むとええ。食事はわしが作っておくから、好きな時に食べなされ」


とディーゴが優しく言った。


「はい…、そうしますわ…」


アリシアはゆっくりと立ち上がり、壁や棚に手をかけてつたいながら、階段を登っていった。


残った老人は、アリシアが去っていった方を見つめながら眉間に皺を寄せ、じっと座っていたが、やがて立ち上がると、茶ですっかり濡れてしまった布を持って台所へ行って、それを強く絞りわきに置き、料理を作り始めようとヤマクルミを籠から取り出したが動きを止め、じっと何かを考え込んでいるように空を睨み、無意識に力の篭っていた手が、ヤマクルミを握り潰した。


アリシアは部屋に戻り頭から毛布にくるまり、止まらぬ震えに思い出される今日の出来事に、今さら急激に感情が爆発し始め、涙があふれ、すすり泣いていた。


しかしやがて、どっと疲れも押し寄せて、そのままいつの間にか眠ってしまっていた。


幾時が過ぎたか、やがてアリシアが目を覚ますと、窓の外はすっかり夜中になっていた。


あら…、どのぐらい眠ってしまっていたのかしら…。


ゆっくりと起き上がり頭を振り、静かに階下に降りると、灯りも消え、ディーゴの姿は無かった。


もう寝てるのかしらね。心配し過ぎて、ずっと起きたままで待ってたりしてくれてなくて、良かったわ。ごめんなさいね、ディーゴさん。


ほっとして灯りをつけながらテーブルを見ると、食器が並んでいた。


ふぅ…、でもまぁ、さすがにおなかはすいたわ、


と用意してくれている食事を温め直しながら、


ラドリッドは帰ってくるかしら、報告書とか始末書とか言ってたけど、まだかかってるのかしらね、私のせいで、何だか悪いわ…。


ラドリッドが一生懸命書類に追われている姿を想像する。


ふふ、そうだわ、もし帰ってきたら、これだけじゃちょっと二人分には足りないから、ついでに何か用意しておかなきゃね。


適当な食材を見繕い、簡単な煮物のようなものを作り始めるアリシア。


そこへちょうど、若干疲れた様子のラドリッドが帰ってきた。


「あっ…、おかえりなさい」


やっぱり疲れてる…、書類なんて苦手そうだものね。


理由を勝手に想像しながら、アリシアが声をかける。


「あ、あぁ…、起きてたのか」


調理場に立つアリシアに少し驚きながらも答えるラドリッド。


「うん…、帰ってちょっと休んだんだけど、おなかがすいて目が覚めちゃった」


「そうか……あの……昼間は、本当に……」


「いいのよ、もう。そんな怪我も無かったし、もうこうしてちゃんと家にいて、あいつらも捕まってるんだから…」


昼間の出来事をぶり返しそうなラドリッドの言葉を、アリシアが制して言う。


そっか、あれは昼間、まだ今日の出来事だったのよね。


変な時間にぐっすりと眠ってしまったため、時間の感覚があやふやになっている。


「あぁ……。あいつらは、もう当分表には出て来れないだろう」


「そう…」


もうあまり考えないようにしながら、そっけなさげに答えた。


ラドリッドは玄関の辺りで甲冑を脱ぎながら、調理場で鍋をかき混ぜているアリシアに、


「……こんな時にまで、すまないな」


「いいのよ、自分の分も一緒に作ってるんだし」


「そうか……。しかし、アリシアも忙しいだろうに、それでもいつでもちゃんと作り置きをしていてくれて、本当に助かっている。いつも本当に美味い」


「いいのよ」


少し照れたようなアリシア。


ラドリッドはその姿を複雑な表情でしばし見つめていたが、長い勤務明けで汗臭い自分の衣服に気付くと、


「風呂…、いいか?」


と、すまなさそうに尋ねた。


「うん、上がる頃にちょうどできてると思うわ」


かきまぜている鍋からは顔を上げずに、アリシアが答える。


「すまない」


「もう、こういう時はありがとうでしょ?変に変な気を遣われてる気がして、あんまり嬉しくないわ」


アリシアが無理をして何事も無いような顔をして、本当はつらいのに頑張っているのではないかとか、そういう時にどうしていいかわからず、実際変に気を遣い過ぎてしまっていることを、見透かされているようだった。


そういえばアリシアも、ディーゴ並みに人の心が読めるんだったな。


「あ、あぁ、そうだな。……ありがとう」


小さく苦笑しつつ答えるラドリッド。


「はいはい、いいから早く行ってらっしゃい。あんまり遅いと先に食べちゃうわよ」


アリシアが顔を上げてせかすと、ラドリッドは頷きながら足早に風呂場の方へと消えていった。


その間にアリシアは料理を進め、テーブルに並べていった。


ラドリッドが風呂から上がった時には、すべての準備が整い、アリシアも席についていた。


自分も席に着き、いただきます、と食べ始めるラドリッド。


「いただきます」


少し遅れてアリシアも匙をとった。


そのまましばらく二人は黙ったまま、それぞれの椀から静かに口に運んでいたが、


「せっかく街にもすっかり慣れた頃だったというのに」


ふいにラドリッドが話しかける。


「もう、その話はよして」


アリシアが苦笑しながら止める。


「あぁ、すまない」


再びの、沈黙。


が、


「……でも…、あんなのを抜きにしても」


今度はアリシアが口を開く。


「ん?」


「やっぱり最初にディーゴさんが言ってた通り、街ってちょっと疲れちゃうかも」


遠い目でため息をつくアリシア。


「そうか」


「うん…、いつでもどこでも人がいっぱいで、気が休まる暇も無いし、やっぱり夜でもずっとあんなに明るいのも、未だに変な感じで慣れないし……、あら、今日は満月かしら?」


