02-出発前の準備はちゃんとしよう
俺はフィズの手を取った。
タルタロスを踏破するために。父を探し出すために。
俺は一日眠りこけていたらしい。洗礼が終わってから二日、更に一日、合計三日。あと四日でレミたちが洗礼を終えて出て来る。それまでには出発したい。
……単純に、あいつらと顔を合わせるのが死ぬほど恥ずかしいだけだが。
「……で、フィズ。俺はいつまでこんなことをやってないといけないんだ?」
俺は臼をゴリゴリと挽いている。当たりで採れる雑草を山盛りに入れたやつをだ。言うまでもないが、滅茶苦茶臭い。部屋の中に臭いが充満している。
「ぐえっ、臭えええええ! 吐く、これ絶対吐く! 勘弁してくれよ!」
「うるさいですねえ、黙って作業も出来ないんですか。鼻栓をしてやりなさい、鼻栓を。まったく早速ですがあなたに手を貸したことを後悔しそうです」
フィズの方はというとビンに鉄片や釘、ガラス片を詰めてそこに火薬を入れている。この間からいろいろ作っているが、何をしているのだろうか?
「なア、俺はいま何をしてるんだ。それくらい教えてくれてもいいだろ」
「おやおや、分かっていなかったんですかあ? まあ教えてあげてもいいんですけどねえ、しかし態度ってものがあるんじゃないですかねえ?」
「分かった。教えてくれなくていい」
「まったく、無意味なことをしているわけはないでしょう。それはガルム避けの忌避物質を粉末化しているんです。なぜ村にガルムが近付かないかお分かりで?」
「それは、教会や守衛の人たちが頑張ってくれているからじゃないのか?」
「それもありますが、周辺に自生している植物はガルムにとって毒なんです。
その臭いを敏感に察知して、彼らはここに近付こうとしないんですよ。
さて、問題です。
そんな臭いを纏った奴らが近くに来たらどういう反応をするでしょうか?」
なるほど、自分から遠ざかっていくというわけか。
理に適っている。
「ガルムは視覚が弱い代わりに嗅覚が発達していますからね、その習性を利用しているのです。もっとも、不意を打たれないとも限りませんから武器も用意しておかなければいけないのですけれどね。爆弾の類が用意出来れば簡単だったんですが……」
「爆薬の類は危険だから教会が一括で管理してる。勇者ならともかく、俺みたいな一般人やお前みたいなウルトラ怪しい奴には絶対渡らないだろ」
「んなことは分かってるのです。だから弾を一発一発バラしてるんじゃないですか」
フィズは慣れた手つきで弾を解体し中の炸薬を取り出している。
「僅かな衝撃で発火するように調整しているので、砕ければボンですよ」
「投げ込めばいいのか。使いどころが難しいかもしれないな……」
「そういう時は相手を一点に集めてやればいいのです。これで」
そう言ってフィズはポリ袋に入った内臓の束を差し出して来た。ガルムは血と肉の匂いに反応する、ならば家畜の内臓は奴らを呼び寄せるのに最適だ。
「分かったから、しまってくれ。それ、グロい」
「これからいくらでもグロいものを見ることになるのでいまから慣れておくのです。だいたいガルムなんてまだまだなまっちょろいのです、上の階層には内臓丸出しの……」
「アーアー、聞こえない聞こえない!
ってかなんでそんなホラーなのばっかなんだよタルタロス!
ふざけんなよそんなんじゃ子供に夢ある童話とか作れねえじゃねえか!」
タルタロスの奇妙な生き物とはこれからも遭遇していくことになるだろう。が、その時まで待っていたっていいじゃないか、知るのは。
「まったく、敵を知り己を知れば百戦危うからずですよ?」
「それでも怖いものは怖いだろ。うう、聞いただけでも鳥肌が……」
「生体強化手術を受けていないんだから、あなたが使える武器は情報だけなんです。
貪欲に情報を取り込んで行かなければあなたに命はないのです」
また彼女は知らない言葉を吐いた。彼女が何者なのか、何を考えているのかは分からない。きっと俺には話せない秘密があるのだろう。
二人して黙々と忌避剤と手製の爆弾、ガルム寄せを作った。
深夜。
今夜もたらふく飯を食ったフィズはすっかり熟睡している。あまりにも遠慮がなさすぎる、と思っていたがからくりが分かった。金を出しているのはフィズなのだ。
彼女はガルムの心臓から魔導核を抽出していた。魔獣が体内に持つ、赤い宝石のような物体で、町のエネルギー源ともなっている。教会に持って行けばかなりの値で――二、三日の食費には困らないくらい――の報酬を受け取れる。
(大分痛みは取れて来たな……ストレッチで痛まない程度にだけど)
体の動きを確かめつつ走り出す。ジョギング程度、町の全周2キロを10分かけてじっくりと走る。その後はウェイトトレーニング。寝ている間に筋力は落ちているだろうから念入りに。全身を程よく温めたら、最後はカラテだ。
両足でしっかり地面を踏みしめ、一本一本丁寧に突く。打撃は全身運動、カラテを教えてくれたダニエルさんはそう言っていた。一打一打、拳を放つ度に全身の痛みが発散していくような気がする。やはり、いい。
「やたらとうるさいと思ったら、まだやってたんですか」
蹴りの訓練に移ろうか、と思っていたらフィズが起き上がって来た。
「それなりにいい体してると思いましたが、トレーニングはしてるんですね」
「勇者志望だったからな。そりゃ、体くらい鍛えるだろ」
「でも生身の人間が鍛えたって、メタビ……魔獣には敵わないですよ」
分かっている、それくらい。
押し倒された俺が一番よく分かっている。
「ま、いざって時に死なずに済むくらいの効果はあるかもしれませんね」
「俺を腐したいのか褒めたいのか、出来ればどっちかにしてほしいんだが」
「明日出発しますから。ちゃんと起きられるように寝るんですよ?」
「分かってるって、子供じゃないんだから。お休み、フィズ」
フィズは引っ込んで行く。
俺の方も、さっぱり熱が醒めてしまった。
(どれだけ鍛えても魔獣には敵わない。分かっている、そんなことは)
それでも、ここで止めたくはなかった。これまで俺がしてきたこと、俺が目指して来たもの。それが無駄なものだったとは、どうしても認めたくなかった。
それがフィズの言う、幼稚で未熟な感情だということは、理解していた。
(……無駄なんかじゃない。鍛えた体は、技術は、きっと裏切らない――!)
俺は構え直し、左右交互に蹴りを打った。
風を切る音、流れる汗、高鳴る鼓動。
だがもやもやだけはどうしても消えてくれなかった。