◆◇◆一話◆◇◆
自分が、いつから生きているのか分からない。分からないと言って、特別知りたいとも思わないが。
しかし人間の女というのは歳を気にするものだったか。そこに付随する老いを殊更、時には過剰なほど恐れるが、若さを羨むのは愚かなことだ。 今まで生きてきた経験が生き物の内面を熟成させ、輝かせる。そこに若さは必要ないだろう。妬むのは、自分にもあったはずの若きあの日に、後悔を残しているからだろう。…………悪くいったつもりはないが、そんな言い方はないだろうと、遠い日の友に怒られてしまいそうだな。
私にはかつて友と呼べる人間がいた。450年前に。それは、あの男が初代国王と敬われる王国をつくってから流れた年月だ。
それが長いのか短いのか分からない。だが、生きようとも、死のうとも思っている訳でもない私は、その450年の間、有り余る暇を持て余していた。
___そんなときは、気が向けば王国に向かっていた。
◆◆◆
生きているものは流動的だが、場所というものはあまり変わらないものだ。歴史が重ねられ文化が熟成されだすと、その場所自体がまるで生命を得たように生き生きとしだす。他を自分が生きやすいように壊し、搾取する人間は時には自分の命以上に場所というものに固執する。それが生きるというものなのだろうか。それがない私は、まだ生まれてすらもいないのだろうか。
私が今までの生涯で友と呼んだ男が、己の住まう城の一角にひっそりと作った庭園。気に入ってくれると嬉しいのだが、とはにかんだ顔は、今でも思い出せる。現代においても丁寧に整えられた庭園を私はただ眺めていた。
我等エルフ、精霊種というのは多くの生物がそうであるように何かに依存するのではなく、宿るものだ。エルフは長く生きるほどまるで化石のようになり、果ては、森に宿るのだ。
私が今もこの場所に通うというのは、エルフの生き方と同じように、この庭園に、あいつの面影、思い出が宿っているからなのだろうか……。
「もしや、ザルエス様ではございませんか?」
不意にかけられた声に振り向くと、そこには幼い少年がいた。遺伝とは不思議なものだな……、その瞳が遠い場所にいる友と同じ色をしているのを見て私はこの子が今代の王族なのだと理解した。
無言のままでいる私を気にした様子を見せず(恐らく初代国王の書記でも見て、私の人となりは分かっているのだろう)少年は朗らかに話しかけてくる。
「私はヴェルデと申します。お会いできて光栄です」そして、不思議そうに首をかしげる。「庭を恋しく思われて来たのですか?」
私は囁くように返した。
「どうだろうな」
ヴェルデは私の隣に立ち共に庭を眺める。気負いないその所作、嫌いではない。
「いつからこちらに?」
「……分からん」
「左様で」
「………………」
「………………」
「………………お前は普段、何をしている」
「は……。学園に通っています」
「学園……」
「はい。貴族の子息が中心ですが年頃の平民も通う場所で、数学や言語、魔法や剣、己の領分にあった物事を伸ばそうと学ぶ場所です」
「楽しいか」
「……遣り甲斐はあります」
しばし悩んだ風を見せて答えたヴェルデ。
「あいつもそうだが、人は何故嫌なことでもそうと言わず、顔にも出さず、簡単なようなことのように行うのだ?」
「私は王族ですので、そのように素直に生きられないのです」
歳に似合わず大人びた様子で苦笑したヴェルデは「しかし無理なことは無理と言う人もまた多く存在します」と付け足す。
「人とは分からん生き物だ……」
「雑多であるがゆえ、規律を作り尊ぶのです。そうでなければ私たち人はただの動物であり、ここまで発展しなかったでしょう」
「必要なこととは思えんがな」
「そうですね……。あなた様から見れば、人は生きるのに不必要なものを大事にしていると思われますか?」
「む……」その問いに、またやってしまったかと私はヴェルデを見下ろした。
「批難したわけではない」
「?」
「私には単純に不思議だっただけだ。他意はない」
「はい」
当たり前のことを言われたような顔をしたヴェルデは次に納得したような顔をして小さく吹き出した。
「……あいつには、口が悪いとよく怒られた」
「ふふ。あなた様のお心の中で、初代国王は今も生きていられるのですね」
「うむ……。建国が成されあいつがしんだ後の時間より、あいつと過ごした数十年のほうが長いように感じるから不思議だ」
あの日々はエルフにとって短かったろうが、私の中ではいまだ消えぬ、永遠に近い思い出だ。
「羨ましいな……」
ポツリと呟いてヴェルデは私を見上げる。
「ねぇザルエス様、私とも友達になってくださる?」
「友達が何なのか、分からん」
「ふふ。それでいいです。私のことを友達だとザルエス様が思ってくださるように私が頑張りますから」
「そうか」
よくわからないが、私が特別何かをしなくてもいいというのなら任せよう。
「ヴェルデ様、こちらにいらっしゃいましたか」
離れた場所から声をかけられる。ヴェルデは肩を竦め、私を見上げる。
「ザルエス様、退屈なさっているのなら学園へお越しになりませんか? 職員達には話を通しておきますので。学園にも立派な庭があるのです」
「考えておく」
「私の名前、覚えてらっしゃる?」
「ヴェルデ」
「はい。なにかお困りのことがありましたら、近くの人間に私の名前をお出しください」
「うむ」
ヴェルデはにこにこ笑って上機嫌で去っていった。
私は、あの人間の一生を傍で見守っているのだろうな……、そんな予感を残して。
その未来予想がもっと複雑で予測もつかないものになるとは、その時の私は知りもしなかった。