02-オーク襲来
朽木に火を付けるのがベストだが、残念なことに高温多湿な30階層にそんなものは転がっていない。貴重だが、着火剤を使って火を起こすしかなかった。忌避剤の酷い臭いにも慣れて来た。ガルムはまったく寄って来なかった。
(人避けの効果もあるんじゃねえの? まったく人と会わなかったし……)
基本的に、上の階層ほどいい暮らしをしている。これまで勇者たちが開拓して来た地に人が住み付き、発展させてきたからだ。下層に残っているのは、いわば発展に取り残された田舎者たちなのだ。だから下に降りてくる人間は少ない。
だがこの階層にしか存在しない植物や果実を求めて、稀に隊商が来ることもある。だからそれとさえ会わないのはなぜなのだろう、と俺は考えていた。
フィズはまったく気にしていないようで、テントで寝コケているが。
(やれやれ、慎重なんだか大胆なんだか分かんねえな。あいつは)
拳銃の分解掃除をしながら考える。
フィズとはいったい何者なのか、と。
(上から落ちて来たって言ってたな……ってことはかなり強い勇者なのか?)
だとしたらこんなところに長々と留まっているのが謎だ。なぜ俺に力を貸してくれたのか、それさえ分からない。それに、あいつは教会の聖印を持っていない。
小さなバッジだが、勇者は聖印を常に身に着けることになっている。自分の所属を明確にするためだ。ならば逆説的にフィズは勇者ではない、ということになるのか?
(んなバカな。ただの人間にガルムを殴り殺せるかってんだ)
想像というよりも妄想だな。いろいろあって疲れているから変なことを考えるんだ。むしんでやれ、こんなことは。ミスをして死ぬのは俺だぞ、俺。
鼻につく不快な風。
草を掻き分ける音。
重い足音。
危険を感じ、俺は瞬時に横へ飛んだ。一瞬の後、俺がいたところに太い棍棒が振り下ろされた。地面が抉れ、解体していた銃が宙を舞う。
「グフフフ……いけないいけない。もっと……アー」
立ち上がり、俺は敵を見据えた。
濃い肌色の皮膚に覆われた屈強な四肢に分厚い胸板。
下顎から覗く鋭い牙が印象的な顔には平たい鼻が付いている。
丸まった耳と短い尻尾は豚を思わせる。
だから俺たちはこいつらをこう呼んでいる。
豚人オークと。
(伝聞で聞いたことがあるだけだったが……まさか知性種がこの階層にいるとは)
魔獣には知性を持つものと持たないものがいる。オークは前者、ガルムは後者だ。戦闘力に違いはないが知性を持つものほど浅い階層にいるらしい。オークがこんな深い階層にいるとは聞いたこともなかった。
念のため銃を近くにおいてよかった。転がりながら散弾銃を拾い、膝立ちになって発砲。ダブルタップで頭と胸に散弾を喰らわせてやった。
「……グフフフ。ヌルイ攻撃だぁ……」
だがオークはものともしない。瞼や頬、胸板にいくつもの穴が開いているが、いずれも浅い。分厚い筋肉と脂肪、皮膚によって散弾が受け止められてしまったのだ。人間とは生物としての格が違う。
(散弾で殺せないとなればスラッグしか……だが弾を変えている時間は)
ない。
オークが一歩一歩、俺の方に近付いてくる。
勝ち誇るように胸を張り。
が、その歩みが途中で止まる。
張っていた胸が段々と反って行く。
「ふぃ、フィズ?」
「うん……ううん……」
フィズは目を閉じ唸っている。まるで寝ぼけているかのようだ。右手でオークの顎を掴み、左手で股間を掴む。何かが潰れるような音がした気がする。気のせいだ。
そのままフィズはオークを背負うような体勢を取った。背中でオークの胴体を固定し、両腕を力いっぱい引く。ミシミシと骨が軋み、折れる音が聞こえた。弓なりに体を反らされながらオークは悲鳴を上げた。俺は呆然と立ち尽くす。
背骨が完全にへし折れる。伸縮性の限界に達した皮膚が裂け、内蔵が飛び出す。血のシャワーをフィズはぼんやりと浴びていた。
「オークの……皮膚は厚く……散弾は効果が薄い……
拳銃や……ライフルの方が……オーク相手にはいい……
体毛がなく……発汗も少ないので……熱も有効……」
「おーい、フィズ。起きてんなら目を開けろ」
だんだんと、焦点の合っていなかったフィズの目線がはっきりしてくる。彼女は全身に浴びた血と自分の手を見比べ、驚いたような声を上げた。
「おお、スプラッタ。これはいったいどういうことなのです」
「無意識だったのかよ。むしろそっちの方が怖いわ、俺は」
絶対この旅路でこいつの隣で寝てはならない、と俺は肝に銘じた。寝ぼけてあんな技をかけられて死んだら死んでも死にきれない。
それに、何というか、痛そうだった。
「うーん、まだ頭がはっきりしないのです。私は何をしたんでしょうか?」
「オークを潰したよ、文字通り。魔導核を回収するからそいつ下に置いて」
「このサイズのオークだと魔導核はガルム以下なので不味いのです」
相手の強さで魔導核が決まると言うが、魔獣的にはガルムよりオークの方が弱いらしい。胸を切り開くが、ガルムの時よりも抵抗が大きい。防御力というか、パワーはこちらの方がはるかに強い。群れとしての連携はガルムの方が厄介だが。
「それにしても、どうしてこの階層にオークがいたんだろうなあ?」
「いままでここにはいなかったのですか?」
「見たことはない。討伐隊が出たのは、俺が覚えている限りガルム相手だけだ。オークはもっと上の階層で人間と戦ってるもんかと思ってたけど」
「大方王国から離れた野良オークといった……ふむ」
フィズはしゃがみ込み、オークの手元をじっと見た。
「王国って……上にはそんなものがあるのか?」
「オーク王国。オークは唯一国家を持っているのです。そして、これ」
フィズはオークの手に巻かれた布を手に取った。死体の体は石灰化し崩れるが、布だけはそこに残った。十字に交差した剣と槍、それに貫かれる頭蓋骨。禍々しいモチーフだ。
「これは王国のオーク騎士にだけ装着を許されたものなのです」
「オーク騎士……そんなのがいるのか。っていうことは……いや、離脱組なんじゃ?」
「王は執念深いのです。身に着けていれば瞬く間に居場所を察知されてしまう。だから王国を脱出したオークは真っ先にこれを外すのです」
ならば布を巻いているオークは王国の尖兵、ということか。
「ちょっと待て、フィズ。こいつが王国とやらの兵士だって言うなら……」
「本隊がこの近くにいる。その可能性は極めて高いのですよ」