僅かばかりの生存者
「何があったかを知りたい。君の知ってる範囲でいいから教えてくれないか?」
何かを言いかけた彼女に、俺は食い気味に問う。
「な、なにかって、あなた一体――」
「お――僕は警備班でね。三日前から校外に出て食料調達に行ってたんだ。それで帰ってきたらこの有様で、とにかく今は何があったかを知りたいんだよ」
なおも困惑した顔を見せる女に、
「時間がないんだ」
もう一度念を押した。
それで折れたように小さく息を吐くと、
「昨晩よ。みんなが寝てる中、突然悲鳴が上がったと思ったら、体育館に突然感染者が入って来たの。その感染者は一人しかいなかったんだけど、噛まれた人から次々と感染者になっていって……」
最後は消え入るような声で言うと、彼女は視線を落とした。
彼女の話には色々と疑問はあったが、それよりも今は優先して訊きたいことがある。
「それじゃあ生き残りは? 生存者はもう君以外にいないのか?」
「さあ……、ほとんどの人は私とは反対方向の校舎に逃げて行ったから……」
「……なるほどな」
そこで近づいてくる足音を耳が捉える。振り返ると、グラウンドを彷徨っていた感染者が俺たち――厳密には目の前の少女を捉え、走りだしてきたのだ。先ほど扉を壊したことで注目を集めてしまっていたか――。
「―――ッ!」
「ここにいろ。絶対に顔を出すなよ」
アスリート顔負けの速さで走ってくる感染者に、彼女の体が強張るのが分かった。自然と声が低くなる。被っている化けの皮が剥がれそうになっていることに気づき、軽く咳払いする。まあどのみち、大学で俺を見たこの女には消えてもらうのだが――。
体育倉庫から出ると、空気が若干湿り気を帯びてきた気がした。もしかしたら午後からでも一雨来るかもしれない。
先頭を走ってきた感染者の喉笛を一突きにして、俺の足は校舎へと向かって進み始めた。
「ちっ、ここも外れか」
「ゔ、ぁぁ……」
体育館、一階と探したが、有斐さんはおろか、生存者さえ見つからなかった。
生存者がいることを考慮して、廊下を我が物顔で歩く感染者を一体ずつ丁寧に処理しているが、このままではそれも無駄骨に終わりそうだ。
華和小学校は二階建てだ。階段を登った先にもしも生存者がいなければ、俺たち以外全滅したということになる。
「他はいくら死んでもいいけど、有斐さんだけは勘弁だぜクソ野郎――」
階段を登り切ったところで俺は耳を澄ます。廊下には感染者であろう頼りない足音は複数聞こえる。そして、それらを超えた一番奥の教室で、緊迫した息遣いと押し殺したような囁き声が聞こえた時、俺は一目散にそちらに向かって走っていた。
「ヴァアア―――ばっ!?」
「邪魔だ」
足音に反応して振り返った感染者の口に鉄パイプを突き入れ、軟口蓋を突き破り脳を串刺しにする。
鉄パイプに引っ掛かったその感染者を窓から投げ捨て、その場にいた他の感染者も十秒とかからず処理した。
血しぶきの飛んだ服を見て眉を顰めながら、俺は声の聞こえた教室の前に立つ。扉を規則的に三回叩くと、向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……生存者ですか?」
「――岡崎くん。僕だよ、八代だ。遅くなってすまなかった」
「――ッ! 八代さん!?」
息を呑む音が聞こえ、数秒後、目を丸くした王馬と岡崎が姿を現した。
俺は安堵した表情を作り、小さく息を吐く――仕草をしながら目線だけでチラリと教室の奥を盗み見る。カーテンは閉め切られていて他に人がいるかは判然としない。
「……良かった。二人は無事だったか」
「八代さんこそ! 数日経っても帰ってこないからもう駄目かと……。後藤さんたちは?」
王馬の期待する眼差しから目を逸らし、俺は悔いるように呟く。
「……すまない。僕の認識が甘かった。途中で感染者の群れに襲われて、逃げてる最中にみんな散り散りに……。そのとき、後藤さんと佐々木さんが感染者を惹きつけてくれて……」
「ッ……そんな……」
王馬が目に見えて表情を消し、岡崎が沈痛な面持ちを作る。
――そんなことはどうでもいいから、有斐さんはどこにいるんだよ。
喉まで出かかった言葉を飲み込み、俺は言葉を選びながら慎重に尋ねる。
「……こっちも色々あったみたいだね。話はあとで聞くよ。それより今は脱出するのが先だ。生き残ったのは君たち二人だけかい?」
「あ、いいえ。僕たちの他に四人います。――みなさん! 警備班の人が救助に来てくれました!」
王馬の呼びかけにささやかな喜色の声が上がり、薄暗い闇から四人の老若男女が姿を現す。その中に有斐さんの姿は――なかった。
舌打ちが出そうになったのをすんででこらえ、俺は粘り強く岡崎に問う。
「他に、逃げ延びた人はいないのかい? もしかして、ここにいる人以外、皆やられてしまったのか?」
「自力で学校を脱出した人も何人かいます。まあ、その人たちが校門を開けたせいで外の感染者も大量に流れ込んできてしまったんですが……」
「そうです、許せないのは真っ先に校門を開けて逃げた道野さんです! ここのリーダーだったのに、女性を脅して攫ってまでして逃げたんですから」
「――なんだと」
それを聞いた時、嫌な予感がした。帰り道で野良猫の死体を見た時のような不快感。
俺は不安を抱きつつ、王馬に問う。
「その女って……、若い人だったか?」
「は、はい。若くてきれいな栗色の髪のお姉さん、で……ッ」
視界が真っ赤に染まった。ハンマーで殴られたような衝撃で脳がぐわんぐわん揺さぶられる。腹の下からぐつぐつとマグマのような怒りが上ってくる。持っていた鉄パイプを、肌が白くなるほど強く握りしめた。
「あの、八代さん……。もしかして、知り合いですか?」
「……ええ、すみません。取り乱してしまって。この話はまた後にしましょう」
あの狸、やってくれたな。
俺は動きの鈍い表情筋でいびつな笑顔を作り、先頭を歩く。先ほど廊下にいた感染者は一掃してしまったので襲撃もないが、今はそれがたまらなく口惜しい。
あの狸は無力だが、無能ではない。簡単には感染者に襲撃されない拠点を確保し、そこで持参した玩具を弄ぶつもりだろう。別に有斐さんが処女だろうが何だろうがどうでもいいが、あの男が使い込んだ中古を好むほど、俺は物好きじゃない。
こいつらのお守りが終わったら一秒でも早くアイツを見つけて殺す。狸狩りだ。
そう決意して玄関をくぐり校庭に出ると、柱の影に倉庫にいた女が立っていた。
「……倉庫に隠れているよう言ったと思うけど」
「あのままいたら、忘れられそうだったもの」
確かに、今になるまでこいつの存在を忘れていた。後ろからは岡崎たちがついてきている。ここで処理するのは面倒だ。今は後回しにする。
「八代さん、これからどうするつもりですか?」
外に出てきた岡崎は立っていた女を一瞥するが、すぐに優先事項を思い出したのか、俺に話を振ってきた。「校門を閉じようにも、唯一の鍵は道野さんが持っていってしまいましたし」
「……とりあえず場所を移そう。さっき体育館に行ったら、数えきれない数の感染者がいた。いつ外に雪崩れ込んでくるか分からない。近くにいくつか公営住宅があるから、一時しのぎでそこに行こう。――皆さん、遅れないでついてきてください」
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