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火恋の山 ‐ヒレンノヤマ‐  作者: 遠矢九十九
3/8

新しい暮らし

そうするうちに老人が、だいぶ広く平らにならされて歩きやすくなってきた山道の、その先を指して娘に示した。


「さて、やっと山を抜けたようじゃの。あれが街の入口じゃ」


空はすでにすっかり闇に包まれていた割に、視界の向こうはなんだか薄明るい、とは思っていたのだが、それはどうやら街の灯りだったようだ。


街はぐるりと周囲を防壁に囲まれていて、その壁にいくつかある入口のひとつが、この北門だそうだ。


さっきまで笑っていた娘は、少し身構えて表情が固くなる。


「まぁそう緊張しなさんな。この街、特に北側のこの辺りじゃ、わしの家も近いし、知り合いも多いからの。ここでしばらく待っていなされ」


老人はそう言って門から少し離れた辺りに娘を残すと、門に歩み寄りながら二人の警備兵に手を挙げて挨拶をした。遠目ながら、警備兵が笑顔で老人に手を挙げ返したのが見えた。


「ずいぶん遅かったなぁ、じいさん」


「いやー、山の反対側の方まで行ってしまってのう。ま、おかげでこの通り」


腰の麻袋を揺らす老人。


「今日もずいぶん採ってきたみたいだが……、なんだい、今日は若い娘まで収穫してきたのかい?」


「お前さんが言うと必要以上に下品に聞こえるから不思議じゃの」


などと警備兵と談笑し始める老人。


表に立つ二人の警備兵のうち中年の男は、老人のことをよく知っているようで、しばらくそこで立ち話をしながら、時折娘の方をちらちらと見やりながら、何やら盛り上がっているようだったが、娘のいる位置からでは、あまりよく聞き取れなかった。


一体何を話しているのかしら、といぶかしげな娘。


そこへ老人が警備兵に何やら言ったらしく、中年兵士は驚いたように老人と娘を交互に見やり、こらえきれないといった様子で笑い出した。


いやー、本気かい?じいさん。


本気も本気じゃよ。


おいおい、あんなきれいな娘さんが、本当に大丈夫かね。


いやいやー、あれはあれで意外と乗り気になるかもしれんぞ、しかしそれよりも、娘さんの方が出て行かないか、そっちの方が心配じゃよ。


まったくだな、俺は三日ももたないと見たね。


ははは、果たしてどうなることかのぅ、楽しみじゃのぅ。


笑い合う二人。しかし娘には、途切れ途切れで詳しくは聞こえない。


紹介してくれる仕事の話でもしているのかしら、でもなんだかうさんくさげな話をしている気がするわ、本当に大丈夫なのかしら…、本当に悪い人じゃ、ないわよねぇ。


街を前に、再び不安がつのり出す娘。


そこへ、


それじゃ、どうなったか、今度ゆっくり聞かせてくれよな。


あぁ、わかっとる。


と警備兵に軽く手を上げ、老人が娘の方へと戻ってきた。


「さてと、問題無いようじゃ。一緒に来なされ」


娘を門の方へと誘導する。


「え、えぇ…」


とりあえず行くしか無い娘は、彼の後に従う。


「一体、何の話をしていたのかしら?なんだか私、心配になってきたわ」


門をくぐりながら、興味津々といった顔で娘を眺め回す中年警備兵の視線から、逃げるように足早になりながら、娘は正直に老人に告白してみる。


「ほっほっほ、この辺りでは、あんたのような美人が珍しいんじゃないかのぅ」


はぐらかすように笑う老人。


「もう、本当に……」


と言いかけながら、娘はくぐり終えた門の向こうに広がる景色に目を奪われた。


まだ街の中心部はだいぶ遠くであったが、多くの街灯や戸内から漏れ出す灯りによって、街全体が明るく輝いているように見えた。


そしてその向こうにぼんやりと、まるで宙空に浮かんでいるかのように高くそびえ立つ巨大な城。


陽が暮れれば月と星の光以外に世界を照らすものの無い農村では、想像もつかぬような光景に、娘は立ち止まり、しばし見とれた。


「夜なのに…とても明るいのね」


「あぁ、ま、見慣れてしまうと、今度は逆に鬱陶しくもあるんじゃがな」


老人は目を細めながら街を見やる。


「そうなの?」


これだけ明るければ、夜になっても仕事ができるし、闇夜の良からぬものに怯えて暮らさなくて済むのに、と娘は不思議がる。


「世界は本来、昼間は明るく、夜は暗いもんじゃからな。まぁ、歳のせいもあるかの。夜でも街が賑わっていたからといって、わしのような老人には疲れるだけで居場所が無いわい」


