05.月明かりに眩く
私がグレイさんと出会ってから少しの月日が経った。お店に並べる草花の種類もその顔ぶれは変わっていく。私のやることは変わらないので、毎日なんとか頑張っている日々だ。
私とグレイさんが会うのはまちまちだ。何日も続けて会うこともあれば、お互いに日程が合わず一週間以上会わないこともある。グレイさんは最近また用心棒の仕事を始めたらしい。強い人だから私の心配なんて余計なお世話かもしれないけれど、会う時にどこも怪我がないのを見て内心ほっとしている。
国から感謝されるようなすごい人とこうやってお話できるなんて、なんだか現実感がないと時々思う。でも会えたらやっぱり嬉しいし、次の約束ができるとその日が待ち遠しい。会える日の朝はなんだか爽やかな気分で起きることができる。こんな風に人と会っているにも関わらず全然息が詰まったりしないことに、私は気が付いていなかった。
「――その時、翼竜たちが一斉に飛び立っていくのを見たんだ。夕焼けの空を赤い竜の群れが埋め尽くすのは圧巻だった」
グレイさんはよく冒険の話をしてくれるようになった。最近の仕事の話の時もあれば、思い出話の時もある。私が聞きたいと言ったからなのだろうけれど、話すのが得意じゃないと自分で言っていたグレイさんがこうして物語を聞かせてくれる時間はとても楽しかった。
「翼竜なんて、私、見たこともありません」
「そうだろうな。この街にいたら、まず見る機会はないだろう」
語られるグレイさんのお話は本当に夢物語のようだ。すごいなあ、と思う。私なんかはきっと怖くて魔物のそばにも寄れないだろう。ただでさえ活発な人間ではない。一度だけでもいいから冒険をしてみたいとは思うけれど、思うだけだ。そんな勇気はない。きっと出来やしない。でも、グレイさんはそれを何でもないことのように言ってみせるから、私には眩しく感じる。
――こうしてグレイさんと話すのが私にとってはちょっとした冒険になるのかな。
「あ、できました! グレイさんはどうですか?」
「さっぱりだ」
私の手には完成した花冠が、グレイさんの手にはあまり綺麗とは言い難い花冠がある。
「すまないな。いつも丁寧に教えてもらっているのに……」
「いいえ、気にしないでください。うまくいかないことでも長い目で見てじっくり取り組むことが大事だって、私の知り合いの方が仰ってましたから」
知り合いというか、奥さんのことだ。奥さんやセシリアにはこうしてグレイさんと会っていることを話していない。話したら、からかわれるのが目に見えているし根掘り葉掘り聞かれることは間違いない。私とグレイさんは全然そういうのじゃないのに。だって、グレイさんには大事な人がいる。こんなに時間をかけてでも花冠を渡したい相手が。
きっと、花冠が作れるようになったら。グレイさんと私が会うことはなくなるんだろう。
「そろそろ時間だな」
「そうですね。また今度頑張りましょう!」
「ああ」
早く上手になってほしい。私はそう願っていたが、グレイさんの花冠作りは一向に上手くならないままだった。
帰りたい。帰りたい。帰りたい。いや、でも頑張らなきゃ。ああ、でも、やっぱり帰りたい。
日も暮れて、子供はそろそろ寝るだろう夜の時間に私は心の中で溜息をついていた。
「エミリー! これ七番テーブルまでおねがーい!」
「は、はーい!」
セシリアのの呼び声にハッとして、慌てて厨房の方へ行く。両手に大皿の料理を持っているセシリアが私に指示を出す。
「これを運んだら、次にチキンがくると思うからそれを同じテーブルにね。私はパスタを三番まで運んだらお酒作らないといけないから。……本当にごめんね。こんなお願いしちゃって。辛くなったらいつでも言ってくれていいんだからね?」
「大丈夫よ。あのセシリアの頼みだもの。ここで恩を売っておかなくちゃ」
「あら、言ってくれるじゃない」
セシリアはニヤッと笑って料理を運んで行った。その後ろ姿を見送る暇もなく、私はパスタを持って指定されたテーブルへと向かう。
なんでこんなことになっているか説明するには、話を今日の昼まで遡らなくてはいけない。
「だから、ど~~しても人手が足りないの!」
この通り! と手を合わせて私に頼み込むセシリアにすっかり私は困っていた。いつも通り店番をしていて暇していたところにセシリアが駆け込んできたのだ。
「そうは言われても……」
