◆◇◆第四話◆◇◆
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その日からルフェの態度は変わった。最初の数日は私やヴェルデを見ると離れていくのだが、更に時がたつと、なにか言いたげに、ついには自分から私達に歩み寄ってきた。
「あの、殿下……」
「おや、調べたのかい?」
「……嫌でも耳にはいる、ます」
言葉に苦戦している様子のルフェを「落ち着ける場所へいこうか」と促し、私たちは人気のない場所へ向かった。辿り着いたのは私とルフェがはじめて出会った裏庭だった。
「楽にして構わないよ」
「…………」
「気にしないってば」
「……なんで?」
その口調は今までのルフェからすると、ずっと幼い印象を受けた。
「なんでって……、ルフェは私と友達になるのは嫌なのか?」
「お付きの従者になれっていうほうがよっぽど現実味がある」
「それは嫌だ。お前、そうなったら遠慮するから」
「遠慮しちゃ悪いのかよ」
「悪い」
「何でだよ」
「もう意地だ。理由はない」
ヴェルデの物言いにルフェは絶句した。ヴェルデはにやりと笑う。
「こんな友達は嫌か?」
「…………あんたには敵わないな」
諦めたように笑って、ルフェはヴェルデの差し出した手を握り返す。
「……ザルエスも」
ヴェルデの後に私に向かい合い、ルフェはそっと手を差し出した。私は喜んでそれに答える。そのまま目線を合わせるようにしゃがみこみ、ルフェの瞳を見つめた。
「愛し子よ、私を受け入れてくれてありがとう。私は君の良き友としてあることを誓おう。君が望む場所で君の望む幸せを得られるように、私は君を助けるよ」
ルフェは呆然とした後、肩を竦めた。
「重いし、気持ち悪いよ……」
それは照れ隠しで思わず言ってしまった、悪意のない言葉だった。ルフェは思わず言った言葉に顔をしかめたが、それが面白くて私はつい笑ってしまった。
◆◆◆
それから私たちは共に過ごす時間が多くなった。ヴェルデが傍にいることでルフェへの悪意は成りを潜め、ルフェも身近な存在を得たためか自信をつけ己の実力をめきめきと伸ばした。人の成長とはかくも速いものかと驚かされるばかりである。
「邪魔するよ」
「どうぞ」
「む」
今日はルフェの部屋に三人で集まった。ここに集まるのも慣れたものだ。始めて来たときヴェルデが「学生というよりは研究者の部屋だな」と呟いたようにルフェの部屋には魔法書が積み上げられ、紙に書きなぐられた魔方陣がそこかしこに散らばっている。
「お茶用意する」といってルフェはキッチンの方へ向かう。私とヴェルデは各々椅子に腰かけた。
「?」
机の上に、およそルフェの部屋にそぐわない華やかな色合いのものを見つけて私は不思議に思った。何かと立ち上がり近づいてみてみると、それは封筒と便箋の束だ。ルフェに手紙……、私は興味のまま手紙を手に取った。柔らかい文字が便箋の上で優しく踊っていた___「何読んでるんだよ!」
ルフェの感情的な声ではっと我に返る。手紙を奪おうとして、皺になるのが嫌なのかためらう素振りを見せるルフェがそこにはいた。
「すまん、ルフェ。大事なものだとは思わなくてザルエス様を止めなかったんだ」
「すまん」
素直に謝って私は手紙をルフェに手渡した。ルフェは大事そうに手紙を受け取ると気まずそうに視線をさ迷わせる。
「俺も悪かった。………大事なものなんだ」
「……相手が誰か聞いても?」
ルフェは頬を若干染め、言うべきか唇を戦慄かせる。その時私はふと視界のすみに、ルフェが持っているものとは違う、返信用に用意しただろう便箋を見つけ、そこに綴られている力強い筆致の文面を粗読みして……
「ザルエス何笑って、あぁっ!?」
思わず笑ってしまった私の視線の先にあるものを見つけて、ルフェははっきりと赤くなる。その様子に興味を持ったのかヴェルデがなんだなんだと立ち上がりこちらへ来た。
「二人でこそこそしてないで、私も混ぜてくれ」
「やめろ!何もない!」
「嘘をつけ」
「勘弁してくれ……」
ルフェはすっかり弱った声で懇願する。かわいそうに思ったのか、ヴェルデは肩を竦めた。
「分かった。けど、話せるときになったら教えてくれるよな?」
「勿論」とルフェは頷いて机の上の手紙を乱雑に握りしめるとくしゃくしゃに丸めゴミ箱に投げ捨てる。怒らせてしまったか……。
「すまん、ルフェ」
「いや……。ザルエスが笑うのも無理はない。俺らしくない返事だ」
「書き直すのか?」
ルフェは力なく首を左右に振った。
「返事を書かないのか?」
「……今まで返事を送ったことがないんだ」
