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01-旅立ちの朝、挫折の昼

 少しばかり違和感はあるものの、歩くのに支障はない。甲羅状のドームに覆われたスタルトの町、その南側に町の外へと繋がる唯一の出入り口がある。入口には監視塔が立っているが、出入りに制限はされていない。狩猟や採集のため出て行く町人も多いからだ。


「おお、オーリ。ぶっ倒れたって聞いて心配してたけど大丈夫なのか?」

「ええ、まあ。外に出たいんですけど、いいですよね?」


 バケツ状のヘルメットと大柄な金属鎧を纏った守衛、ダニエルさんが俺を呼び止める。この鎧は常人に魔獣と戦うための力と防御力を与える。が、あまりにも重すぎるので長期の任務、特に魔獣蔓延るタルタロスの探索には向かない。この鎧がなくとも魔獣と戦える人間だけが、タルタロスに足を踏み入れる資格を持っているのだ。


「オイオイ、まさか一人で旅に出るつもりなのか? 無茶だろ」

「無茶でもなんでも行くしかないんです。俺は洗礼を受けられなかったんだ」


 一度洗礼に失敗し、二度目で成功した人間の話など聞いたことがない。一度で命を落とさなかっただけラッキーなのだ、ベアおばさんの言っていた通り。


「教会としても外に出る者は拒まないことになってる。その代わり自己責任だがな。町にいる限りは庇護を与えるが、しかし……」

「覚悟はしてます。そのための装備も整えて来た」


 銃と防具と生活用品。これで足りるかはまったく分からないが、しかし何もないよりはマシだろう。ダニエルさんは尚も俺を止めようとしたが、守衛所の中から部下が声をかけて来た。何か仕事の上で彼に聞きたいことがあるのだろう。


「はぁ……死んでも俺を恨むなよ。出来れば、生きて帰って来い。五体満足で」


 俺は頭を深々と下げた。ダニエルさんは守衛所へと向かう。彼にはウソを吐いた。二度と帰ってくるつもりはない。帰って来るとしたら、それは目的を達した時だけだ。


(やってみせる。他に頼れる人がいなくたって……レミにもグレイにも負けない)


 優しい幼馴染たちなら、洗礼を失った俺を受け入れてくれるかもしれない。だが、それは俺にとって負けだ。慈悲など絶対に請けたくない。……子供っぽい意地だ。




 町では農耕と牧畜をやっているし、教会が提供してくれた耕法と肥料のおかげで食料生産に困ることはない。だが、タルタロス内部にしか存在しない貴重な素材――例えば生薬や果実、鉄工石やその他無機物――を採集するために、時たま俺たちは外に出る。


 だが、ここまで深く足を踏み入れたのは初めてだ。スタルト周辺は人間のテリトリーとなっており、様々な魔獣避けの対策が敷かれている。だがその範囲はあまりにも狭く、小さい。人間にとって魔獣は恐るべき天敵なのだ。

 空気が重い。息が詰まる。でこぼこした土を踏みしめる度、木立の影から何かが飛び出してくるのではないか、とビクビクしてしまう。これが、外。


 いま俺がいるのはタルタロスの最下層とみられている第三十階層、オトスの領域。太いつる性の植物が床や壁、天井を覆い尽くしており、夏になると不可解な色合いの果実を付ける。つるのせいで足元は非常に不安定であり、また草木が生い茂っているため視界も悪い。そのせいで非常に動きづらいのがこの階層だ。

 この足場は人間にも有利に働く。動きづらいのは魔獣も同じ、更に藪に隠れて敵をやり過ごすことも出来る――不格好だが。




 緩やかな坂を上り下りしていくと、開けた場所に出た。『静寂の平原』とも呼ばれる場所で、上の階層に昇る際の第一関門と言われている。四方2キロほどの平原の真ん中には湖があり、常に清浄な水が湧いている。ここから引かれた水がスタルト村を潤してもいる。そしてそれは人間だけの話ではない。