「急なお願いだっていうのはわかってる! でも、そこのところをどうか!」
「ちょっと、どうしたのよセシリア」
私たちが騒いでいるのを聞きつけてか、奥さんがお店の方へ顔を出した。セシリアは溜息をついて説明をする。
「実は……お店で働いていた女の子の家が火事になっちゃって……」
お店、というのはセシリアの家がやっている酒場のことだ。セシリアもそこで働いてご両親を手伝っている。
「ええ? もしかして、あの火事? まさかセシリアのところの子が……」
「そう! その子、実家は別のところにあって今は一人暮らしをしてたんですけど、火事になって家は燃えるわ怪我するわで大変なことになっちゃったものだから、実家に帰ることになったんですよ!」
「怪我の具合は大丈夫なの?」
「命に別状はないんですけれど……しばらくは……」
最近、この街で火事が起きた。それ自体珍しいことで、街の人々の間ではこの話で持ちきりだった。噂では放火だというけれど、実際の原因が何かはまだわかっていないはずだ。
「それは仕方ないことだし全然何とかなるんですけど、問題は今日二人も休むことなんですよ! 風邪で!」
「それはそれは……季節の変わり目だものねえ」
「いや、風邪も仕方ないんですよ? それは分かってるんですけどいきなり今日三人休みはまずいんですよ~! 少しでも人手が欲しくて~!」
「それであちこち駆けまわっているのね……エミリーを貸すのは大丈夫よ。もちろん、本人の意思によるけれどね?」
一応、奥さんの家でお世話になっている身なのでどこか出かける際は奥さんに報告するようにしている。特に夜間の時は。……グレイさんと会う時は散歩してきます、って言ってるけどバレてないよね?
「エミリーお願い! 今日だけでいいから!」
「……わかったよ。セシリアの頼みだもの」
「ありがとう~~!!」
セシリアが私に抱き着いてきたので慌てて受け止める。身長が高い彼女を抱きしめようとすると自然と体が上向きになるのでちょっと苦しい。
セシリアは本当に困ってるんだと思う。私がそういう場所をあまり好きじゃないというのも、口に出したことはないけれどなんとなく察していると思うのだ。酒場に対して偏見があるとかじゃなくて、単純に接客だとかお酒を飲んだ人の大声だとかが苦手。きっとセシリアはそんなこともわかっていて、それでも他にアテがなくて私を頼ってきたのだろう。それを断るなんて私にはできなかった。
――その結果がこれなんだけど。
パッと明るい照明の下で私の耳は大渋滞だ。あちこちから聞こえる人の声は陽気な笑い声がほとんどだ。食器やグラスがぶつかる音だったり、女の人の高い声だったり男の人の大声だったり。ありとあらゆるものが私の耳から入ってきて頭をガンガン刺激する。暑いし、息苦しいな。お客さんに笑いかけられたら、こっちも自然と笑顔になるくらいには慣れてきたけれど。
「でも、この服はちょっと恥ずかしい……」
誰に言うでもなく一人ごちる。セシリアからお店の服を借りたのだけれど、普段着ない服装なのでちょっと、いやとても恥ずかしい。首周りは大きく開けているし、スカートも丈が短いので膝は当然出ている。私、これまでの人生で膝なんて出したことないのよ!? こういうのはセシリアみたいなスタイルの良い人が着ると似合うわけで、私みたいな子供っぽい女が着たところで……。そう悶々としていたところで、店のベルが鳴った。「いらっしゃいませー!」とセシリアが短いスカートから覗く素晴らしい太ももを存分に見せながらドアの方へ向かった。
「って、キャア! バ、バルト様!?」
セシリアの悲鳴に近い声に思わずそちらの方を見る。ドアのところに立っていたのは、なんとあのパレードでお見掛けしたバルトさんだった。爽やかな笑顔は夜でも眩しい。あの時のように畏まった服装ではなく普段着で武器も身に着けていないので、本当にお酒を飲みに来たのだろう。
「予約も何もしていないのですが大丈夫でしょうか? 六名ですが」
「は、はいっ! どうぞこちらへ!」
バルトさんの笑みに顔を赤くさせたセシリアが案内をする。店の中に突然入ってきた有名人に一斉に場がざわつき始める。
「もしかして、あの英雄様御一行じゃ……」
「ウソ! こんな近くで見れるなんて!!」
私もそちらに気を取られながら空いたお皿を片付けようとしていた。のだけど。一番最後に入ってきた人の顔を見て私は仰天する。
(ぐ、ぐ、グレイさんっっ!?)
