02-少しずつ、一歩ずつ
見慣れた天井が……いや、この一週間で三度目だからもういいだろう。
「あー……どうにか生きてるって、そう判断していいのかな?」
オークに殴られ、蹴られ、締め付けられ、押さえつけられた。果たして俺は起き上がることが出来るのだろうか? 恐る恐る上体を起こしてみたが、特に問題はなかった。
「つつつ……どうにか、生きていられたみたいだな。町はいったい……」
「勇者くんパーティの活躍でどうにか町の平和は守られましたよ」
真隣からフィズの声がした。慌てて振り向くと――滅茶苦茶痛い――すぐ近くにフィズが座っていた。リンゴを左手で回転させ、右手に当てた刃で器用に皮を剥く。
「死亡者17名、重軽傷者合わせて35名。何とかこんな被害で済みました」
「そんなに……」
「あなたも多数の打撲と裂傷、肋骨にはひびが入り左腕は剥離骨折。
頸椎の損傷も見られますし内臓もいくつか潰れていました。
それでも治るんだから医学ってすごいですね」
フィズが言うには戦闘後俺は教会に運び込まれたらしい。神は加護を授けてはくれなかったが愛を与えてくれたらしい。神父様の祈祷治療が効いたのだろう。
「そうか、あれからどうなったんだ? フィズ」
「市街中心へと向けてジリジリと後退していくうちに、勇者が目覚めました。
目覚めたてでしたが緊急事態だったので二人にも協力を求めたのです。
卓越した身体能力と戦闘本能で二人はオークたちを退け……
どうにか押し返すことが出来たんですよ」
オークたちはリーダーを失い、この町から撤退していった。どうやら、死後も仕えるほどの忠誠心はなかったようだ。あいつらがどこに行ったのか、どこまで行ったのかは現在調査中。フィズが言うにはこれ以上心配しなくてもいいようだ。
いろいろやって来たが、レミとグレイが目覚めなければ危なかった。
「……ただの人間と勇者の間に、ここまで大きな力の隔たりがあるなんてな。
正直、ショックだよ。どうやったって俺じゃ追いつけそうにない」
「いつになく落ち込んでいるのですね、オーリ」
「そりゃな。手も足も出なかったやつをあいつはあっさりと倒したんだから」
俺自身、レミの力に助けられた。目で追うのがやっとの速度、オークの手足をあっさりと切り裂く力。ただの人間と勇者では、まったく自力が違うのだ。
「誇ってもいいと思うのですよ、オーリ」
「誇る? 俺が、何を。誇れるものなんて、何もない……」
「立ち向かったこと。圧倒的な力を前に、折れなかったことをです」
いつの間にか手元のリンゴは一口大にカットされていた。
やはり、太刀筋が見えない。
「あなたも、スタルトの人々も、みな立ち向かっていったのです。
圧倒的な力を持つ上位者を前に、ただの人間が戦いを挑んだのです。
結果はどうであれ……あなたたちは勝利したのです。オークたちに。
勇者たちが目覚めなければ戦いに勝利はありえませんでした。
ですが逆に言えばあなたたちは勇者の目覚めまで耐えたのです」
「俺たちがいなければ……レミたちも死んでいたと?」
「それは分かりません。勇者には特別な守りが施されていますから。
ですが、あなたたちは二人が最初に見る景色を変えることが出来た。
二人の心を守ったんです」
そういう考え方も、あるのかもしれない。
俺にも、何か守れるものがあったのか。
フィズはリンゴを一切れ俺の口の中に突っ込んで来た。酸味の強い、実のところあまり好きではない味だった。ただ、どこか特別な味をしているような、そんな気がした。
「……俺たちの戦いは、無意味なものじゃなかったんだな」
「自分たちが生き残る。それ以上に尊い価値などないでしょう?」
世界を守ることが出来なくても。
そんな自分でも、守れるものがある。
「……なあ、フィズ。俺はタルタロスの外に行きたい」
「ええ、それは聞きましたよ」
「実のところ諦めようかとも思ったんだ。でも、それじゃダメだな」
息を深く吸い込み、覚悟を決めて立ち上がる。
相変わらず痛い、だがそれでも耐える。
「どんな強い敵がいようが、どんな強い奴がいようが、そんなの関係ない。
俺は俺の意志で、俺の願いのためにタルタロスを踏破してみせる。
諦めたくはないんだ」
「上を目指すあなたと、私とでは利害が一致していますからね」
フィズはまた手を差し出して来た。
あの時よりも、ずっと柔らかい笑みをたたえて。
「お前の理由もいつか聞かせてもらいたいもんだな。一方的なのはフェアじゃない」
「ふっ、乙女の秘密を知りたがる人間は長生き出来ないのですよ?」
互いの手を強く握る。彼女が何者かは分からない。だが俺の味方だ、弱く頼りない俺を助けてくれる。それだけはきっと、本当のことだと思う。
「おっはようオーリ! 今日も元気にがんばろーね!」
その時、慌ただしくレミが部屋に押し入って来た。胸当てやスカートなどのポイントアーマーで急所だけを覆った、動きやすそうな格好だ。
「あっ、起きてる! よかった、もう目覚めないかと思ったよ!」
「相変わらずうるせえ奴だな。勇者になったんだからちょっとは自重しろ」
思わず身構える。
抱きつかれなどしたらまた生死の境を彷徨う羽目になる。
「よかった、目が覚めたみたいだね。相変わらず悪運は強いな」
「そりゃこっちのセリフだ。俺たちが頑張らなきゃ死んでたぜ、お前」
「そうだな。みんなには感謝しているよ、本当に」
あとから入って来たのはグレイ。全身をローブで覆っていてこちらの方がよほど勇者らしい。一狩り行ってきたあとなのだろうか、硝煙の匂いがする。
「で、お前ら病み上がりの怪我人相手に何の用なんだ?」
「むー。友達に会いに来たのに、随分なご挨拶じゃないか。オーリ」
「むくれるなよ、レミ。実は、俺たち町を出ることにしたんだ」
こいつらが勇者になった以上、それは当たり前のことだろう。
「お前の怪我が治るまで一週間はかかる。待っていてやりたいが……」
「よせよ。お前たちについて行ったって足手まといになるだけだろう?
出来ることと言えば炊事雑事……あ、この野郎雑用押し付けようとしてんな」
「アハハ、バレちゃった? 私たち、ろくにご飯も作れないからね」
俺の皮肉に、レミは能天気に笑った。まったく変わらないな。
「でも……ここで燻っている気はないんだろう? オーリ」
「当たり前だ。さっさと怪我治して旅立って、サクッと追いついてやる。
俺の影におびえながら旅をするんだな、あっさりと追い抜いてやるよ」
「言ったな、オーリ。約束しろよ、こんなことで夢を諦めたりしないってな」
俺とグレイは拳を打ち付け合った。
ああ、絶対に追いついてやるよ。
「それじゃあね、オーリ。また……また、会おう」
「今生の別れってわけじゃない。さっさと行け、置いてかれちまうぞ?」
レミは部屋を出る間際にぐっ、と親指を立てた。
俺もそれに応じる。
二人も期待してくれているんだ。
あるいは、友達への気遣いかもしれないが……
それを現実のものとすることが、いまの目標だ。
「それで、オーリ。これからどうするのですか?」
「そうだな、取り敢えず……寝て体力を取り戻すか」
いい加減限界だった。ベッドに横たわり、俺は目を閉じた。体力の限界、眠気が不明瞭な意識を覆い尽くす。何秒もしないうちに俺は眠りについた。
俺の髪を誰かが撫でた気がしたが――気のせいかもしれない。




