真夏のプール ~警棒と拳銃を添えて~
「それじゃ、裸になってください」
「……」
プールに着き、灯がバケツに水を汲んで去っていくと、早川は俺の拘束を解いて開口一番にそう言った。
「ずっとそこに?」
「逆にここで自分が帰ったら監視に来た意味無くないっすか?」
「あー」
確かにね。
もたもたしていたらあの警棒で殴られかねない。俺は着ていた服を手早く脱ぐ。
「……あんまり恥ずかしがらないっすね。見られるのが恥ずかしくてもじもじしてるところを横からフルスイングするのが自分のささやかな愉しみだったんすけど……」
色々ツッコミたいことはあったが、その前に早川に警棒で引っぱたかれる方が早かった。
「……そう言いながら何故結局殴った」
「自分から愉しみを取った罰っすよ」
早川の警棒は的確に俺の顎をふり抜いていて、脳がぐわんと揺れる。かなり殴り慣れてるな。
「というか八代さん、実は意外に細マッチョだったんすね。何かスポーツでもやっていたんですか?」
「……いや、スポーツは特にやってなかったよ。暇な時に家で筋トレするのが日課だったからかな」
早川は「ふーん」と気のない返事をすると、用具入れから桶をとってきた。
「はい、これに汲んで二杯までなら自由に使っていいっすよ。ただ、プールの中には入らないでくださいね。水が汚れちゃうんで」
警棒をしまい、早川は何事も無かったかのように俺に桶を渡すとにこりと微笑んだ。
悪戯っ子のような八重歯を見せる笑顔は中々見栄えが良かったが、直後にまた警棒が飛んできた。
先ほどしまったはずなのに、気づけば右手には警棒が握られている。
「……今のは何で殴られたのかな?」
「勿論、自分が殴りたかったからっすよ♪」
――ぶっ殺すぞ。
喉まで出かかった言葉をなんとか飲み下すと、俺は黙ってプールの淵に向かう。背中から「なんかさっきとキャラ変わってません? 反応うっすいなぁ」と声が聞こえた。
プールに張ってある水はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、特段汚いというわけでもなかった。飲み水としては使えないだろうが身体を洗うぐらいならば何も問題は無い。あまりにも汚い水だと、傷口に細菌が入る可能性もあったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「驚いたっすか。プールは雨が降る前に念入りに掃除をしておいたので、それなりに綺麗なんすよ」
「……なるほどな」
水はプールの深さ半分くらいのところまで溜まっている。それほど深くはないプールだが、これだけあれば俺たちにも使わせてくれるのは頷ける。
俺は屈みこむと桶を水の中に沈めた。その拍子に水面に俺の顔が映し出される。
まあ、他の奴のよりはマシか。
先ほど奴隷小屋で見た奴らは、もっと生気のない顔で、こう、悲惨な顔をしていた。自分は何故こんな仕打ちを受けなければならないのか、と悲嘆する顔であった。今水面も映っている顔も、あまり上等とは言えないが、少なくとも瞳の奥にギラついた炎を宿している。
プールの淵から離れると、頭から水を勢いよくかける。身体の所々が水に染み、ヒリヒリするような痛みが襲う。
「はあぁ……」
身体に付いていた不純物が削ぎ落ちる感覚に、思わずため息が出た。脂でギトギトした髪をわしゃわしゃと掻く。
すると見ていた早川がほわぁ、と気の抜けた声を上げた。
「こりゃまた随分気持ちよさそうに水浴びするっすねぇ。自分が見てるのに気にならないんすか?」
「まあ気にはなるけど……。考えてどうにかなるもんでもないしね」
「へー。八代さんって、ホント変に図太いっすよねー」
直後に何故か布の擦れる音がするので見ると、早川が突然着ていた制服を脱ぎ始めていた。
「……加虐趣味の次は露出癖か?」
「ははは、ぶち殺しますよ。あ、次こっち向いたら眼球くり抜きますから」
やがて足音は、プールの淵へ移動し、次いで水が床を跳ねる音がする。
「ぷはぁ! やっぱ夏ならこれぐらい冷たくても気持ちいいっすねぇ!」
「……流石に油断し過ぎじゃないのか?」
