01-再起の夜
目が覚めると見知った天井が見えた。
体を起こそうとすると全身に激痛が走る。
なんだか少し前のリピートをしているようだ。
もしかしたら夢を見ていたのかもしれない。
「まったく、あのバカは……」
「とにかく助かってよかったのです」
「アンタにはたっぷりお礼をしないといけないねえ」
ベアおばさんと、誰か知らない人の声がリビングから聞こえて来た。腹の底から湧き上がってくるような不快な痛みを堪えつつ俺は立ち上がった。
「うっ……ぐうっ、おばさん。俺、どうなって……」
リビングには二人の人がいた。一人は俺に背を向けたベアおばさん。
もう一人は俺の知らない人だった。
インディゴブルーの深い青髪が印象的な少女だ。
ゆったりとしたローブを身に纏っており、体型はよく分からない。
だが何より印象的なのは彼女の前に置かれた料理だ。
パン、スープ、パスタ、大量の一枚肉、まったく手を付けられていないサラダ。
目にも留まらぬ速度で食事を平らげ、時折思い出したように水を含む。
テーブルの上のものが――サラダ以外――消えて行く。
「遠慮しなくても……あっ! オーリ、起きたんだね!」
ベアおばさんはスッと立ち上がり、振り向きざまにビンタしてきた。
屈んでかわす。
「ちょっと! 何で避けるんだい!」
「ったり前だろ! そんなの喰らったら首がねじ切れちまうわ!」
「切れろ! まったく、人の言うこと聞かないで死にかけたんだって!」
そう言われると反論も何もなくなってしまう。
「嫌なんだよ、あたしは。マイロのようにあんたもいなくなっちまうんじゃないかって……こんなんじゃニアに顔向けできないよ」
「まあまあ、そこまでにするのです。湿っぽいことを言われてしまってはご飯も喉を通らなくなってしまうのです」
分厚い肉をぺろりと平らげながら少女は言った。しかし、この細身にどれだけの飯を蓄えれば気が済むのだろうか? 見ているだけで胸焼けがしてくる。
「ああ、すまないねえ……オーリ、言いたいことは色々あるけどあんたも食いな」
「俺もう、これ見てるだけで限界一杯って感じなんだけど……」
俺の抗議を無視してベアおばさんは厨房に。しかし、命の恩人――俺のだが――とはいえこれほど大量の飯を与えてしまって大丈夫なのだろうか? おばさんも裕福な人ではない、こんなことをしていれば破産してしまうだろう。
「ボケっと突っ立ってないでさっさと座るのです」
「ん、ああ。いや、待て、ここはお前の家じゃない。そして行儀が悪い」
頬にトマトソースを付けながら少女は言った。
子供か、こいつ。
「……お前が俺のことを助けてくれた、んだよな?」
「お前ではなくベオ……フィズなのです。その呼び方は好まないのです」
「明らかに言い直したよな。名前が言えない理由でもあるのか?」
チッ、とベオ何とかあらためフィズは舌打ちした。
自慢じゃないが耳はいいのだ。
「……まあ助けてもらった手前、細かいことはどうでもいいけどさ。ありがとう、キミが来てくれなきゃ俺はガルムのエサになってたとこだ」
「うんうん、そうやって崇めて奉って跪くのです」
殴りたい、この笑顔。だが俺をガルムから助けたということは、少なくともガルムを倒せるだけの力があるということ。殴り掛かったら殺される。
「キミも勇者なのか? この辺の人間じゃないように見えるけど……」
「勇者? ああうん、まあそんなとこなのです」
滅茶苦茶怪しい。そもそも上に昇る勇者はいれども下ってくる勇者など聞いたことがない。こいつ、いったい何者なのだろうか?
「キミこそ一人でどうしたのですか? 狩りなら仲間とするのです」
「……狩りじゃない。俺はタルタロスを踏破するために旅立ったんだ」
噴き出された。
口に何も含んでいなかったから幸運だった。
いや、パスタの食べカスが飛んで来た。
ふざけんなこの女、汚ねえだろうが。
「ぷふふふふっ、ナイスジョーク。
自分の身も守れない子がタルタロスを踏破?
これは素晴らしいジョークなのですよボーイ。
漫才大会で優勝間違いなしなのです」
「クソ、絶妙にムカつくやつだな」
「だって実際死にますよあなた。実際死んでるじゃないですか」
ぐうの音も出ない。
黙らざるを得なくなった。
「私が偶然上流からドンブラコドンブラコと流されてこなければ、あなたはあの場でガルムに食い殺されていました。人の味を覚えたガルムの群れは積極的に人里を襲うようになりもっと多くの被害が出るのでした。めでたしめでたし」
「……」
「まあその辺りはあなたも認めているので分かっているんでしょう? なんでタルタロスの上層を目指しているのかは分かりませんが、やめておいた方がいいと思います。ガルムにすら勝てないのなら上に昇るなど夢のまた夢です」
どうして外の世界に行きたかった?
父の足跡を辿り、そして……
「父さんが間違っていたんだって、証明したいのかもしれない……」
「なんですか、それ」
「父さんはタルタロスの外に出るために、本物の空を見るために子供と妻を見捨てて旅立った。残された母さんはたった一人で子供を支えるために働いて……でも洗礼を受けていない女の人に出来る仕事なんて、そうはなくて。俺がいたから母さんは洗礼を受けることも出来なかった。失敗したら取返しも付かなかったから」
覚えている。母さんの手を。
苦労の染みついた手を。
「母さんは流行り病にかかって死んだ。
最後まで父さんの名前を呼んでいた……あんな奴の名前を。
家族を捨てて、夢のために逃げた親父の名前を!」
気付けば俺は声を荒らげていた。
止まらない、止められなかった。
「あいつを見つけてぶん殴ってやる……
母さんがどんな末路を辿ったのか教えてやる!
死んでいるんなら死んでいるんでもいいさ!
指さして嗤ってやるんだ、それがアンタの夢の結末だって!
俺たちを捨てて逃げ出した報いなんだってさあ!」
とめどなく怒りが溢れて来た。
だが、結局のところそれは……
「愛されなかった怒りを私にぶつけられても困るのです」
幼稚なコンプレックス。親への怒り。
すべては手前勝手な思いだけ。
「……ま、上に行きたいのならば手がないことはないですよ」
そこで彼女は初めて、ナイフとフォークを置いた。
「未熟なままでも、幼稚なままでも、弱いままでも。昇る術はあります」
立ち上がり、フィズは満面の笑みを浮かべて俺に手を差し出して来た。
「あなたにその気があるのならば、私の手を取るのです」