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新訳 その人の名は狂気  作者: 無道
最終章 その人の名は狂気
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王馬和彦 2

お待たせしました。その代わりといいますか、今回は少し長めです。

 話し合いの結果、弓道部と槍術部の娘が一人ずつ、そして静香の三人が退路を確保するチームとして残ることになった。


「玲子、神奈様を頼みましたよ」

「ああ、任せとけ――」


 既にグラウンドからは先ほどまで共に闘い、命を落とした仲間たちが、続々と感染者へとなり始めている。改めて心の準備などする時間も無い。

 小さく頷き合い、すぐにお互い背を向ける。生きていればまた逢える。その為に、今は自分に任された仕事をするだけだ。

 玲子は迷うことなく体育館の重い扉を開く。

 鉄製の扉がスライドし、僅かながら体育館の沈黙を破る。

 開けた瞬間いつ攻撃されてもいいように構えていた和彦たちは、警戒をそのままにゆっくりと辺りを見渡す。


「――よう。思ったより早かったな」

『――ッ!』


 響いてきた声はステージの方からだった。

 そちらを向けば、そこには朝までとは見違えるような雰囲気でこちらを見下ろす八代の姿があった。

 その姿を見た瞬間、ああ、この人はやっぱりこれが本当の姿なんだな、と何故か妙に納得した。

 見ているだけで全身の産毛が逆立ち、彼の瞳に捉えられると、金縛りにあったみたいに指一本動かせなくなりそうになる。姫路やモヒカン男と初めて相対した時も並々ならないプレッシャーは感じたが、八代から放たれるソレは他に追随を許さない。

 八代はステージで椅子に座り、その隣には“はだけた”下着を身に纏った少女が猿轡をされて倒れている。その少女の赤い髪を見た時、空気を裂くような悲鳴が上がった。


「――神奈様ッ!」

「貴様ぁ!」


 状況を理解した葉月が悲鳴を上げ、激昂した弥生がその弓をつがえたところで手を止める。八代が、手に持っていたナイフを姫路の喉元に突きつけたからだ。


「あんまり下手な真似はしない方が良いぜ。うっかり手元が狂っちまうかもしれねえからなぁ」

「……下衆が! どこまで卑怯な手を使えば気が済むんだ!」

「はっ。何言ってんだ。お前らだって今まで似たようなえげつねえことしてきただろ」


 肩から息を吐いた八代に、和彦は意を決して問いかける。


「八代さん。あなたはこれが望みだったんですか?」

「あん?」


 八代の視線が自分に注がれ、和彦は一瞬息が詰まりそうになる。すごいプレッシャーだ。

 それでも、和彦は喋る。これだけは、何があっても訊いておきたかったからだ。


「……俺たちはここで色々な辛い目に遭いました。人も死にました。八代さんが復讐に走るのも分からないわけではありません。けど――」

「和彦。お前の頭がお花畑なのは勝手だがな――てめえの価値観を俺に押し付けるなよ。そもそも今お前の頭の中にある道徳観念も、所詮は共同体で生きていくうえでの約束事にすぎん。共同体もクソも無くなっちまった今の世界で、道徳を説こうなんてのがそもそもの間違いなんだよ」


 その言葉に反論したのは俊介だ。


「八代さん。それは違います。こういうときだからこそ、生き残った俺たちは協力しなきゃいけない。生き残る為に人の命を奪うのは仕方ないかもしれませんが、今八代さんがやっていることは、犯罪です」

「――ぷ、ははははははは!! よりにもよって犯罪ときたか! 今、こんなになっちまった世界で! こりゃ傑作だぜ!」

「……ッ! 八代さん――」

「――ああ、もう面倒くせぇなあ。お前ら、もう黙れよ」


 八代の声が、一段低くなる。

 唸るように吐き出されたその一言で、俊介と和彦は、ぴしゃりと二の句を継げなくなった。

 外で遠吠えのような声が聞こえた。静香たちが戦っているのだろう。こっちも、ゆっくりはしてられないのだが、状況はそれを許さない。


「岡崎に、和彦。もう、いいじゃねえか。この後、俺はお前らを殺そうとするし、お前らだって俺を殺そうとするだろう? 殺るか殺れるか。それで全部で、それ以外ない。どのみち、もう話し合いに意味なんかねえよ」

「八代さん……」


 和彦の呟いた声に八代は薄く嗤う。やはりそこに、以前の和彦の知る八代智也の姿はなかった。

 視線を手元へと戻した八代は、そのまま姫路の身体をまさぐり始める。


「――ッ!」


 それで、今まで黙っていた玲子と弥生が激昂し、武器に手を掛けた。


「ああ、待て待て。そう殺気立つな。流石に今ここで一発ヤるほど俺も図太くねえよ。ただ確認したかっただけだ」

「……確認?」


 訝し気な声を上げた俊介に、八代は頷く。


「ああ。で、やっぱり予想通りだった。この女――姫路は、今までに感染者に噛まれたことがある」

「……は?」


 和彦の喉から気の抜けた声が出た。多分、周りも同じような反応だっただろう。

 しかし、次いで八代が意識のない姫路の身体を起こして、その箇所を和彦たちに見せた時、胡乱な声は悲鳴に変わった。


「なっ……」

「うそ……」

「感染者の……歯形……」


 姫路の鎖骨の下あたり――白い大人しそうな下着のやや上のところには、今も痛々しく残る黒い歯型の傷があった。傷の具合からして、今さっき出来たというわけではなさそうだが……。