思わずお皿を落としそうになった。何回まばたきをしてみてもそこにいるのはやっぱりグレイさんで、グレイさんだった。というか、グレイさんは魔物を倒した人たちの一人なのだからバルトさんたちといるのは何もおかしなことじゃない。じっと見つめていたらグレイさんがこっちに顔を向けようとしたので、慌てて厨房の方へ隠れた。どきどきとしている胸を押さえながらその場にしゃがみ込む。
まさかこんなところで会うなんて。どんな顔をしていればいいのだろう。挨拶したほうがいいのかな。いや、でも、迷惑かも。そんなに接点があるわけでもないのに慣れ慣れしく話しかけたりなんて。だって私はグレイさんのお友達でも何でもないんだから。でも無視するのも失礼じゃない?
静かな、人のいないところでしかグレイさんとは会わないので、こういう時にどうするのが正解なのかがわからない。普段通りに話しかけたほうがいいんだろうか。そうしたら、グレイさんは私に返事をしてくれるんだろうか。
そんなことを考えていたが仕事中だったことを思い出し、慌てて立ち上がる。何はともあれ仕事はしなくては。フロアへ戻ると英雄様たちが来たことで店内は活気づいていた。グレイさんたちのいるテーブルを見ればセシリアがいて注文を取っている。セシリアがグレイさんたちのテーブルを担当するなら、私は行かなくてもいいかもしれない。こんなに人もいるんだし、そうすればグレイさんは私に気が付かない、よね。グレイさんと話したいんだか話したくないんだか自分でもわからなくなってきた。
その後も仕事をこなしていたが、私がグレイさんのテーブルに近づくことはなかった。ベテランのセシリアが担当してくれていたので、私は他のテーブルの接客をに回っていた。なるべくグレイさんのことは意識しないようにしたかったので私としてはありがたい。
「ちょっとちょっと店員さんこっち!」
料理をテーブルに置いていると、別のお客さんに呼ばれる。そのお客さんのテーブルはお酒の進みが早く、さっきから笑い声がひっきりなしに響いていた。「はーい」と返事をして、テーブルに向かうといきなり手を掴まれた。突然のことだったので、声も出せずに驚いているとお客さんたちが私に次々と声をかける。
「店員さん、見ない子だね。セシリアのお友達?」
「最近お店来たの? 名前は?」
「え、えっと」
「かわいいね~。よかったらこっち座りなよ」
「し、しご、仕事中、なので……!」
「だいじょぶだって。ちょっとだけだから! ね、ちょっとでいいから!」
「あの、わた、わたし」
男の人の引っ張る力が強くなる。もう一人が私の肩を促すように触ってきてますます怖くなる。逃げ出したくて仕方ないのに私の足は石になったように動かない。引っ張られる力に負けないようにその場にとどまるのが精いっぱいの抵抗だった。
「ていうか細いね。足とかきれいだし」
「名前だけでも教えてよ」
「お酒飲めるの?」
頭が痛い。私の耳に男の人たちの笑い声が入ってきて頭の中をずかずかと踏み荒らしていく。呼吸するのを忘れたように胸が苦しい。嫌なのにはっきりと言えない自分が情けなくて恥ずかしくて目が熱くなる。男の人の手が私の腰に回って、いよいよ体が震え出した。いや、さわらないで。やだ――――。
「手を離せ」
聞いたことある声が私の中にすぅっと入ってきて、ぐるぐると渦巻いていた雑音がすべて霧散した。
「あ?」
「聞こえなかったか? 手を離せと言っている」
グレイさんはいつもの声の調子で、けれどはっきりと言った。その手は私に触る男の人の腕を掴んでいる。私はグレイさんの顔を見ることができなかったけれど、きっといつものような彼なのだろう。いつも無表情で、声のトーンも大きさも変わらなくて、ずっと優しくしてくれるグレイさんがそこにいてくれている。
「なんだあ? てめえいきなり来て……」
「おい待てって! こいつグレイだ!」
「は!? あっちのテーブルにいたんじゃねえのかよ!」
「俺が知るかよ!」
「――俺が誰かなんてどうでもいいことだろう。手を離せ。三度も言わせるな」
場がシンと静まった。
グレイさんは私に「歩けるか」と小さい声で尋ねる。それになんとか頷いた。ほんとうに小さい動きだったけれど、グレイさんはそれを見てくれていたようで「腕につかまるといい」と私に言う。迷ったが腕に触れないよう、彼の服の袖を握った。
お礼をいうべきか、謝るべきかわからなかった私は何も言うことができなくて、代わりに握る手に力を込めた。