「そっか……。おじいちゃんは、色々大変なのね」


娘がいたずらっぽく言う。


「そういうことじゃよ」


答えながら、再び歩き出す老人と、その横を並んで歩く娘。


「まぁそういうわけでな、わしの家は残念ながら、あの光り輝く大都会の中では無いぞい。がっかりしたかの」


「うーん、まぁちょっと、ね。でも少しほっとしたわ。あんな明るいんじゃ、眠れそうに無いもの」


「明るい上に、そりゃもうやかましいしな」


「そうかぁ、それじゃあみんな、いつ眠っているのかしらね」


真剣に考えているような娘。


「まったくじゃな、さて、こっちじゃ」


そんな娘を、街の灯りがあまり見えないようなはずれの方へと案内する老人。その少し先に、月明かりに照らされ、意外に大きめな石造りの一軒家が見えてきた。


「えぇ?もしかして、あのおうち?」


一人暮らしだと言っていたし、一人暮らしになる前には、おばあさんと二人で暮らしていたような話だったし、自分の故郷の家々を基準に想像して、なんというかもっと、こじんまりした藁葺き屋根の木造りの家だと思っていた娘は、まさかものすごく立派なところのお爺様だったのかしら、などと動揺を隠せない。


「あぁ、生活に使う居間や炊事場、それからわしの部屋は一階でな、二階は今誰も使っておらんですべて空いとるから、好きな部屋を使うといい。ただし、もう何年も掃除もしてない部屋もあるから、ホコリやら虫やらネズミやらに気をつけなされよ」


