戻らぬ遠征
体育館を出て早々職員室へ戻った道野と別れ、玄関に着くと、入り口で数人の男が集まっていた。おそらくあれが俺の所属する後藤班だろう。
「すみません、遅れました」
「いや、私の班になったことを知らされていなかったのは聞いていた。大丈夫さ」
俺の謝罪にジャージ姿の後藤がその強面の表情を緩めた。案外、根は優しい人なのかもしれない。
一同を見渡すと、そこには俺を含めて六人。俺と後藤以外は全員五十代くらいの男たちだった。
ガリガリだったりデブだったり、そこにいるオヤジ共はどう見ても戦力としては心許ない。しかし、だからこそ周りの中で一人だけ体格が違う後藤には頼もしさがあった。おそらく四十代手前くらいの後藤だが、その長身とゴツゴツした体躯には熊を思わせる貫禄があった。
こいつは処分する時にめんどくさそうだな。
じっと後藤を観察していると、周りのオヤジ共が気でも利かせたのか声を掛けてきた。
「八代くんは二十歳なんだって? いやぁ、なんて言ってもこの班は後藤さん以外は全員還暦も近いおっさんばかりだから頼もしいねえ」
「違いない。私が二十歳の時なんてもう四十年近くも前のことだよ。あの頃はここまで太ってはなかったんだが、お陰で最近はカミさんが醤油をかけすぎだーとかうるさくてかなわんよ」
「いいじゃねえか石井さん。注意されてる間はまだ華だぜ。俺のとこの女房なんてもうウンともスンともいいやしねえよ。この騒動が収まったら熟年離婚もありそうで俺は胃が痛ぇよ」
わはは、と笑うオヤジたちに混じって俺も愛想笑いを浮かべる。
安心しな、じじい。アンタが熟年離婚する心配なんてねえからさ――
しかしどうやら後藤班の仲はそこそこに良好なようだ。そこで後藤が重みのある声で話を断ち切った。
「お話もそれくらいにしてそろそろ行きましょうか。今日は私たちが正門の見張り担当です。何もないとは思いますが、皆さんお怪我だけはしないように。――でないと、奥さんにどやされてしまいますよ?」
結果的に言えば、自衛隊は避難所へ現れることはなかった。
一夜明けた翌日の昼、定期連絡に集まった警備班の面々に道野は重く低い声で語りかけた。
「みなさん、よく集まってくれました。……自衛隊は相変わらず取り合ってくれず、支給物資も最早届くのかさえ分かりません。昨日八代くんが話した通り、私たちの力で食糧を調達しに行く必要があるでしょう」
「言い出したのは僕です。勿論、僕が行きます」
誰が言うよりも早く、俺は真っ先に手を挙げる。
「……八代は後藤班の人間です。彼が行くなら班長の私も行きましょう」
「後藤先生が行くなら私も。こう見えても昔は甲子園球児でしたから体力には自信がありますよ」
「何を水臭い。班で最年少の八代くんと後藤くんが行くんだ。半世紀以上生きてる俺たちが行かねえでどうするんだよ」
後藤に続くように名乗り出た後藤班の人達に道野は厳しい表情で頷く。
「……皆さんのような人達が警備班で良かった。避難所にいる人数が人数です。出来ればもう一班くらい調達をお願いしたいのですが、どの班かやってはもらえませんでしょうか?」
「なら、俺たちが――」
「私のところで行きましょう」
名乗り出ようとした岡崎を制し、挙手したのは、昨日の連絡会では見なかった男だった。そこで昨日の会議中、外の警備で唯一出席していなかった班のことを思い出す。
「おお、佐々木さん。行ってくれますかな」
「ええ。岡崎くんの所は学生が中心の班だ。まだ若い連中にあまり危険な仕事はさせたくないですからな」
佐々木と呼ばれた男は驚く岡崎に微笑みを浮かべた。
「すまんな岡崎くん。おじさんたちにカッコイイ姿をさせてはくれんかな?」
「……すみません、ありがとうございます」
頭を下げた岡崎に佐々木は軽く手を挙げた。
「よし、では外に出るのは後藤班と佐々木班で決まりだね。出発は午後三時、正門前に集合にしましょう。それまでに準備を済ませておくように。それでは、解散」
「――八代くん。もしかして……」
「ええ、これからちょっと外に出てきます」
体育館に戻って外に出るための準備をしていると、有斐さんが心配そうに眉を寄せた。
「やっぱり危険じゃない? 何も八代くんみたいな若い人が行かなくても……」
「俺くらいの歳がちょうどいいんですよ。俺より上だとおじさんばかりだし、何なら年下だって多いんですから」
俺は登山リュックを漁り、必要な物だけをピックアップして小さめのリュックに移し替えていく。あまりかさばる物や重い物は動くときに負担になる。
果物ナイフ、携帯食糧、ペンライト、防犯ブザー、水、救急キット――
「まあ大丈夫ですよ。そんなに遠くまでは行きませんし夜には帰ってきます。有斐さんはお土産でも期待していてください」
荷物をまとめると、俺は自然に見えるよう微笑んだ。
正座した有斐さんが俺の正面に向き直り、翳りを帯びた表情で呟いた。
「……気を付けてね」
決して声を張ったわけではなかったが、有斐さんの言葉は、全身から溶けいるように入り込み、暖かく俺の芯を温めた。
「はい」
それだけ言うと俺は立ち上がる。同じく立ち上がろうとした有斐さんを手で制し、もう振り返ることなくその場を後にした。
校門に着くと、既にそこには俺以外の後藤班のメンバーと佐々木達が集まっていた。
見れば他にも道野や岡崎らもいる。まるで卒業生の見送り式だ。さしずめ岡崎らが在校生で道野は校長と言ったところか。
「八代さん。僕らだけ安全な所にいるようで、すみません」
俺を見つけてやってきた王馬が心配そうに言う。
「気にしないでくれ。佐々木さんも言ってたけど、こういうのは大人の役目だよ。王馬くんたちも、ここの事は任せたよ」
「はい、任せてください!」
「十分にお気をつけて」
王馬と岡崎に親指を立てると、道野が図ったようなタイミングで声を上げた。
「全員揃ったようですね。それでは時間です。皆さんの健闘を祈ります」
一人が校門の錠を開けているとき、後藤班のオヤジの一人が長物を持って近づいてきた。
「おう。坊主はこれでいいんだよな?」
「ええ、ありがとうございます」
渡されたのは、所々が錆びた一メートルくらいの鉄パイプだった。その先端は学校の器具で加工して鋭利な形になっている。
それを軽く振り、しっくりくる感覚に満足する。
その様子を見ていたオヤジは、ポツリと聞いてきた。
「坊主は何かスポーツでもやっていたのか?」
「いいえ、スポーツには生憎触れる機会がなくて、今の歳になってもボール一つまともに投げられませんよ」
「なんだぁ、ひょろひょろそうには見えねえけど、もったいねえなぁ」
「スポーツはどうにも肌に合わなくて、全然できなかったんですよね。スポーツは――」
「ふん、今度騒動が収まったらうちの自治会でやってる草野球に来な。俺が一から教えてやるぜ」
「ええ、機会があれば是非」
重く鈍い音を立てて校門の柵が横にスライドし、遂に開錠した。
そうして後藤班と佐々木班は、内に獣を従えたまま、二度と帰れない遠征へと出発した――
場面転換が多く申し訳ありません。出来るだけ減らせるよう頑張ります。




