■□■□五話□■□■
◆◆◆◆ 6 ◆◆◆◆
ルフェ様のことでお話があります。皇太子殿下が貴方をお待ちです。
使者の言葉に私は堪らなく不安になり、使者とともに王都へ、皇太子に会うことにした。
王都に来るのははじめてで、私は馬車の中から賑やかな喧騒を眺めた。使者が甘いものでも、と進めてくるが、口にする気分になれなくて断り続けた。
城に通されこんなに簡単に入っていいのかと思ったが、連れていかれた部屋にはすでに皇太子が待っていて驚いた。
皇太子は美しい金髪の、溢れる自信を纏った人だった。
「お待ちしていた、ミス・イルシェ。急な呼び出しに応じてくれてありがとう。私はヴェルデ・ソル・ル=オン・アルファベスという」
「お、まねきいただき、ありがとうございます。殿下」
あまりに皇太子が気さくすぎて、私は戸惑った。
「座って」
皇太子に促され、私は言われるがまま精緻な彫りが施された椅子に腰かける。向かいに皇太子が座ったとき、紅茶が出された。そっと目の前に差し出されたカップの琥珀色の水面をじっと見つめる。
「ミス・イルシェとルフェはどういった関係なのかな?」
皇太子を見れば、穏やかな瞳で私を見つめていた。彼はふ、と微笑むと、一枚の絵画のような優雅さでティーカップ持ち上げる。
「気になっただけだよ。私は魔法学校で少しの間、ルフェと関わったことがあってね」
意外な事実に目が丸くなる。
「ルフェは触れれば切れそうな、いや……。そうだな、なつかない猫、のような奴でね」
言い直した皇太子に親近感が湧く。私もルフェをなつかない猫のようだと思ったことがある。
「だから、可愛らしいお嬢さんとなんの接点があるのか不思議に思ったんだよ。あいつの人嫌いは筋金入りだったからね」
一口紅茶を飲んで、ティーカップをソーサーに戻す。
それを眺めながら「同じ施設で過ごしました」と答えた。
「ふむ。二人とも、孤児だったとか。可哀想に」
痛々しい表情で、皇太子は目をつむる。なんだか、なんとかしたくなってしまう。貴方のせいではないのだと。この人についていけば大丈夫と思うような魅力に溢れた人だ。
「紅茶はお好きでなかったかな?」
「いえ。ただ、口にする気になれなくて」
「ルフェが、心配かい?」
頷くと、皇太子は困ったような顔をした。
「彼のことで呼んだが、彼は無事だよ。君を呼んだのはもっと別なことさ。彼は、偏見されやすいから、そのことでね」
皇太子を見ると、彼はこまったように微笑んだ。
「君を誤解させるような言い回しをしてしまったようだ。不安にさせてすまない」
「いえ……」
「ここにくるまでなにも口にしていなかったんだろう? どうぞ召し上がって」
促されて、私は紅茶を一口含んだ。皇太子と同じものだから、今まで飲んだどの紅茶よりも美味しい。ほう、と一息ついて、また一口飲む。
「それはルフェが?」
皇太子が私の左手を指差す。私は微笑みながら頷いた。
「はい。北に行く前に、お守りにくれました」
「愛されているんだね」
「あ、あい?」
思わない言葉に私は驚いた。皇太子はおや?と意外そうな顔をしたあと、なにか心当たりを思い出したのか瞳に理解の色が宿り、まるで小さな兄弟がはじめて何かを覚えたことを褒めるような顔で笑った。
「ルフェの精一杯の気持ちさ。左手の薬指にはそういう意味がある。君は、本当にルフェに大事にされてるんだね」
穏やかな皇太子の、穏やかでいながら心乱される言葉に頬が熱くなる。左手の薬指にどんな意味があるんだろう……、けれどそれより、私は安心していた。この人はルフェを と呼ぶ人ではない。私と同じようにルフェを心配して、案じてくれる人なのだ。
「あの、ルフェは元気ですか?」
「あぁ。前線で活躍してくれている。強力な四体の魔人がいたが、二体を倒したらしい。彼のお陰で大分持ち直したよ」
「そう、ですか」
「あぁ。あいつは大した奴だ」
素直にルフェを認めてくれる皇太子に私は嬉しくなった。この人は、いい人だ。
その時、ぐらりと視界が揺れる。緊張が緩んで安心したからだろうか、体の力が入らない。
揺れる視界の中で、皇太子が微笑んだ。
「思ったより、早く薬が効いてくれたね」
え……? なに、を、いっ……。
…………………………………………。
*
頭に霞がかかったようにはっきりしない。ぼう、と見つめる先に、見たこともない家具が置かれていた。精緻な蔓の紋様が刻まれた机、椅子、栗鼠と兎が遊ぶ彫刻。素人目に見てもどれも一級品だと分かる代物だ。華やかな内装からお姫様の部屋みたいだ。
(私、どうしてこんなところに……)
ぼう、とした頭で、細い糸を手繰るように記憶を辿る。意識を手放す前、皇太子が放った言葉を思い出してはっとした。
飛び起きる。耳障りな金属音。左足に絡まる鎖。
「なんで……!」
これは、何が、どうして。
鎖を滅茶苦茶に引っ張っても壊れる気配はなく。その時にいつも左手の薬指に填めていた指輪がなくなっていることに気がついた。
うそ。嫌だ、信じたくない。これは、夢?