娘の心中を知ってか知らずか、家の前に着いた老人はそう冗談っぽく忠告し、鍵を回すと扉を開けた。


「あ、ありがとうございます。…あ、あの…、おじゃま、します」


こんな立派なおうち、村長や、村に駐在していた警備兵隊長の屋敷ぐらいだったわ。


今度はまた別の緊張に襲われ、動きが固くなってしまう娘。老人はその様子を微笑ましく見ながら、


「まぁここにいる間は自分の家だと思ってくれてかまわんから、好きにくつろいでくださればええ」


と、入るように促す。


「は、はい」


娘はきょろきょろと家の中を見回しながら、とにかく入って扉を閉めた。


家の中に灯りがともり、


「さて、とりあえずは夜飯を作らねばのぅ。娘さん、手伝ってくれるか」


「あ、はい。今日は山菜のスープかしら?それなら私、得意よ。私も山育ちですもの」


「そりゃ楽しみじゃ、お願いしようかのぅ、えぇと…、あぁ、そうじゃったな…、今さらじゃったが、わしはディーゴじゃ」


「あら、そういえばすっかり忘れていましたわ、ごめんなさい、ディーゴさん。私はアリシア・セルトと申します。よろしくお願いしますね」


「あぁ、よろしくな、アリシアさん。さて、わしはその間に小麦焼きでも焼くかの」


「はい。それも美味しそうね。…………、あの山の不思議な現象が、かまどの中でも起これば便利なのに」


「あぁ、そうじゃの、気が付かんかったわい、まったくじゃ」


二人の笑い合う声と、煙突の煙が、闇夜の空へと立ち上った。


そうしてやがて出来上がった料理をテーブルに並べ、二人は食事をしながら、料理の話などで盛り上がり談笑し、食事を終えアリシアが食器の片付けを申し出ると、


「それは助かりますな。やっぱり、一人増えるとずいぶん物事がはかどるわい。それではお言葉に甘えて、わしは風呂の用意でもするかの」


と、ディーゴは風呂を炊きに奥へと消えていった。


アリシアが食器を洗っていると、今度は二階へ上がる足音が聞こえ、何やら二階でがたがたと音がする。

そしてしばらくの後、洗い終えた食器を拭いていると、ほこりまみれのディーゴが現れ、


「二階の空いてる好きな部屋を使ってくだされ。それから、すまないんじゃが…、先に構わないかの」


風呂場の方を指して言う。


真っ黒になった老人を見て、


「えぇ、どうぞどうぞお先に。二階を片付けてくれたのね?ありがとう」


と笑いながら促すアリシア。


「アリシアさんも、片付いたら好きな時に入りなされよ」


真っ黒にすすけた顔で微笑むと、ディーゴは再び奥へと消えていった。


やがて一通り片付けが終わり、二人分の茶を煎れて居間の椅子に腰掛けるアリシア。


そこへ風呂から上がった老人が、今度は茹で上がって顔を赤くしながら戻ってきた。


「あら、冷たい飲み物の方が良かったかしらね」


向かい側に座るディーゴに言う。


「いやあ、すまんね、ありがとう。年寄りには風呂上がりにも温かいものの方が助かるわい」


「そう、良かったわ」


ディーゴは美味そうにゆっくりと茶を飲み終えると、


「ごちそうさま。さて、明日は色々忙しそうなのでな、お先に失礼しましょうかの」


と立ち上がった。


「はい、おやすみなさい。本当に色々ありがとうございます」


アリシアが立ち上がって深々とお辞儀をすると、まぁ気にしなさんな、ゆっくり休むとええ、と、老人は奥の、さきほどの風呂場とは反対の方の廊下へと去っていった。


「さてと」


そうは言われても、初めて入る人の家は、すぐに落ち着けるものでも無く、アリシアは緊張をほぐそうともう二杯ほどお茶を飲み、それからいったん二階の部屋を見てみることにした。


やや急な階段をのぼると、二階には廊下をはさんで三つの広い部屋があり、一つはほぼ物置のようで足の踏み場も無い状態であったが、残る二つはだいぶ片付いており、余裕があった。


おそらく先ほど、この二つの部屋の物を、あちらの部屋に無理矢理全部詰め込んだのであろう。


やっぱりお年寄りにしては元気過ぎるわ、すごいわね…。


老人の強靭な謎の体力に感心しながら、アリシアは空いている部屋のうちの一つ、窓からわずかに遠くの街の灯りが見える部屋を選び、簡単に拭き掃除をして、寝床を用意した。


そして、窓辺に腰掛け、遠くの街の灯りを眺めた。


一体どんなところで、どんな人たちがいるのかしら。私の他にも村から逃げ延びることができた人たちがいて、先に身を寄せていたりするかしら。……みんな……。


炎に消えた村や家族を思い出し、涙が頬をつたう。


駄目よ、私は、明日から、頑張らなくちゃ。


あわてて涙をぬぐい、首を振って立ち上がり、階段を降りると、すでにディーゴは眠りに就いているらしく、階下は静まり返っていた。


起こさぬようにできるだけ物音を立てないように気を付けながら、久し振りにゆっくりと温かな湯に浸かり、安堵の息をつく。


そうよ、明日は仕事を探して、どこか住む所も見付けなければ。


そっと風呂から上がり、ディーゴが用意してくれていた衣服に着替え部屋へ戻り、窓辺から、街と、そこでの暮らしを思い耽る。


服は女性物で少し古めかしく、丈もやや短めで、どうやら亡くなったご夫人のもののようだったが、なんだか懐かしい匂いがして、ほっとした気持ちになり、アリシアは毛布にくるまった。


山越えの長旅の疲れもあり、そのまま一時も経たぬうちに深い寝息を立て始めた。


窓から差し込む暖かな日差しに、アリシアは目を覚ました。


階下では何やらがたごとと音がする。


寝すぎちゃったかしら、ディーゴさん、もう起きているみたいね。


髪と服を整え、毛布をたたむと、アリシアは階段を降りていった。


「おはようございます。昨日は本当にありがとう…」


ございました、と言葉を続けるはずだったが、ディーゴだと思って顔を出すと、そこには初めて見る、彼女と同じか少し歳上ぐらいの歳の青年が、着替えをしていた。


テーブルの上には国の紋章の入った甲冑と剣が並べられ、青年は着替えとおぼしき衣服を手に、下着姿であった。


「な、何者だ!?」


驚く彼女に振り返って、同様に驚き身構えながら、青年が声を荒げた。


「あ、あんたこそ何者よ!?ここはディーゴさんの家でしょう?」


身を守るように階段から半身だけ乗り出し、青年に問い詰めるアリシア。


「俺はそのディーゴの身内の者だ。お前こそ何者なんだ、ここで何をしている!」


青年は一瞬、傍らのテーブルに置かれた剣に手を伸ばしかけたが、相手が若い女性と見て動きを止めたものの、鋭く警戒しながら語気を荒げる。


「私は昨日ディーゴさんに助けられてそれで…」


「本当か?お前が着ているその服はこの家の物じゃないのか?不法に街に侵入した難民がコソ泥に入ったんじゃあるまいな!?」


「な…!失礼ね!」


青年の言葉に気持ちを逆撫でされたアリシアは、階段から降り立ち、青年と正面から対峙する。


「確かに難民かもしれないけど、ディーゴさんと一緒にちゃんと門から入ったわよ!服だってディーゴさんにお借りしてるだけで、っていうかあんたの方がいいかげん服着なさいよ!朝から不快だわ!」