「心配には及ばないっす。いくらそんな体を持っていたって、自分はアンタなんかより全然強いですし、いざとなったら銃も有りますから」
自信満々に告げた早川に、そのときばかりは顔を背けていて良かったと思う。じゃなければ、失笑で口元が緩むのを隠せなかった。
「……だろうね。ところで、桶に水を入れたいんだけど」
「こっちに桶を転がしてください。自分が入れますから」
言われた通り、声の方向に桶を転がすと、俺はそこに腰を下ろした。すると、水を汲む音がして足音がやがてこちらにやってきた。
ぴちゃぴちゃと水気を含む足音が俺のすぐ背後で止まり、顔の横から真っ白い細腕が伸びてくる。
「はいどうぞ。今振り返ったらマジで撃ち殺しますからね」
「わかってるよ」
素直に桶を受け取り、それをざぶんと頭から被ると、言葉を選びながら慎重に話を切り出す。
「……一つだけ、君に訊きたいことがあるんだけど、質問させてもらえないかな?」
「んー、なんすかー」
「……君は、僕たちを痛めつけるのが趣味だと言ったけど、そんなにも君は男が憎いのかい?」
この質問は、早川がどの程度の洗脳を姫路に施されているかをチェックする意味も兼ねていた。
最悪、早川の機嫌を損ね、ここで荒事になる可能性も考慮して、さりげなく腰を浮かせていた俺だったが、幸い、早川は徳に気にした様子もなく、素直に返事を寄越してきた。
「それは前にも言ったじゃないっすかー。自分はどちらかと言うと穏健派ですし、男自体にそこまで憎悪があるわけでもありません。……正直、姫路先輩たちが言っていることも、何かおかしいなーとは思ってます。あ、だからってアンタたちを助けるとかそういう気はないので。そこは勘違いしないでくださいね」
ここで意外なことに、ここまで俺たちを徹底的に迫害してきた早川が、思っていたほど姫路たちに心酔していないことが分かった。
まあ、だからといって、それが即この状況を打破できることにはならないが、多少の手間を省くことくらいは出来そうだ。
頭の中で、“アクション”を起こすまでの時間を修正しつつ、俺は話を続ける。
「……分かってるよ。でも、それなら何で君はこんなに僕達を迫害するんだ? 普通の人なら恨みもないのにここまで徹底的に迫害は出来ないだろ」
「ふっふっふっ、舐めないでもらいたいっすね。自分のドSっぷりは本物っすよ。例え本当は善良だろうなぁと思った人でも、姫路先輩のご要望あらば、あんなことやこんなことして絶望の淵に叩き込んでやりますとも!」
「うわぁ、最低だなぁ」
思ったことをそのまま言ったら、後ろから桶が飛んできた。まあそりゃそうだ。
「事実っすけど、流石にそんなストレートに言われると頭に来ますね。姫路先輩から今日釘を刺されてなかったら、今アンタ死んでたっすよ。――まあ、いいです。そろそろ戻りましょうか。早く着替えてください」
こめかみを鋭い衝撃が襲い、次いで後ろで布の擦れる音がした。向こうが服を着だしたのだろう。
今なら襲い掛かるタイミングとしては悪くない。だが、俺はもう少しだけこの状態で過ごすことにした。
俺も返事も言わずに黙って服を着始める。
悪くない。こうやって殴られるたびに早川への嗜虐心が増大していく。今は圧倒的強者を気取っている早川が、屈服したときにどうな顔をするか想像しただけで心が躍った。
「いやぁ、酷い世の中になったもんですけど、むやみやたらに暴力を振るえる対象が出来たって言うのだけは、前の世界に無かったメリットっすよねー」
着替え終わると、早川はタオルで髪を拭きながらこちらに向かって残忍に微笑んだ。
俺は必死に無表情を取り繕ったが、それは果たして彼女にはどう映ったのだろうか。
早川は警棒を取り出すと、縦振りでそれを俺の鳩尾に叩き込んだ。流石に体がくの字に曲がる。
「さ、帰るっすよ。――アンタの寝床の暗くて臭い住処へ」
早川が歩き出し、俺は後ろからそれに黙って付いて行く。
この立場が入れ替わる日は近い――。
そのときの光景を想像して、俺は背後で小さく嗤った。
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