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新訳 その人の名は狂気  作者: 無道
第3章 決別と謀反
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初日の出来事

「仕事っす。皆さん外に出てきてください」


 次の日から、俺たちの本格的な奴隷生活が始まった。

 俺たち奴隷の主な仕事はバリケードの補強だった。桜坂高校は校舎を囲むように金網で仕切られてはいるものの、年季の入ったそれらは目に見えて老朽化しており、強度は充分と言えない。それに視界を遮ることは出来ないため、外から感染者に目視されることも欠点であった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 このバリケードの補強としてまず行われていたのが視界のシャットアウトだった。各教室から取ってきた遮光カーテンを金網に縛って括り付け、外からの視界を遮る。

 一見して簡単な作業であったが、俺たちは作業を初めてすぐに問題に気づく。カーテンを金網の上部に括りつける作業を行う者が、外から丸見えだということだ。これでは外に感染者がいればすぐ見つかり、その瞬間、奴らは尻尾を振って襲い掛かってくるだろう。

 幸い、学校の周りを感染者が通ることは少ないらしく、まだ“三回しか”見つかったことはないそうだが、記念すべき四回目が俺たちの奴隷初日目、つまり今日だった。


「キシャァアアアアア!!」

「う、うわぁあああああああ!!」


 奥の曲がり角から突然姿を現した感染者は初老の男だった。

 そのとき運悪く金網に乗って作業していた岸本は、人を超えるスピードで駆けてくる感染者に情けない悲鳴を上げる。


「い、嫌だ嫌だ! やっぱり無理だ! そっちに下ろしてくれ!」

「――それは許されないっす。感染者の足止めが出来なければあなたたちはどのみち処分される決まりなので死ぬ気でやらないとお釈迦っすよ?」


 脳のリミッターが外れ、身体能力が極限まで引き上げられている感染者は四メートル程度の高さしかない金網なら軽々と飛び越える。それを阻止するため、あらかじめ感染者に見つかった場合には、金網の上で作業していた者が外に飛び降りて囮になり、自力で一人で倒すか、そいつが喰われている間に殺すかという二通りの方法で対処することが決められていた。

 だが、この作戦は上で作業していた者の生存確率は度外視されている。身体一つと“カッター一本”で感染者を相手取れというのだ。勿論もっと強い武器を早川には要求したが、謀反の可能性があるとしてこれ以上の武器は認められなかった。

 早川に釘を刺された岸本だが、なおも金網の上で迷う素振りをしていた。感染者はもうすぐ目の前まで迫ってきている。いつまでも踏ん切りがつかない岸本を見かねた俺は、不本意ながら手を貸してやることにした。――まあ奴を金網から突き落とす、だが。


「え」


 目を丸めた岸本は、落下した衝撃に顔を顰めた。そんな彼に安物のカッターを放り投げ俺は言った。


「武器です! どうかご武運を!」

「なっ……」


 沈痛な面持ちを浮かべるのに相当苦労した。表情筋は引き攣っていないだろうか。皆を助ける為にしょうがなく、と言外に示した俺の表情に、岸本が浮かべた表情は『絶望』だった。


 ――これで愛する家族の元へ向かうことが出来るんだ。もっと喜べよ。


 姫路を前にした道野のように、結局岸本は抵抗らしい抵抗を終ぞ出来ることはなかった。

 生きながらにして喰われる岸本の口から悔恨やら恨み言やらが発せられ、柵の向こうの捕食ショーは続いた。王馬や岡崎は今にも吐きそうな顔をしていたが、こいつらにもまだ仕事は残っている。感染者が岸本を喰うのに夢中になっている隙に鉄網を越えて奇襲。カッターといえども首筋を狙えば感染者を無力化することは可能だ。

 王馬と岡崎と俺の三人でなんとか感染者を倒し、伏して動かない岸本から目を背ける岡崎たちだったが、悪夢はまだ終わらない。


「――それじゃあ感染者になる前に、そこのおじさんの首を“刈っちゃって”ください」

「……冗談だろ?」


 信じられないと王馬が首を振った刹那、早川の近くに立っていた別の奴隷の男が吹き飛び、悲鳴を上げる。早川の手には警棒が握られていた。


「早くしてください。感染者に噛まれた死体は損傷が激しいほど仲間入りするのが早まりますから」

「何でだよッ! 岸本さんは俺たちの知り合いだったんだぞ! そんなことできるわけねえだろ――」


 王馬が耐えられないとばかりに叫んだ時には、早川の空いている方の手には黒光りする得物が握られていた。

 いきなり銃を向けられた王馬が口を噤むと、早川は本当に面倒臭そうに瞼を半分落とした。


「……今アンタが生きてるのは自分が弾を無駄遣いしない倹約家だったからですが、二度同じことを許すほど自分は甘くないっすよ。――ここで死にますか」


 早川の声は低い。奴は本気だ。その気迫に王馬と岡崎は固まって動けない。

 俺は小さく息を吐く。無言で岸本の亡骸の傍まで来ると、ギギギ、とカッターの刃を最大まで伸ばす。


「ッ八代さん!? まさか――」

「ここで僕達が死んだら、それこそ岸本さんの死が無駄になってしまう。大丈夫、責任は僕が負うよ」


 言ってから、俺はカッターを岸本の首にあてがい、一気に横に引き裂く。

 まだ生暖かい鮮血が飛散し、俺の体を汚す。あー、この服気に入ってたんだけどな。


「……ッおぇええええ!!」


 それを見た王馬がまた盛大に嘔吐した。昨日からロクな物を食っていないせいか、アスファルトを汚すのはサラサラした胃液のみ。てか、お前本当に吐くの好きだなー。

 すると視界の端で早川の表情が変化したのが分かった。つまらなそうに落ちていた瞼を開き、唇が弧の形を描く。

 これはもしかして、という俺の期待に応えるように、早川は輝くような笑顔で彼らにとって残酷な事を命令する。


「あ、それじゃあ良い機会なので、王馬さんと岡崎さんは『それ』の眼球を一つずつ抉ってください。――で、それを“食べたら”二人が姫路先輩たちに忠誠を誓うということの証明ということにしましょう」