「なんだと?もう一度言ってみろ!」


「朝っぱらからあんたみたいなのの汚い裸見せられて、不快で迷惑だって言ってんのよ!」


「こいつ…!」


「何よ!」


二人が互いに詰め寄りかけたその時、


「これこれ、やめんかラッド、いやー、すまんなアリシアさん」


ディーゴが玄関の扉から入ってきた。


「どういうことだ、ディーゴ!」


「どういうことですの!?」


同時に振り向く二人。


「まぁまぁ、落ち着きなされ。まずはお前は服を着ろ。それからアリシアさん、湯を沸かして、お茶でも煎れてくれんかね」


「あ、あぁ…」


「えぇ、はい…」


老人の様子に、どうやらお互い不審な者では無いらしい、ということだけは察し、それぞれ互いに一瞥くれてから、着替え始め、茶を沸かし始めた。


そしてテーブルの上が片付き、三つの湯のみから湯気が上がり、その前にそれぞれが席につくと、目を合わせようとしない二人をなだめつつ、ディーゴは現在の状況やそれぞれのことを簡単に説明する。


まずは、娘のこと。


新しい居所と仕事を求めて街へ向かっていたところを、北の山中で出会い、街には知り合いも宛ても無いと言うので、人助けと思い街へ入るのを手伝い、自宅に招いた、


「アリシアさんじゃ」


「アリシア・セルトです」


とりあえず会釈をするアリシア。


「それから…」


青年の方へ向き直すディーゴ。


「王立第一○一騎士団所属、ラドリッド・アーロウだ」


青年は座ったまま背筋を伸ばして娘をまっすぐに見据えて言った。


「で、わしの孫じゃ」


「はぁ、ディーゴさんの…」


「この第一○一騎士団というのは、『翼』の騎士とも言われておる、通常の騎士団とは別の一群での…」


簡単に説明を加えるディーゴの話を聞きながら、衣服を整え、毅然とした態度の青年、改めて落ち着いて見たら思っていたより精悍な顔つきであり、アリシアは先ほどの口論を少し後悔しつつも、逆にその口論のせいで素直になるのをためらう自分もいた。


だってけっこうな言われようだった気がするわ。そりゃ、なんだか特別な騎士だって言うんだから、あのぐらいの勢いはあって然るべきものかもしないけど、私みたいなただの一般人の女の子をつかまえて、あれは無いわよ。


複雑な表情でお茶を飲む。


ラドリッドは夜勤明けで今帰ってきたところで、風呂を済ませ食事にしようとしていた時分に、アリシアと遭遇したらしい。


彼の自宅もすぐ裏手にあるのだが、一人暮らし同士、共同でできることはやった方が何かと都合が良いということで、食事や入浴はディーゴの家で済ませることにしているのだそうだ。


現在二十四歳にして、王立第一○一騎士団という、若い騎士を中心にした精鋭特殊騎士団に任じているという。


一○一とは、一○一個目の騎士団という意味では無く、通常の騎士団が一から順に数えて現在二十三あるのに対し、それとは別に作られた精鋭騎士団を、新たに一○一から数え始めた、その一つ目、ということで、その後一○九まで増設された全精鋭騎士団を統率する、上位二十名しか入れない精鋭中の精鋭集団を示すものであった。


「ま、そんなわけでな、こう見えても一応それなりに強者ということじゃよ」


「いいや、まだまだ…、いかに一○一騎士団が精鋭とは言え、まだロクに実践も知らぬ、この狭い壁の中での称号に過ぎない。この程度じゃ本気で踏み込まれたら勝ち目は無い。我々はもっと強くならなければ…」


眉間に皺を寄せて目を閉じる若き騎士。


「相変わらずええ歳をして真面目じゃの」


そう微笑みながら茶を飲むディーゴ。


「ディーゴが、元『竜翼』の騎士だというのにゆるみ過ぎているんだ」


目を開けてディーゴに向かって言うが、当の元『竜翼』の騎士は、ゆっくりと美味そうに茶をすするのみ。


「『竜翼』の騎士って?」


何やら、これまでのディーゴの、老人にあるまじき強靭な体力の謎が解けそうな単語が現れ、好奇心に目を輝かせるアリシア。


「なに、昔話、いやいや、もはやお伽話じゃよ」


茶化して誤魔化すディーゴだったが、ラドリッドが生真面目に問いに答え始める。


「かつてこの王都に存在していた、全騎士団を統率する特別な騎士団のことだ。現在ではその団員のほとんどは、騎士団統率本部の上官や王直属の軍師などに振り分けられて、『竜翼』の騎士団自体が事実上解散してしまっているため、もはや伝説的な存在になっている」


