02.風に誘われて
人が多いところって、あんまり好きじゃない。
そんなことを思いはするけれど、好奇心に従って集まったこれだけの群衆の中で言えるはずもない。隣で目を輝かせてパレードの始まりを待つセシリアの隣で私は少しだけ辟易としていた。人の集まり、いわゆるパーティーやらお茶会やらが物心ついた頃から苦手だった。決して楽しくないわけじゃない。ただ、そこに長い間いるのが私には少しだけ辛いというか、そんなに仲が良いわけじゃない人たちとのおしゃべりが向いてないな~と思ってしまう。人の言葉だったものが段々と崩れて最後には雑音になるのだ。きっとおかしいのは私の耳なんだろうけど。でも、そうなるくらいなら最初から植物相手に話してるほうがマシでしょう?そう言ったらお母様が変な顔をしたんだった。
「あとどのくらい?」「もうすぐ」「どんな人たちだろう」そんな人々の声が耳を通り抜ける。みなが口々に言う、想像上の英雄たちはどれもバラバラでちぐはぐだ。確かにどんな人たちなのだろう。化け物を倒しちゃうくらいなんだから、きっと背は大きい。力持ちで屈強な人たちに違いない。性格はどうなのだろう。やっぱりちょっと怖いのかしら? なんて、想像している自分も他の人たちと同じように楽しみにしていることに気が付いて苦笑いしてしまった。私もこの街の暮らしに染まりつつあるらしい。それは悪い事じゃない、はず。
「あ、始まるよ!」
セシリアの一際澄んだ声が響く。そして、ファンファーレが鳴り響いた。
「ちょっと押さないでよ!」「すげーー!!」「バルト様よ! こっちに向かって手を振ってらっしゃるわ!」観衆の声がわっと大きくなって、頭に響いてくる。ああ、やっぱり向いてない。でも、セシリアは目を輝かせて見ているし、折角来たんだからちゃんと見ないと。私はつま先立ちになって必死に人々の間から覗いた。
豪華な飾りつけがなされた台車を馬たちが牽いていく。その乗り物に英雄たちがバラバラの位置で立っていた。笑顔で観衆の声に応えている人もいれば台の二階から大きく手を振っている人もいる。中には女の人もいて、私の中の英雄のイメージがぽろぽろと零れていく。思っていたよりも強い! て感じの人ばかりじゃないし、怖そうな人たちでもない。それでも自分とは程遠い世界に住んでいる人たちなのだと感じた。多くの女性たちからバルト様、と呼ばれている男性が柔らかい笑みを浮かべている。腰には剣を下げていた。武人という出で立ちではないのに、重々しい剣がしっくりとくるのはやはりそういう風に生きてきたからなのだろう。
「あれがバルト様! 噂通りかっこいい人だわ~!」
頬を両手で抑えてぴょんぴょんと跳ねるセシリア。けれど、ふとその動きを止めた。
「あれ? どうしたのセシリア」
「エミリー、あの人見える?」
「え? 誰? どの人?」
「一番端。影に隠れてる人」
私たちの前を台車が通り過ぎる直前だった。飾りつけに隠れているのか、ひっそりと立っている男の人を見つけた。すらりと背の高い人で灰色の髪をしていた。笑顔で手を振るでもなく、腕組みをして本当に立っているだけ、という感じだ。
「あの人、グレイっていうんだけどすっごく強いらしいのよ。ひょろっとしてるから全然そういう風には見えないけどね。でも、英雄様たちの中でも実力は一番て言われてるらしいの」
「ふーん……」
「お前さんたち、グレイが気に入ったのか? やめとけよ、あの男にはろくな噂を聞かねえぜ」
私たちの話が聞こえたのか、近くにいたおじさんが会話に入ってくる。とうやらセシリアの店によく来る客らしく、彼女も気さくに返事をした。
「あら、ゴードンさん。近くにいたの。気が付かなかったわ」
「セシリア、お前は美丈夫しか視界に入らないもんな。知ってる知ってる。でも、あのグレイはやめとけよ」
「どういうことですか?」
「あいつ剣士としての腕も一流で顔もあの通り整ってるんだがとんでもなく冷酷で残虐な男らしい。噂では子供が魔物に襲われてるのを見ても顔色一つ変えなかったとか、魔物を甚振って殺すことを楽しんでるとか。魔物だけじゃなくて人間も殺してるんじゃないか、とか色々言われてるみたいだ」
「でも、それって所詮は噂でしょ? いくらなんでも言い過ぎなんじゃないの?」