「ま、まさか神奈様が……。いや、しかし、神奈様に感染者の特徴は見られなかった……」

「まあ、そうだろうな。こいつに何があったかは大体想像がつく。これであの馬鹿力にも納得がいく。……内面については何ともいえんが、髪の色も確実にこれが影響してるだろうな。だが、感染者への不可視能力は早川が言うには持ってないらしいし、噛まれて無事でも、その影響には個人差があるのか? いや、そもそも参考になるのがまだ二人しかいないから断定は出来ないが……」

「――ごちゃごちゃと何を言ってる! 言っとくけど、これくらいであたし達が神奈様を裏切ると思ったら大間違いだぞ!」

「あー、いや、もうそういうのはいらねえから」


 八代はため息を吐くと、ステージを下りて歩き出す。

 何気ない行動であったが、すぐに和彦たちはそれに気づいた。

 八代は、人質を手放したのだ。つまりそれは、自分の絶対的アドバンテージを放棄したということ。罠という可能性もあるが、それにしても妙だった。


「ん、ああ、“それ”のことか。別に好きにしていいぞ。言ったろ? 俺は人質なんて取らねえってな」


 八代も、和彦たちの様子に気づくと、信じられないような事を言ってくる。

 玲子は弥生に頷くと、慎重にステージへと移動を始める。その間にも、八代は滔々と語りだす。


「その代わりって言っちゃなんだけどよ、一つ、俺とのゲームに付き合ってくれや。簡単なことだ。俺が死ぬか、お前らが死ぬかの簡単なゲームだ――」


 そこまで言って八代が足を止めたのは体育器具庫。八代は、ポケットに手をやると、中から鍵を取り出した。


「ふん、丁度良いわね。私もさっきから、アンタを殺したいと思っていたところよ」


 ステージ手前まで来て、挑発的に言った弥生だが、周囲に目配せして、姫路を助けたらすぐに逃げよう、ジェスチャーを送ってきた。和彦もそれが良いと首肯する。幸い、八代はこちらを見ていない。


「へぇ、じゃあ乗ってくれるんだな。そりゃよかった。これで、俺の下準備が無駄にならないで済むぜ――」


 八代が取り出した鍵を体育倉庫の鍵穴に差し込もうとしたとき、玲子が一気に駆けだし、ステージへと飛び乗った。

 寝かされていた姫路を、玲子は大事そうに抱き起こし、猿轡を外す。


「神奈様、助けに来ました! 早くここから出ましょう!」


 和彦たちも急いでステージに陣取り、弥生と葉月は、八代に向かって弓を引き絞る。

 しかし、玲子の呆けた声を聞いた時、八代は小さく肩を震わせた。


「神奈様! ……くそっ、ダメだ。完全に意識を失ってる」

「くっ、しょうがないわ! 葉月、神奈様の護衛を! 他のメンバーで脱出の道を作るわよ!」

「了解です!」「わかった!」


 和彦が返事をしたとき、八代が大仰に手を広げた。


「――――さあ! それじゃ感動の再会もしたところで、最後の殺し合いを始めようじゃねえか!! お前らの最後の相手はコイツ等、お前らの大事な大事な仲間たちだぜ!」


 八代がそう言って勢いよく扉を開くと、中からぞろぞろと感染者が姿を現す。

 その姿を認めて、誰からともなく悲鳴が上がった。


「ッ! みんな……」

「ヴァアアアアアア……」


 その感染者たちは、全員自分たちの仲間であった者達だった。

 先頭を歩くのは、眼球が片方なく、腹から腸を飛び出させているサイドテールの少女。ここに来たとき以来、一度も会っていなかったが、まさかこのような形で再会することになるとは。彼女はよほどむごい殺され方をしたのか、彼女の手にも足にも、指が一本も残っていなかった。

 そしてそれに追随するかのように現れたのは、なんと先ほど別れたばかりの静香。何故こんなにも早く、と思ったが、彼女の身体を見て納得した。ほとんど皮膚が残っていないのだ。余りにも食べるところが残っていなかったせいか、彼女の頭頂部からはぶよぶよしたピンク色の物体が覗いていた。お嬢様という感じだったあの美貌は、最早見る影も無い。

 そして、次々と出てきた仲間たち――なぜか、自分たちと特に友好的だった人ばかり――の中で、最後に出てきた人物を見て、弥生が「はぁ」と悲嘆と絶望を交えた溜息を吐いた。俊介がその人の名前を呼ぶ。


「千羽、さん……」

「…………」


 大量の痛々しい傷を負った感染者の中で、千羽だけは、ほとんど生前のままの姿であった。ただ、致命傷となったであろう、征服の左胸部分に残る赤い血の跡は、刀によるものだろう。おそらく死の間際、自分の最期を悟った彼女は、持っていた自分の刀で己の命に終止符を打った。自害した者が感染者になるかどうかは賭けだったようだが、どうやら彼女は最後の最後でも天に見放されたらしい。