それを横で聞き流すように茶をすすりながら、


「まぁ、わしは政治家になりたかったわけでは無いんでな…」


と独り言のようにつぶやくディーゴ。


「へぇー、じゃあやっぱり、すごい人だったんだ。自分の国の騎士団のことなのに、やっぱり中央のことは田舎の農村にまではほとんど伝わってこないものね」


感心するアリシアだったが、


「お前、本当はわかっていないだろう」


とラドリッドが苛立ったように返す。


「アンタほんとに…」


むっとして先ほどの口論を再開しかけたアリシアを片手で制し、


「そんなことより、まぁとにかく、そういうわけでアリシアさんは、これからこの街の住人ということじゃから、街の護衛を司る騎士として、よろしく守ってくれよの、『翼』の騎士殿」


「そうよ、なんだか街の治安も良くないみたいな話じゃない、しっかりして下さるかしら、『翼』の騎士さま」


ディーゴに『翼』の騎士の名を出され、一瞬、返す言葉に窮するラドリッドに、アリシアが便乗してたたみかける。


その時、アリシアは街という言葉からふっと思い出し、


「そうだったわ、ディーゴさん、私、今日は住む所と仕事を探さないといけないのでしたわ」


ディーゴを振り返る。


「あぁ、そのことなんじゃが」


ディーゴは飲み終えた茶を置くと立ち上がり、


「こちらへ来てくだされ。ちょっと見てもらいたいものがあるんじゃが…」


と、玄関の方へ歩き出し、アリシアを手招きした。


「何かしら?」


とりあえず後を追うアリシア。


なんとなく気になり、アリシアがディーゴに続いて玄関の扉をくぐった辺りでゆっくりと立ち上がり、歩み出すラドリッド。


三人はディーゴの家の裏庭に建てられた大きな納屋へと辿り着いた。


「まぁ、こんなにたくさん、全部ディーゴさんが?」


納屋には、梁に紐で吊るされた干し果物や、網籠に山積みになっている採りたての山菜や果物が、その他、よくわからない箱や機械のようなものと共に、ぎっしりと置かれていた。


「そうなんじゃよ、つい採り過ぎてしまうでな。もうちょっと時期が来たら、そこの畑にも野菜がなるでの。わしら二人ではとても食べ切れんで、時々近所のもんに配ったりしておったんじゃが…、アリシアさん、良かったらこれを、街に売りに行く仕事をしてみてはどうかね」


とアリシアに向き直る。


「えぇ?」


突然の提案に、返事に窮するアリシア。


「でも…そこまでお世話になるわけにはいかないわ…だって…」


「いやいや、いいんじゃよ、むしろ、人助けと思って頼まれて欲しいんじゃ。それに、いきなり街に入って右も左もわからん中で居所やら仕事やらを探すより、まずは行商でもしながら街を見て回って多くの知り合いを作り、それから信頼できる人づてに必要なものを揃えていく方が、安全で確実じゃてな。重要な事前諜報活動というやつじゃよ」


「ふぅむ、なるほど、さすがディーゴ、悪くない作戦だ…」


ラドリッドが実直に感心している横で、アリシアはどうしたものかと思惑を巡らす。


とは言え、ディーゴには昨日からずっと助けられているし、その彼に頼みごとと言われては断りづらい。


それに、確かに彼の言うことは理に適っていた。


「うーん、わかりました、ディーゴさん。本当に色々ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。頑張りますね」


アリシアはディーゴの策を承諾することにした。


が、


「だけど住むところは…」


「いやいや、それも構わんよ。アリシアさんの手料理を毎日戴けるなら、二階の一部屋や二部屋ぐらい、いくらでも使ってくれて構わんわい」


「そんな…でも…」


街に向かう道中には全く考えもしていなかった展開に、出会ったばかりの御老人にこんなに何もかも用意して頂いて、甘えてばかりでいいのかしら、と戸惑いながらも、


「わかりました、本当に本当に、ありがとうございます。仕事も料理も、精一杯やらせて頂きます」


と深々と頭を下げた。


困った時はお互い様、助け合い、しっかり助けてもらって、いつか自分にも余裕ができたら、その時自分も誰かを助けなさい、と、幼い頃から母にもずっと言われてきていた。


いつかちゃんと自立できるようになったら、ディーゴさんにはいっぱい恩返ししよう、だから、今だけ、しばらくの間、よろしくお願いします。


心の中で、さらに深く頭を下げた。


「ん?ってことは…?」


何かに気が付くラドリッド。


「あぁ、そうじゃよ、お前さんもこれからしばらくは、アリシアさんの手料理が食えるぞい。良かったのぅ、昨日のスープなんか、本当に美味かったんじゃからな」


思い出したディーゴが、頭を上げたアリシアと目が合い、微笑む。


「あら、ありがとう、ディーゴさん。あんなのでよろしければいつだってご馳走するわ」


微笑み返す娘。


「なっ…」


若い娘とすぐ隣の家で暮らして、しかも食事や入浴は共同…?