「それはそうだけどさ。でもあいつ、いつも無表情だろ? 今のパレードの時だってにこりともしやしない。周りのことなんて興味ありません、って感じでさ。まあ感じが良いとは言えないわな。それにあの灰色の、飢えた狼みたいに冷たくて鋭い目だよ。視線だけでほんとに人殺せるんじゃないか?」
「その辺にしときなさいよ、ゴードンさん。ま、あの人は好みじゃないから別にいいんだけどね」
セシリアはそう言って肩を竦めた。私はついさっき見たグレイのことを思い出そうとした。背が高くて、灰色の髪。そして同じ色の瞳。飢えた狼、というのは確かに適切な表現なのかもしれない。あんなにも冷たくて怖そうで、けれど綺麗で気高い目を私は見たことがなかったのだ。
パレードから日が経ち、私はいつものように日々を送っていた。けれど、最近は日課がある。
「良い天気!! ずっとお店の中だと太陽の光は恋しくなるもの」
それはお店の休憩中にとある場所へ行くこと。この前の休日に偶然見つけた場所だ。私は機嫌よく街の通りを歩いていき、帽子屋の前のところで路地に入った。笑いながら走っていく子供たちとすれ違いながら複雑な路地の行き当たりに着くとそこには階段がある。少々、いやかなり上るのは厳しいものがあるけれど、これも自分への修行、もとい健康のためだと思って頑張って上る。息を切らして小高い丘に辿り着けば、そこから眺める景色だけで私の疲れは吹き飛んでしまうのだ。
「あー疲れた! でもとっても気持ちいい! 風が涼しくって、花がたくさん咲いていて! そして何より静か! 人がいない!」
私は笑いながら草むらに仰向けで倒れた。日の光が眩しく私の顔を照らす。青い空はどこまでも高くてほうっと息を吐いた。
ここが私の秘密の場所。何にも考えずにいられる花畑。目をつぶっていれば、昔の御屋敷の庭で寝ていた頃に戻れるの。ただ、毎日が幸せでそれがこれからも続いていくと根拠もなく信じていたあの時に。時間は戻らないと知っている。お父様もお母様もいない。そんなことはわかってる。でも、どうしても息をするのが辛くなる時があるのだ。誰かと話している時、誰かと笑い合った時、誰かに挨拶をした時。人と関わったあと、私は時々呼吸が苦しくなる。胸が何かでつかえて、苦しくて苦しくて。自然に触れているとその苦しさはなくなる。だから私は草花に触れて誰もいないところでじっと過ごす。そうしてまた街に戻っていく。この「息抜き」とも言えるような行為を始めてから私はこの街で生きていくのが楽になった気がする。と、同時に思う。結局のところ、私のこの得体のしれない苦しさは植物と触れ合うことでしか解消されないのだ。まるで、人間社会で生きていくのに向いてないと烙印を押されているかのようだ。
ぱっと目を開けて上体を起こす。いつの間にか寝ていたらしい。時間はそんなに経っていないと思うけれど、もう戻ろうかな。
そう思って立ち上がると、草むらのもっと奥の方に人影があるのが見えた。
「あれ、私以外もこんなところに人がいるの?」
気になってそろそろと近づいてみる。誰もこんなところにわざわざ来ないと思っていたのでびっくり。あまり音を立てないように慎重に歩く。そして、ようやく姿がはっきりと見えた。
「えっ……あれって、グレイ……さん?」
自分の目が信じられずに瞬きをしてもう一度確認するが、やはり前にパレードで見かけたグレイさんだった。後ろ姿しか見えないが絶対そうだ。同じ剣を身に着けているし、すごい特徴的な人だから忘れるはずもない。え、何してるの? 本当に。
グレイさんは草むらに屈んでいた。何かを探すように草や花をかき分けている。物でも落としたのだろうか。
すると、不意にグレイさんが立ち上がった。突然のことに心臓がドキリと跳ねる。そして、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「誰だ」
そう言った彼の瞳はパレードの時と同じ、冷たくて綺麗な灰色だった。私の心臓はもう跳ねもせずに凍っていた。人を射抜くような鋭い視線に私の体は少しも動かない。声も出せずに固まっているとグレイさんがこちらへずんずんと歩いてきた。
え、何で!? 何でこっち来るの!? 私が見てたから!? こっそりのぞき見してたのが気に入らなかった!? それはそうよね良い気はしないよねごめんなさい!!