『――は?』


 ――この女、最高だな。


 縫い付けられたように一歩も動けない王馬と岡崎の顔を見て、俺は我慢できず小さく鼻で笑ってしまった。

 その間にも早川はにこにこしながら銃をチラつかせて二人を催促する。


「何ぼーっとしてるんすかー。早く食べてくださーい。二人が忠誠を誓っているのが分かれば、自分が姫路先輩たちに掛け合って奴隷から解放してあげてもいいんすよー」

「な……ぁ、そ、そ、そん、そんなこと……」

「ポジティブに考えましょう? 確かマグロの目玉とかも栄養に良いって言うじゃないっすかー。えーと、でぃーえいちしー? 二人ともお顔がげっそりしてますし、栄養を摂ってほしいという自分からのささやかな贈り物何ですよ、はい」

「で、出来るわけないだろ!」

「……まぁそっすよね」


 珍しく声を荒げた岡崎に、興が削がれたとばかりに早川は肩を竦める。

 流石の早川でもこれは本気ではなかったらしい。なんだ、残念。


「奴隷は『長持ち』するように使えって千羽先輩に言われましたし、今回は特別に目を瞑りましょう。じゃあ、早く戻ってきて作業を再開してください。あ、そのゴミは感染者の餌に使うのでそこらへんに置いといたままでいいっすよ」






 空を夕暮れが血の色に染め上げ、やがて端々に星が浮かび始めた時、校舎の方から姫路がやってきて、直々にその日の仕事の終了を宣言した。


「みんなお疲れ様! 明日も仕事があるからゆっくり休んでね……って、なんか昨日見た時より減ってない?」

「いやー、実は早速一人死んじゃいまして」

「――もぉ、いきなりぃ!? 知世ちゃん、昨日奴隷の人はなるべく殺さないようにって私と咲ちゃんあんなに言ったよね!?」

「いや、そうなんすけど、これには深い事情がありまして……」

「だとしても、結果として一人死なせちゃったんだから、知世ちゃんの『かんとくふとどいき』もあると思うよ!」

「うぅ、面目次第もないっす……」


 姫路の説教に首を垂れる早川という構図は、傍から見れば部活の先輩と後輩のようにも見えるが、逆に言えば、その程度であった。つまり、人が一人死んだというのに、姫路の態度は『軽いミスをした後輩を叱る』程度のものでしかなかったということだ。


「――今回は事故だっていうのは分かったけど、奴隷の人だっていつでも調達できるってわけじゃないんだから気を付けてよね!」

「うう、肝に銘じておくっす……」


 しゅん、と項垂れた早川はこちらを見ると、キッと睨みつけてきた。いや、俺たちは何も悪くないからな。

 姫路に叱られ、落ち込んだ早川は、そのままやる気ない所作で俺たちを奴隷小屋へ押し込む。しばらくしたら食事を運んでくる、と言うと、そのまま早足で奴隷小屋を後にしていった。


「……予想以上に子供っぽい人のようですね、彼女は。逆恨みで厄介なことにならないと良いんですけど……」


 岡崎は不安そうにそう言ったが、幸い、それは杞憂だったようで、後から食事も少量ながら運ばれてきたし、その後には早川がやってきて、耳を疑うような提案をしてきた。


「この後、プールで水浴び出来るっすけど、使いたい人います? もし行くなら自分も見張りでついていかなきゃなんで、正直あんま使って欲しくないんすけど」


 むすっとした顔で告げられた内容に、俺たちは一瞬黙りこくる。

 これまでの早川知世という人間の性格から、俺たちにそんな気遣いをするとは考えにくい。何かの罠ではないか。おそらくその場にいた誰もが抱いた危惧だろう。


「……誰もいないようですね。安心したっす」


 別に、是が非でも水浴びしたいわけじゃない。インフルエンス・パニックが始まってから、ロクに風呂なんて入っていないし、今までそんなことを考える余裕すらなかった。わざわざリスクを冒してまで行くものではないと、そのとき誰もが考えていた。


「――いや、僕は行きたいかな」

『……ッ!?』


 まあ、俺は行くんだけどな。

 臭いの嫌だし、何より、面白い事があるかもしれねえしな。

 その後考えてみると、このときから既に俺の目的は、「いかにして生き延びるか」ではなく、「いかにして己の快楽を追及できるか」ということに変わっていた。思い出すのは、インフルエンス・パニック発生日にちょうど受けていた倫理学の授業――「四端の心」。人間は生まれながらにして善人であるというこの考えに、以前は疑問を抱いていたが、今では絶対に眉唾であると断言できる。それほどまでに、今の俺に善性というものは微塵も存在しない――。


「あーマジすかー。八代さん、私がやめて欲しいって言ってるんすから空気読みましょうよ。今日は初日だったから大変だと思って遠慮してたのに、そんなに私の教育を受けたいんですか?」

「……身体もボロボロだし、衛生面って意味でも心配なんだよ。傷口から化膿なんてごめんだぞ」

「あ、それは困ります。お二人には出来るだけ長生きしてほしいですし。じゃーしょうが

ないですね。ついてきてください」

「や、八代さんっ!」

「向こうも無暗みたらに僕をどうこうしようってことはないはずさ。大丈夫だよ」


 岡崎に笑いかけ、俺は早川について歩き出した。


読んでいただきありがとうございます。

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