 結局、倉庫から出てきた感染者は十余人くらいだろうか。さっきからすすり泣く声が聞こえるのは葉月のものだろうか。数自体は先ほどグラウンドで闘った時の比ではないが、心に与えられたダメージも大きい。さっきの闘いでも仲間は沢山死んだが、今回はその中でもよく知る人物ばかりであった。連戦というのもあり、全員の疲労は、精神的にも肉体的にも、ピークに達している。

 八代を見ると、その和彦たちの様子を見て、何か期待するような笑みを浮かべていた。

 これが八代のやりたかったことなのだろう。和彦たちが失意と絶望の中で死んでいくこと。彼を、一体何がそこまでやらせるのだろう。最初は、姫路たちに、ただ復讐したいのだと思っていたが、多分それだけじゃない。八代が何を求めているのか、結局最後まで理解できなかった。

 それでも、まだ諦めはしない。


「――諦めるな! ここで死んだら、本当に全てが終わりだぞ! 静香や千羽、皆がここまで俺たちを生かしてくれたんだ。ここで諦めて死んだらそれも無駄になるし、何より八代の思う壺だぞ!」

「王馬……」


 和彦の叱咤で、いち早く前に出たのは、俊介だった。


「――和彦は好きに暴れてくれ。フォローは全部俺がする。それが全員の士気の向上にもつながるだろう」

「俊介……いつも、悪いな」

「いいさ。それで今まで上手く行ってきただから。今回も、お前と一緒なら、なんとかなる気がする。ははっ、何でだろうな」

「ははっ、何だよそれ」


 俊介に釣られて和彦も笑うと、その横に並んできたのは玲子だ。


「おしゃべりはそこまでだ。“奴ら”もそろそろ来るよ」

「玲子……」

「……初めてあたしを呼んだと思ったら呼び捨てかよ。ったく、なってない後輩だな。これが終わったら姫路様への口の利き方から教育してやるよ」

「……はい! よろしくお願いします!」

「――皆さん、来ますよ!」


 弥生の言葉通り、感染者がすごい速度で押し寄せてくる。ステージの上から弥生と葉月が弓を射て、何人か感染者の足を止める。

 いよいよ、本当に最後の闘いだ。

 戦意を奮い立たせ、雄たけびを上げようとしたその時だった。後ろから、聞こえる筈のない足音が聞こえた。


「…………え?」


 時が止まったように、まるで吸い寄せられるように、首が後ろに動く。




 そこには、しっかりとした足取りで立つ姫路の姿があった。




「ひめ……じ?」

「え……?」「神奈様……」「ああ、神様……」


 遅れて気づいたみんなが、それぞれ呟きをもらす中、姫路は悠然とした足取りでこちら、和彦の前へと迷いなくやってくる。


「え……おい、姫路……」


 やがて和彦の前で止まった姫路は、見上げるように和彦を見つめる。彼女の髪と同様、瞳も紅蓮のように真っ赤に染まっている。

 一瞬、何か違和感を覚えた。それが何か考えようとしたところで、後ろから足音がすぐそこまで迫っていることに気づいた。

 しまった、今はまさに戦闘に入るというところだった。きっと、それに違和感を覚えていたのだ。

 和彦が慌てて感染者に向き直ろうとした時、姫路にそっと、肩を掴まれた。


「姫路……今は後に……ッ!」


 名前を呼んで和彦は固まる。姫路は、そのまま瞳を閉じ、和彦へ頭を近づけてきたからだ。彼女の桜色の唇が迫ってくる。

 突然のことに和彦は、今の状況も忘れて硬直する。


「ひ、姫路ッ!? ど、どどどうしたんだよ!」

「か、神奈様!? 今はそれどころでは……!」


 もう少しで唇が重なる、というところで、姫路が突然止まる。視界一杯に映し出される姫路の相貌。さっきからどうしたというのだ。訳が分からない。

 姫路がパッと目を開いた。至近距離で視線がぶつかる。見る者を魅了する鮮烈な赤い髪と瞳。そして、また違和感。

 肩を掴んだ姫路の手に力が加わる。

そこまできて、やっと和彦は違和感の正体に気づいた。


「ああ……」


 口から諦観のため息が漏れた。そうだ、どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。

 肩からブチブチと嫌な音が聞こえてくる。俊介が「和彦?」と視線を寄越してきたので、黙って首を横に振った。

 視線を戻すと、再び姫路と目が合う。吐息がかかりそうなほど近い距離。

 だというのに、彼女の方から息を吸う音は、全く聞こえてこなかった。






「そうだよ、姫路――お前が赤いのはその、綺麗な髪だけで、瞳はこんな、感染者と同じ色なんてしてなかったもんなぁ――」






「――――――キシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」


 姫路が――感染者が獣じみた咆哮を上げ、大きく口を開けたところで、和彦の意識は途絶えた。


前作のあのシーンと比較し、かなり苦心して仕上げた部分です御意見御感想いただけるとありがたいです。

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