これらの言葉は私の口からは一つも出てこず、足はその場に縫い付けられたかのように動かない。処刑を待つ罪人のようにグレイさんが近くまで来るのを待っているしかなかった。
私の前に立ったグレイさんは遠くで見てたよりも背が高く感じた。そして上から見下ろされた時の圧がすごい。私はどちらかというと背が低いほうなので身長差を実感せざるを得ない。グレイさんはじっと私を見ている。それに対して私は俯いて必死に視線を逸らしていた。怖い、怖すぎる。私の頭の中では冷酷で残虐、という情報が駆け巡っていた。もしかすると今日が私の命日なのかもしれない、とぎゅっと目をつぶった時だった。
「ここの管理人か?」
上から降ってきた言葉があまりにも予想外で思わず顔を上げる。目が合って怯んでしまうが、それでもなんとか視線を逸らさないように頑張った。緊張でカラカラの喉からようやく声が出る。
「か、かんりにん?」
「違うのか? 俺が勝手にこの場に立ち入ったから注意しに来たのだろう? 言い訳にはなるが悪事を働きにきたわけではない。だが、確かに俺の不注意だった。申し訳ない」
「え、いや、え?」
な、何か勘違いしていらっしゃるのでは? グレイさんの表情は一切変わらずに淡々と話している。というか、この人すごい私の目を見て話してくる。全然良い事なんだけど、良い事ではあるんだけど、やっぱり怖い!
「あ、あの!」
「何だ」
「わ、私はべ、べべ別に管理人とかではない、です……ここ、立ち入り禁止でもない、と思います、し……」
「そうなのか? おまえがこの土地の所有者なのだと思っていた。他に人もいなかったからな」
そりゃわざわざこんなところ用事でもなければ来ないし……というか、この場所の所有者とかいないのでは? 強いて言うなら街の管理下とかなんだろうけど……。
「いえ、私は本当にただの一市民で……あの、こちらこそ勝手に見ていてすみませんでした」
「特に気にしていない。俺は視線や気配といったものにどうしても反応してしまう癖があるんでな。こちらこそ急に声を掛けてすまなかった」
そう言うとグレイさんは私に背を向けてしまう。そのまま少し歩くとまた草むらに屈んで何かを探し始めた。もう私のことなど気にしていないらしい。へ、変な人……。
私の体もやっと緊張から解放されたようでどっと疲れが出てきた。休むためにこの場所に来たのに。話は終わったのだから早く街に戻ろう。そう思うのに。
何故か私は振り返ってグレイさんを気にしてしまう。だって、だって気になるでしょう! 英雄と呼ばれてる人が! 冷酷で残虐なんて噂されている人が! こんな草花が咲いてるところで何か探しているんだもの! 気にするなってほうが無理よ!
……それに。外見や噂で聞いていたよりも怖い人じゃない、のかも。
私の心の天秤はしばらくグラグラと揺れていたが、答えは出た。私はグレイさんに近づき、意を決して話しかけた。
「あのっ!」
「……」
屈んだまま、無言でグレイさんがこちらを見上げる。また目が合うけれど、今度はそんなに怖くなかった。
「な、何か探してりゅんですか!」
噛んだ。穴を掘ってそのまま地中に埋まってしまいたい。
私が茹蛸のように真っ赤になっていることなど、気にも留めない様子でグレイさんが立ち上がる。一瞬、何かを躊躇ったようだったが、腕組みをして首を傾げてこう言った。
「花に詳しいか?」
質問に質問で返された。私はびっくりしながらもコクコクと頷く。「そうか」と言ってグレイさんが続きを話し始めた。
「実は花を探している」
「はなをさがしている」
思わず同じ言葉を復唱してしまったが、グレイさんはそうだと頷く。
「何でもいいから花が欲しい、と言われてこの場所にやって来たはいいのだが、如何せん俺は植物のことには明るくない。花の良し悪しなど正直皆目見当がつかない。花屋に行けばすむ話ではあるのだが、なんと言えばいいのか、俺は必要以上に人を怯えさせてしまうらしい。俺自身もあまり人と話すのが得意ではない」
「は、はあ……」
「だから、こうしてとりあえず生えている花を見てはいるのだが……女性はどのようなものを好むのだろうか?」
……なるほど? 女性への贈り物の話だったのね、これ!