皮膚が剥けた場所が鎖とこすれて痛い。
その時、ノックもなしに扉が開いた。そちらを見ると、目があった皇太子が優しげに微笑む。
「やぁ、目が覚めたようだね。ご機嫌はいかがかな」
「これはどういうことですか!」
「君には悪いが、人質にさせてもらう。あの男にたいしてのね」
あの男。悪気もなく、皇太子はそう言った。
「人質……? 私が、ルフェの?」
「あぁ。あの男は危険すぎる」
「危険? いつルフェが、そんなことをしたの? あの人はいつ死ぬかもわからない場所で、人を守るために戦っているのに!」
「あの男は強すぎた。我々が管理するには人質が必要なんだよ」
「管理!? ルフェは物じゃない! 道具じゃないのよ!」
カッとなって叫ぶ。響く金切り声は私の声じゃないみたいだった。皇太子は鼻で笑う。あんなに優しげだった皇太子は幻かと思うような豹変だった。
「あの悪魔に、そこまで躍起になる人間がいるとはな」
悪魔。みんなみんな、ルフェをそう呼んだ。
黒い髪、赤い瞳、人を魅了するその美貌。まるで人ではないような、その強さ。
皇太子の口からその言葉が出たとき、何もかも嘘なんだと悟った。優しそうだった。本心からルフェを案じているようだった。それが全て、まやかしだった。ルフェの生きる世界の、その過酷さを、垣間見た。
分かってたのに。分かってるつもりだったのに……!
「ルフェは悪魔なんかじゃない……!」
血を吐くようにそう叫んだ。
「ルフェは、私達となにも変わらないのよ。ルフェが何をしたっていうの! 黒髪だから、赤い瞳だから、悪魔だって言って。今ルフェは誰のために戦っていると思っているの!?なんのために戦っていると思っているのよ!沢山の人を救って、私達の未来のためにずっと戦っているのに!なのに!どうして誰もルフェを認めてくれないの!」
今まで思っていたことがここにきて爆発してしまった。どうして、なんで。
皇太子を睨み付けた瞬間、私は思わず怯んでしまった。皇太子の目に浮かぶ、冷酷な侮蔑の光に。
それは気のせいかと思うような瞬きの間に消えた。皇太子は言う。
「ルフェを魔王討伐に送り出す。君はルフェを裏切らない」
「当たり前じゃない!」
皇太子はクイズで正解した子供に向けるような、満足げな眼差しで私に頷いて見せた。
「そう。私だったら、自分を想ってくれる女性はけして裏切らない。ルフェもね」
「君のお陰で、ルフェは快く頷いてくれるだろう」
優しげなのに、まるで毒が滴るような言葉。
ヴェルデはそっと囁いた。
人類のために、君達を利用させてもらう。
それが当然なのだと、そう言わんばかりの態度。
私はヴェルデを睨み付ける。
「悪魔とは、お前のことだ」
「ふん。ようやく気がついたのか?」
嘲笑を浮かべるヴェルデが腹立たしくて仕方がない。
ヴェルデが部屋を出ていく。
私は悔しくて悔しくて、悲しくて泣いた。
◆◆◆◆ 7 ◆◆◆◆
私がルフェを修羅の道に進ませたのだろうか。
あの日から、そればかり、考えていた。
私はあの黒い髪が忌み色だと知っていた。あの夜、シスターと男が言い争っていたのは、ルフェのことだ。誰もがルフェを避けた。
けど、子供の頃、私は忌み色だと知っていても、それでもルフェの色は綺麗だと思ったのだ。
冷たくなって震えているあの手を、暖めてあげたいと、思った。