入浴……?


「ちょ、ちょっと、ディーゴ」


良からぬ想像が膨らみそうで、あわてて打ち消しながら、老人の袖を引き数歩移動すると、


「なんじゃ」


と返すディーゴの耳元に、


「本気なのか?一体どういう…」


「あぁ、本気じゃよ。さっき説明した通りじゃ。お前さんもこの作戦を何やら褒めてくれておったではないか」


ディーゴが軽くいなす。


「いや…だからと言って…。だいたい、あの量の収穫は何だ?朝から姿が見えないと思ってはいたが、まさかあれ全部、今採ってきたのか?」


「はて…?元々こんなもんじゃった気もするが…」


年寄りは記憶が曖昧で困る、といった様子で宙を眺めるディーゴ。


「ぬぅぅ…、やはりさすがに『竜翼』の騎士随一の策士と賞嘆の声も高かったというだけのことはある」


「お前さんがまだまだ思慮が浅すぎるだけのことじゃよ。この世は、一寸先は何が起こるかわからんのじゃからな。常にありとあらゆる可能性、そう、例えばある朝突然若い娘さんが家に下宿することになる可能性なども、意外によく聞く話じゃて、多からずとも想定しておくべきじゃったな」


「く…」


これで納得する精鋭の騎士というのもどうかと思うけど、なんやかんやで元『竜翼』の騎士という祖父の言葉には弱いみたい、とにかく話はついたようね、無駄に声が大きいんだから、全部丸聞こえだわ…、まぁ、真面目が過ぎるってだけで、別に悪い人では無いのかしらね…。


「ということで、『翼』の騎士さまも、よろしくお願いします」


ラドリッドにも軽く頭を下げる。


「あ、あぁ…。わかった。決まったことは仕方無い。こちらもよろしく頼む」


これまでの咬み付くような態度から一転したような娘にとまどいながらも、ラドリッドも礼を返した。


「ほっほっほっ、さてさて、ではまずは朝食でも食べて、そしたらアリシアさんの仕事を始めようかの。まぁ慣れるまでしばらくはわしが共をするでな、『竜翼』の騎士を連れた若い娘となれば、街での覚えも良かろうて」


老騎士は玄関の方へと軽い足取りで歩み始め、


「本当にありがとう、伝説の騎士さま」


アリシアもそれに従う。


「もう何十年も前の話だから、今の者たちはディーゴの顔を見ても、全く気付かないし信じないだろうけどな。だいたい元『竜翼』の騎士が行商だなんて、考えられん話だ」


なんとも言えない表情で、ラドリッドがその後に続いた。


「ほっほっほっ、やっぱり頭が堅いぞ、ラッド。もしこれがわしの隠密行動のひとつだとしたらどうじゃ。誰にも伝説の騎士だなどと気付かれずに、街に潜入して情報をつかむことができるんじゃぞ」


老騎士が若い騎士をからかうが、


「そうか…、確かに…。もしもこれが長年に渡る、ディーゴに与えられた作戦行動なのだとしたら…、中央もなかなか狡猾に…」


ラドリッドは半ば本気で受け止めている。


それを尻目に、


「さてさて、まずはとにかく飯じゃ。空腹では体も頭もまともに働かんでの」


「そうね、何がいいかしら。昨日のキノコや山菜がまだ残ってるから、おコメと一緒に炒めてはどうかしら?」


「おぉー、それは素晴らしい。よろしく頼めるかね」


「もちろんよ、私、これから毎日頑張るわ」


「そりゃぁありがたいのぅ」


談笑しながら家に入って行く二人。


少し遅れて、ぶつぶつと考えながら戸内へと入るラドリッド。


名誉ある『翼』の騎士である彼の、一見鈍そうにも感じられた言動の数々はきっと、

ほとんど丸二日三日眠っていないような、過酷な夜勤明けの疲れせいだろう。


アリシアとディーゴは、朝食をとりながら、街への行商の段取りを話し合い始めた。


ラドリッドはその横で二人のやり取りを聞きながら、ディーゴの腕もなかなかだが、これもまた、勝るとも劣らない美味さだ、なるほど、ただの小生意気な田舎娘というわけでは無いようだな、などとアリシアの手料理をかきこんでいた。