しゃべりながら窓の外に目をやったアリシアが、窓の外の闇がいつもより薄明るいことに気付く。


「あぁ…、あぁ、そうだな」


確かに、帰り道で見た空には、満月が登っていた。


「ねぇ、灯り消してみてよ。満月の光だって、本当は夜を照らすのに充分過ぎるほど明るいものよ」


「そう…かな」


突然の提案にとまどいつつ、確かに満月でも明るいことは明るいが、やっぱり細かい作業や目視が必要な時には苛つくことも多いが…、などと色々思い出すラドリッド。


「そうよ、もう、これだから都会育ちは、人工の物に頼ってばっかりなんだから」


アリシアが立ち上がり、灯りの方へ歩き出す。


「いや、そういうわけでも無いんだが…。我々だって夜の森での訓練などもあるし…」


「いいから、ほら」


ランプの覆いを開けながら、いい?と確認するようにアリシアがラドリッドを見ている。


「あ、あぁ…」


頷くラドリッド。


アリシアは、そっと息を吹きかけ、灯りを消した。


一瞬、視界は闇に奪われそうになったが、窓からの光に照らされ、思ったほど部屋は暗くならず、むしろ目が慣れれば明るいぐらいであった。


アリシアが窓際に椅子を運び、窓の外に向かって腰掛け、ラドリッドにも、隣に来て窓からの月を見るように手招きするので、彼もまた椅子を持ってきて、少し離れて隣に並んで座った。


アリシアは、窓枠に肘を付き、てのひらに顔を乗せて満月を眺めた。


「きれい…。でもやっぱり、村で見るよりはいまひとつだわ」


窓の外を見つめたままでアリシアが言う。


「そうなのか…?」


「えぇ。空ももっと真っ暗で、そのおかげで月も星もはっきりと、もっとたくさん見えるし、景色を遮る大きな建物も無いし」


「そうか……。…そういえば、アリシアの村というのは…北のどの辺りの…」


「……フォールドーンよ」


「!……」


ラドリッドはその地名に一気に戦時中である国の現況を思い出し、数カ月前にその村は焼け落ちて、もう地図上のどこにも存在しないということが、その時もその後も騎士団は何もできなかった苦い記憶と共に、心に蘇った。


「そうか……つらい思いをしたのだな」


アリシアの方に顔を向け言うが、アリシアは空を見上げたまま、


「……そうね……」


ぼんやりとつぶやく。


「……だけど、アリシアが助かって良かった」


「……そう…ね、きっと」


「あぁ、おかげで……、出会えた」


「……うん……いつも色々助かってる……昼間も……本当に、ありがと」


「当然のことをしたまでだ……、…うん、いや、そういうことじゃなくてだな…、その…」


「…うん………わかってる……」


ふいにアリシアが、そっと、ラドリッドの左肩に頭を預けた。とまどうラドリッド。


「え?…あ…、そ、そうか…?う、うん、そうなのか…」


「うん……わかってるよ……」


目を閉じ、静かに答えるアリシア。


ラドリッドは少し動揺しながらも、アリシアがそのままの体制でいられるように、体をこわばらせて微動だにしないでいる。


が、意を決したように真剣な眼差しになり、満月を見上げると、


「……必ず」


「うん……?」


アリシアが目を開く。


「必ず…、もっと強くなって、『翼』の騎士団ももっと強くなって、もう二度と今日のようなことが起こらぬよう、もう二度と誰にも国を侵されぬよう、もう二度と誰も悲しむことなど無いよう、……もう二度と、お前がつらい思いをしないよう、……この街も、国も、アリシアも、俺が守る」


と、低いが力強い声で、誓うように言った。


「うん……ありがと…。応援する」


再び、目を閉じるアリシア。


「あぁ、必ず」


そしたら俺と、と言葉を続けそうになるのを、ラドリッドは口をつぐんだ。


まだまだ、そこに至るには何年かかるかわからない。今現在、確たるものは己の信念のみで、他に何も無い。まだ、言葉にして告げるには、早過ぎる。自分は修行中の身、そして国は戦時中なのだ。