その言葉に手紙が来るのははじめてでないこと、何度も返信用に用意しただろう便箋を不意にしたことが伺えた。
「…………へたれめ」
話は分からないが何となく察知したヴェルデがぼそりと呟く。こいつもおよそ、ルフェの前では貴公子然とした様子を装わず、素でいることが自然となった。ぐ、とルフェは言葉につまる。図星なのだろう、ルフェが言い返せないとは、よっぽどのことだ。
「そういえば、冬の長期休暇。お前はどこで過ごす予定だ?」
「………………」
無言のルフェに呆れた様子を隠すことなく「たまには戻ったらどうだ」とヴェルデは言う。そうするのがいいと私も思う。私は机の上にまだ残っている便箋を拝借し、一旦戻るとだけ簡潔に書くとまっさらな封筒におさめ、先程見た差出人の名前を封筒に書いた。
がちゃりと窓を開けると何事かと二人が私を見やった。
「誰ぞ、ルフェの想い人に手紙を運んでくれ」
____風の精霊はすぐに応えた。ふわりと私の手から封筒が舞い風にさらわれ運ばれていく。それを見送った私は窓を元通りに閉めた。
「お前が親愛するイルシェの元へ先触れの手紙を出したぞ。戻るのだろう? 今年の冬はゆっくりするといい。イルシェも喜ぶぞ」
「…………精霊は、自分勝手だ」
「まぁ、あまり落ち込むなよ……」
「む」
友人の背を押したつもりが、私は間違ったのだろうか。
◆◆◆
冬期休暇の最中、私はヴェルデの元にいた。ヴェルデいわく、見ていないとルフェの邪魔をしそうだということだ。邪魔をするつもりはないのだが、親愛なるイルシェとの時間をルフェは独り占めしたいと思うのではないかと考え、私は大人しくヴェルデについていくことにした。
王宮に戻ったヴェルデは大分忙しそうだった。学生をしながらも与えられた公務をこなさねばならぬのに、最近は学業に専念していたため仕事がたまってしまったのだろう。忙しそうにしつつも仕事をそつなくこなすヴェルデを私は何の気なしに見つめていた。視線に気がついたヴェルデが柔和に笑う。
「退屈でしょうザルエス様。私の事はどうかお気になさらず、お好きなようにお過ごしください」
ヴェルデはルフェがいない場所では、私をこのように扱う。
「ヴェルデと私は友達ではないのか?」
「大変嬉しいお言葉にございます」
「むぅ……。何故はぐらかす?」
ヴェルデは困ったように笑う。
「…………………どうやら、再び魔王が現れたようです」 重々しく告げられたのはそんな言葉だった。
「どこで?」
「北だそうです。人が入り込めぬような峻険な場所を根城にしているとの情報です。混乱を防ぐため、市政にはまだ情報を流していません」
「………………」
「向こう側は着々と準備をしていたのか、相手側の領域には易々と近づけなくなっております。付近の町村は壊滅状態にあり、命からがら逃げ出したものの話からすると、魔物を従えている者がいた、と」
「…………まさか」
ヴェルデは目を閉じて黙考すると、躊躇いを露に唇を震わせる。
「最悪の場合、ルフェの後見である魔法伯がルフェを魔王討伐の任につかせ、前線に送り出すと申しております」
ざわりと空気がうごめいた。
最悪の場合とは……、もうどうしようもない状態の場所に、ルフェを送り出すというのか?
「…………北に向ける兵力は」
「ほぼ、ありません。魔物の襲撃がいつあるか分からず、更に各国の動向も未だ掴めないため、大半の兵力は防衛のため王都、要所の国境を中心に配置すると」
私はヴェルデを見やる。
「何故今話した?」
「…………友に、嘘はつけない」
諦めたように笑うヴェルデ。
「ルフェの元に行ってください。彼の宝物も共に、どうか森へ」
「まだ魔王が動き出したわけではない。そういった情報がまわっているだけだ」
私はヴェルデに近寄る。椅子に座る彼を、幼子にするように抱き締めてやる。今のヴェルデは視野が狭くなっている。子供と同じだ。こうすると子供は落ち着くのを見たことがある。
「お前も、私の友だ。私はお前に随分助けられた。だから私もお前を助ける」
これが私の精一杯の励ましだった。
されるがままのヴェルデは、ややあって身じろぎをすると、抱擁を解いて「私は子供ではありませんよ」と少し照れたように笑った。いつもの調子に戻ったようだ。
「ヴェルデ、私は北に向かい、何があるのか見てこよう」
「……何故です?」
「魔王が実在するのか私には信じがたい。共生能力のない魔物が何故徒党を組む? それはあり得ないことだ」
「私もそれが不思議です。突然変異と考えても奇妙すぎる」
意見が一致した。私たちは頷き合う。
「何かが北にはあるのだろう。それを、確かめてくる」