商品があれだけの量となると、荷を運ぶのは、納屋にディーゴお手製の小型荷車があるので、それを使えばいい。


大通りで他の行商人たちと共に露天商をしてもいいが、それよりも知り合いの飲食店や商店を回る方が効率がいい。


なんなら王立系の、王宮内や騎士団向けの食事を作るような業者にまとめて卸せれば、最も無駄なく安定した収入を得られる。


だが、さすがに今はそれほどの量を用意できるわけでは無いので、やはり街の知り合いの店を回りながら、そこでさらに情報を得て、他にもお得意さんになってくれそうな人や店を広く見付けていけばいい。


そして、その前に重要な、価格設定。


これについては、まずは他の店が平均的にどの程度の値をつけているか、また、最も安いと思われる中央市場の価格を調べ、それに対し、自分たちの商品がより良いものと言えれば、さらには商品以外にも、例えば「アリシア」という付加価値があれば、多少高く値を付けることもできるかもしれない。


ただし、アリシアを込みにしても、商品自体は山で採ってきたり、家庭菜園のものなので、大手の農家や業者に比べれば供給量や品質の安定性に欠けるため、やはり高値を付けるのは難しいはず。


無農薬だの、大自然の恵み、採れたて新鮮、などの言葉を添えれば、それだけで高値で買う者も多いが、それは、そういう商品を好む客をある程度絞れてからの話。


まずは普通の店への卸売を想定するので、できるだけ安いに越したことは無いし、実際、基本的にはかなり安値を付けることはできる。


何しろ、山から採ってくる分には原材料費は無し、せいぜいディーゴの弁当代ぐらいのもの。


その弁当も、結局は山で採れたものを家でアリシアが料理するだけなら、ほとんどタダ同然だ。


「とは言え、いったん中央市場よりちょっと高め、普通の商店よりは安いかな、というぐらいの価格で始めることにしましょう。そして様子を見て、私たちの顔がある程度知れた頃に、少し値を下げましょうか」


二人の案や意見が書かれた何枚もの紙がテーブルに散乱する中、新しい紙に決定事項を書いていくアリシア。


「ふむ、なるほどな。まぁ急に現れた個人の商売人から、いきなり多くを買う者などもおらんしな。安い値を付けておったからと言って、それは同じことじゃて」


決定事項を確認しながら、持っていた紙をテーブルに投げやるディーゴ。


その紙が、二人のやり取りに、もはや呆然と目を奪われているラドリッドの手元にも飛んで来る。


話に聞き入り過ぎて、何度かあやうく匙を落としかけていた。


「そうよ。むしろ見知らぬ新参者が売る安物は、不審がって買うのをためらうかもしれないわ。仮に売れたとしても、同業者からの反感を買う可能性もある」


「そうじゃな。いかにわしの知り合いも多いとて、商売となれば別の話じゃからな。」


商売人にとって重要なのは、何よりもまず自分の利益だ。


それを守るためならば、身内にもそうそう甘い顔はできない。


人情がどうとかの話ではなく、商売人としての、むしろ最低限必要な素質だ。


「それに、値下げは簡単だけど値上げはそうもいかないわけだし、あまり安い値から始めると、値上げが必要な事情ができた時に困ることになるわ」


「うむ、商品も自然からの採取となれば、毎日同じような量も確保できんし、嵐でも来れば全滅することも有り得る。その時に収入が激減したり無くなったりしてしまっては大変じゃからのぅ」


「そう、そういう時のためにも、常に貯蓄を増やし保っていくのは大事よ」


「そうじゃな」


頷き合う二人と、食事も終わり、今や教師の話に聞き入る生徒のような眼差しで、その会話に聞き入っているラドリッド。


「で、それで、お客様や同業者の人たちに、ある程度、私たちが商売をやっていて、怪しい者でもなく、ちゃんとした商品で真面目に普通にやってます、どういうものをどうやって用意して売っています、みたいな素性が、ある程度知れた頃合いに、そうね、むしろそこは同業者の誰かが、意見なり提案なりしてくれると助かるんだけど」