アリシアのぬくもりを左肩に感じながら、だが、ひとときでも早く、必ず、と、ラドリッドは力強い眼差しで満月を見据えた。


一方その頃、ディーゴはすっかり静まった街の裏通りを一人、歩いていた。


どうやら奥の自室で眠っていたわけでは無かったらしい。


そしてある建物に辿り着き、迷わず狭く急な階段を登っていく。


階段を登り切った近くの扉の前には、顔の至る箇所に金属の輪を刺して飾った若い男がおり、突然の真夜中の訪問者に、


「なんだてめぇ?年寄りは寝る時間だぞコラァ!?」


と声を荒げた。


それを無視して奥へと進もうとするディーゴに、男が襲いかかる。


が、つかみかかっても、殴りかかっても、まるで影を相手にしているかのように、すべてがすり抜けるようにかわされた。


「ちっ、なんだてめぇっ!?」


男が苛立ち懐からナイフを取り出すと、振り返るディーゴの目が鋭く光った。


「やめろ、ギール、大切なお客さんだ」


その時、暗い廊下のいちばん奥の扉が開き、いかにも裏社会の元締めといった、高級で整った服をまとい、大きな宝石のついた指輪などをした、歳は五十ほどの男が現れて言った。


「すまねぇな、ダンナ。気に入らねぇヤツにはとりあえず咬み付けと教えてあるもんでな」


男が闇の中から笑う。


「その教育のおかげで、うちの客人がお前さんのところの若いもんに、なにやら世話になったようじゃがな」


口調は穏やかながらにディーゴが鋭い視線を男に向けると、男はしばらく黙っていたが、


「……ま、とりあえず入ってくれよ、ここじゃナンだ」


と奥の闇へと消えた。


「あぁ」


ディーゴが男の後に続き、扉が閉まった。


ナイフをしまい舌打ちをしながら、若い下っ端がそれを見送った。


薄暗い部屋で、ゆったりとした椅子に深く腰掛け、


「すまねぇな、夜はあんまり灯りを付けねぇ主義なんだ」


足を組みながら男が葉巻に火をつける。


「気にするな、わしもじゃ」


両手を腰の辺りで組みながら、ディーゴが部屋の中程へ進み、立ち止まる。


「あぁ、そうだったな」


男は深く煙を吸い込み、吐き出し、充分に間を空けてから、ゆっくりと、静かに、再び口を開いた。


「…昼間の件は…、俺の指示じゃねぇんだよ。俺はあんたとその身内には関わるなと散々言ってんだ。ただ、あんたのことをいまいちよくわかってねぇ若いもんが、勝手に暴走しちまったみたいでな」


「ふむ、要するに、若いもんはお前さんの言うことなど、ロクに聞かんというわけじゃな。ずいぶん教育が行き届いとるもんじゃ」


闇の中で睨み合う二人。


間。


「ちっ、まぁいい。で、なんだ?慰謝料でも取りに来たか、仇討ちにでも来たのか?だが当のガキどもはもうあんたの孫にぶっ壊されてとっ捕まって、二重の意味でしばらくシャバには出ちゃ来れねぇ」


天井に向かって、葉巻の煙を吐き出す。


「それは自業自得じゃな。そもそもお前さんたちがおとなしくしておれば、わしからは何もすることなど無いわぃ。だが、その小僧たちもどうせまたそのうち出てくるじゃろ。仇討ちだの意趣返しだのと言って動きたがるのは、むしろその時の、小僧どもの方なんじゃないかね」


「ふん…、しかしそうは言っても、おとなしくしてられないのが我々の商売なもんでね…」


灰皿に葉巻の先を軽く転がす。


「お前さんたちの商売にどうこう言う気は無いわい。確かに迷惑しとる街のもんもいっぱいおるが、それを片付けるのはわしの仕事ではないからの。じゃが……」


後ろに手を組みながら、ゆっくりと、足音ひとつ立てずに男の近くの窓際に歩み行くディーゴ。


「じゃが……、もしも今度またあの娘に手出しをしたら、お前さんたちにもう二度と明日の陽は昇らんぞ」


窓から差し込む満月を背に、『竜翼』の騎士の目が鈍く輝いた。


奥の部屋の扉が静かに開き、老人が現れ、ギールと呼ばれた若い見張りの前を無言で素通りし、音も無く階段を降りて闇の街へと消えていった。


それを憎々しげに睨みながら、


「あいつ何なんスか?ジジイのクセに妙な動きしやがって…」


ギールが聞く。しゃべる度に顔の金属がかちかちと音を鳴らしながら揺れる。


「まぁ、ずいぶん昔からの知り合いでな…。ウチの一家を立ち上げる前に何かと世話になった、化け物どもの生き残りだよ」


男が口元に薄笑いを浮かべながら言うが、目は鋭くディーゴの消えた闇を見据えていた。


「化け物ねぇ」


ギールは納得したような、わかっていないような顔で頷く。


「ま、だから、あいつやその周辺には極力関わるんじゃねぇぞ。化け物のクセにずいぶん大量にガキやら孫やら生産してやがるしな」


「はぁ……。……?」


ただの子沢山のスケべジジイかと思い、そんなヤツに何をビビる必要が、と、ますますよくわからなくなるギール。


男は、『竜翼』、『竜の子』、そして『翼』の騎士のことを言ったのだが、まるで理解していない様子の無知な若い下っ端に、


ま、どうせ若いもんに昔話なんかしたって、何もわかりゃしねぇんだ、


と、小さく笑い、何も答えずに奥の部屋へと戻っていった。




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