 藪の中に身を潜め、辺りの様子を伺う。湖のほとりに何かがいるのが見えた。犬と同じような姿をしているが、四肢はよりマッシヴで尻尾には鋭いギザギザの刃が付いている。伸縮自在の刃で命を取られた人間は数知れず。


 地獄の猟犬ガルム。

 そいつは美味そうに湖の水を舐めていた。


(迂回していくことは出来ない。どうにか、排除しないと……)


 そっと散弾銃を手に取り、構える。照準器(アイアンサイト)で狙いを補正し、ストックを肩で固定する。ドクン、と心臓が跳ねる度に銃身が上下する。呼吸に合わせて小刻みに揺れる。彼我の距離は20mほど、しぼりを狭め一撃を狙う。


 ガルムが顔を上げた。

 瞬間を見計らい、トリガーを引く。

 放たれた散弾がガルムの頭に命中し、それを吹き飛ばした。

 血飛沫を撒き散らしながら魔獣が湖に落ちて行った。


(……よし、よし。やれる。やり方さえ間違えなければ魔獣だって殺せる)


 正面から戦うことが出来ないだけだ。横合いから10mm弾を撃ち込まれれば、12ゲージショットシェルを撃ち込まれれば。心臓に刃を突き立てれば。魔獣は死ぬ。人間にだって、勇者と同じことが出来るのだ。

 藪の中から出てベルトからナイフを引き抜き、魔獣の死体に近付いて行く。死体は死後急速に分解されて行くため、時間がない。やらなければならないことがあるのだ。


 だが魔獣の死体の近くまで来た時、不意にオーリは殺気を感じた。


(まさか、待ち伏せ?)


 そう思った時には遅かった。

 右側にあった藪が揺れ、ガルムが飛び出して来た。


(ガルムは集団で狩りをする……! なら、あれは囮だったのか!)


 振り向き銃を向けようとした。だがガルムの方が速い、弾丸めいた速度で体当たりを仕掛けて来た。鳩尾に衝撃、腹の中の空気がすべて吐き出されるようなとんでもない一撃だった。オーリは水平に2mも吹っ飛ばされ、地面をゴロゴロと無様に転がった。

 立ち上がろうとしたが、横合いから爪を振りかざし迫るガルムが見えた。オーリは自ら倒れ込みそれをかわし、ほとんど腹に銃口を密着させて発砲。『キャイン』という犬のような悲鳴を上げながらガルムが吹っ飛んだ。尻もちを突いたままオーリは後退する。


(これが、魔獣……!?)


 採集を手伝いに行ったことはあった。その時ガルムと遭遇したことはあった。だがあの時は大人数だった。それでも被害が出た。これが単身、魔獣と戦うということ。圧倒的な死の恐怖がオーリを襲った。

 痛む体を強いて立ち上がり、近付いてくるガルムに銃弾を浴びせる。だが致命傷には程遠い、そして弾の数は少ない。カチリという死の音が銃から鳴った。


 弾切れのタイミングを見計らっていたかのようにガルムが一斉に飛び掛かって来た。もしかしたら知っていたのかもしれない、これまでの経験で。銃を振り回し威嚇するが、そんなものはまったく無意味だった。

 両サイドからガルムが飛び掛かる。鋭い爪を一閃、両足を切り裂く。レガースのおかげで切断されることこそなかったが、裂傷が刻まれ鮮血が迸る。立っていられなくなり、オーリは背中から地面に倒れ込んだ。


 ガルムがのしかかり、上半身を押さえつける。

 凄まじい口臭と穢れた涎が降りかかる。

 鋭い牙が剥き出しになる。


 死が迫る。


(こんな、ところで……助け、誰か……父さん)


 恐怖のあまりオーリは失神した。

 哀れで向こう見ずな若者の冒険はこうして終わる。


 意識を失う瞬間、押さえつけていたガルムの頭が吹き飛んだ気がした。

 青白い残影が緑の地獄に刻まれた気がした。


 ガルムたちの悲鳴が聞こえた気がした。

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