「それならもっと安くで売ればいいじゃないか、安くで売ってくれ、とな」


答えを出すディーゴに頷くアリシア。


「そう。そしたら、堂々と値下げをして、『どこよりも安くて美味しい山の幸』と銘打って、一気に一歩前に出られるわ」


「ふむ、そうなれば、大口の客もついて、より多くをまとめて売れるようになるかもしれんのぅ」


「えぇ。よし、これでいかがかしら?ディーゴさん」


それまでのやり取りを箇条書きにまとめ直した紙を持ち上げ、ディーゴに見せながらアリシアが微笑んだ。


「うむ、素晴らしい経営計画じゃと思いますぞ。いやはや、アリシアさんもなかなかの商売人じゃな」


アリシアの商才を、お世辞無しに褒め称えるディーゴ。


アリシアは少し照れたような顔で、


「このぐらい、貧しい農村の、生活の知恵ですわ。山奥の農村とは言ったって、自給自足だけじゃまかないきれないからお金は必要で、やっぱりお金を上手く稼ぐ方法というのは、大人も子供もみんな考えながら畑を耕していたもの」


「ほっほっほ、それは素晴らしい。良い環境で育ちなすったな」


「えぇ……、そう、そうね…、本当に……」


村のことを思い出し、口をつむぎ黙るアリシア。


どうかしたのか、と、何か普段ならぬものを感じ取って、ラドリッドがアリシアを見つめている。


それに気付き、妙な方向に話がそれたと、


「さて、アリシアさん。作戦も決まったことじゃし、まずは街に、観光も兼ねて市場調査と行きますかの。その時にわしの馴染みの店にでも寄って、さりげなく宣伝もするとええ」


ディーゴが言葉を継いだ。


「そうね、そうしましょう。楽しみだわ、いよいよ中央の街に初潜入ね」


アリシアも、ラドリッドの視線に気付き、悟られまいと、ディーゴの助け舟に乗り、ぱっと表情を一転させ笑顔を見せ、立ち上がった。


そして、アリシアをまだ見つめているラドリッドに目を向ける。


「それから、『翼』の騎士さん」


「な、なんだ?」


自分は完全に蚊帳の外で話に入れず、夜勤明けの食後の眠気も手伝って、やや注意力が散漫になりかけてきていたところに、急に話しかけられ、体をびくっと震わせ反応する。


「街にある日突然行商人の若い娘が現れたら、どんな危険や事件が想定されますか?」


アリシアの問いの、危険や事件、という言葉にふっと騎士の顔に戻り、日常的な街での問題や事件、そして常に想定されている諸々の危険を思い巡らせ、


「そうだな…、うむ…、やはり、街のごろつきどもや物盗り、人買いなどの良からぬ輩が絡んでくるかもしれんし、最近では隣国の者が侵入しているといううわさも耳にするな…」


真剣に答えるラドリッド。


「そう。でも私、体力には自信があるけど、身を守るような武術みたいなものは身に付けていないわ」


体を自分の腕で抱きすくめるような仕草。


「そうか、それではいざという時に危険だな」


「そうなの。だから…、いざという時、もし何かあったら、私を守ってね、『翼』の騎士さま」


ラドリッドに向かって小さく微笑んだ。


さっきまでディーゴと同等の才気で計略を練っていた策士から一転、急に普通の娘のようなことを言い出すので、その落差にとまどうラドリッドだったが、


「あ、あぁ、わかった、任せておけ。第一○一騎士団、『翼』の騎士の名にかけて、必ずお前を守ろう」


と、立ち上がり、右手の拳を胸の前にかざして誓った。


「騎士の約束ね」


その仕草を見て嬉しそうにアリシアが言う。


「あぁ、そうだ」


右手をおろしてまっすぐに立ちアリシアを見つめるラドリッドは、中央都市に初めて入る娘の目に、頼もしく映った。


なんやかんやで、やっぱり騎士ですものね。


アリシアは心が安らぐのを感じ、


「よろしくお願いします」


と頭を下げた。


「任せておけ」


何やら急に使命感を覚えて真剣な眼差しになるラドリッド。


「さてさて、それでは行きますぞい。ラッド、お前は今日は非番じゃろう、ゆっくり休むとええ。夕飯までには帰ってくるはずじゃ。またアリシアさんの手料理が食えるぞい、嬉しかろう」


二人のやり取りを微笑ましく見守っていたディーゴが、立ち上がり玄関の方へと歩き出した。


「あ、はい」


ぱたぱたとアリシアが老人の後を追い、玄関前で振り返って、


「それでは、行ってきます」


ラドリッドに小さく頭を下げて外へ出て行った。


「あ、あぁ、行ってらっ…しゃい…」


そういえば行ってらっしゃいなどという台詞、もう何年も言ったことがあっただろうか。


両親を早くに亡くしているし、仕事で使う言葉でも無いし、ディーゴとはもっと雑な男同士の会話だ。


なんだか少し恥ずかしくなるというか、懐かしいというか、妙な気分だ。


そんなことを考えながら、急激に襲ってきた眠気にあくびをしながら、ラドリッドは自分の家へと帰っていった。




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