情報整理が追いつかないけれど、とりあえずそれだけはわかった。女性に花が欲しいと頼まれて、それを探していたのだと。というか、グレイさんて恋人いるの!?
そのことに一番驚いたが、いや失礼だと考え直す。そうよ、強くて綺麗な人なんだから恋人の一人や二人いたっておかしくないわよ。うんうん。
恋人に贈る花。店でたくさん聞いた言葉だ。
「だったら、あれはどうでしょう?」
私は少し離れたところにある花に近づく。私が屈むと、ついてきたグレイさんも同じように屈んだ。
「アルベルク、という花です。そんなに大きい花ではないんですけれど、束にすると映えるんですよ」
「ふむ……」
「えっと、花にはそれぞれ意味があるのをご存じですか?」
「そうなのか? 知らないな」
グレイさんがじっと花を見つめている。ピンク色の淡い花。私は花弁に触れながら言葉を続けた。
「人がつけた意味ですけれどね。アルベルクには『感謝』や『思いやり』、『愛情』といった意味が込められているんです」
「……なるほど」
「ですから、人に贈るにはぴったりの花なんですよ。愛情といっても恋愛という意味よりかはもっと普遍的な……それこそ日頃の感謝を伝えるくらいの、そういう些細なこともこの花は伝えてくれるんです。私がこの花をもらったら、細やかで丁寧な愛情をその人から感じると思います」
そこまで言ってハッと我に返る。ついつい語り過ぎてしまった。後半なんて自分の世界に片足入ってたし! なにが「私がこの花をもらったら」よ! 自分の話なんてどうでもいいでしょ!
「あっ、あのすみません! つい熱が入っちゃって! 偉そうに色々言っちゃってごめんなさい!」
「何故謝る? 俺は偉そうだとは特に感じなかったが。寧ろ無知な俺に対し丁寧に説明をしてくれたことに感謝している」
グレイさんが表情を変えずにそう言うので、私は言葉に詰まってしまった。
「では、これにしよう」
「えっ、いいんですか!? 今のはあくまで私の意見で……!」
「俺は今のおまえの話を信用している。おまえは花が好きで、詳しい。そのことに偽りはないだろう。花に触る仕草を見て確信した。俺よりも花を愛している人間がこの花が良いと言ったんだ。選ばない理由がない」
グレイさんはそのまま土をかき分け根っこからアルベルクを取り出し始めた。私は何も言えずにそれを見ているしかなかった。今のはグレイさんの嘘偽りない言葉なのだろう。それがわかったからこそ、真っ直ぐに言葉が入ってきて私の胸を打つ。自分の体温が上がっていくのがわかる。今、とっても嬉しいんだ、私。
グレイさんは数本のアルベルクを引き抜くと立ち上がった。慌てて私も立ち上がる。
「本当に助かった。礼を言う」
「いえ! お役に立てたならよかったです」
「何か差し上げるものがあれば良かったんだが……生憎今は何も持っていなくてすまない」
「そんな大したこともしてないんで! お礼を言ってくださっただけで十分です!」
「……ああ」
何かに気が付いたようにグレイさんが声を上げる。そして、手に持っていたアルベルクを一本私に向かって差し出した。
「今言ったように俺は身に着けている剣とこの花しか持っていない。だから、これでも構わないか?」
「……えっ」
「取ったばかりのものをこのように差し出すのは無礼なことかもしれないが……俺の気持ちを伝えるならばこれ以上に相応しいものはないだろう」
「え! いや、あの、えっと」
「『感謝』の意味があるのだろう? 迷惑でないならもらってやってくれないか」
そう言われて私は恐る恐る手を伸ばす。そっとアルベルクの茎に触れた時、グレイさんの手に当たった。私よりもひやりとした手だった。
「改めて礼を言う。ありがとう」
最後まで無表情のままだった。グレイさんは私に背を向けるとすたすたと行ってしまった。残された私は呆然と立ちすくむ。アルベルクを手にしたまま。
「初めてだわ……男の人から花をもらったの」
そんな感想しか口からは出てこなかった。