■□■□一話□■□■
訪れる人は数える程度、私の世話をする使用人くらいであるこの部屋に客人が来るという。
こんなところに来る知り合いに心当たりがなく、誰かと問えば「ザルエスというエルフの男だ」と言われる。やはり、知らない名前だ。
それに生まれてからこのかた、森の民とかすりもしない場所で生きてきた私は間近でエルフを見たことがない。が、けれど……、私を訪ねに来たエルフの男に一人、心当たりはあった。
お一人ですか? と問うとそうだと返ってきた。無機質な声。あぁ、嫌な予感を覚えさせる。慣れたつもりの胃の痛みがそれを助長させる。私はそっと、汗の滲む掌を握った。
客人が来るまでのあいだに、少し昔の話を思い出した。幼い頃の、そう、あの子が来た頃の話。今の私をつくる、始まりの記憶。
◆◆◆◆◆ 1 ◆◆◆◆◆
王都に程近い商業都市の、ある孤児院に私はいた。
私の両親は、いや、私が元いた場所は魔物に荒らされて住めなくなったと聞いた。赤ん坊だった私は、見つけられたときに狭い箱に入れられていたらしい。それ以外はなにも教えてくれなかった。話せないようなことなんだろう。
私みたいに両親を魔物に殺されたり、魔物のせいで住む場所を追われてきたという人は珍しくない。商業都市というこの場所は、そういう人が集まりやすかった。
物心ついた時には、それが普通なんだと思った。魔物は人を脅かす存在。魔物は憎むべき存在。皆そう思ってた。
私は幼い頃から孤児院にいたこともあって、失う悲しみに触れあうことが多かった。気がつけば私は新しく来た子供達の面倒を見るようになっていた。
孤児院に集まった子達の中には魔物を殺すと飛び出していった子もいる。……その子は後日、孤児に渡される証だけが院長の元に戻ってきた。そういうことなんだろう。そんな不幸が、ありふれた世界。
*
それは、夜が深まり出した秋の頃だったか。
悪夢に魘される子供を宥め、寝付かせた後、喉が乾いたので水を飲もうと思い食堂に向かっていた。その途中、孤児院の出入口の扉の前にシスターと見知らぬ男が立っているのが見えた。
暗がりで二人の表情は良くわからないけれど、僅かに聞こえてくる声がどこか険を帯びているように感じる。どうしたんだろう、と物陰から見つめていると二人から少し離れたところに子供がいることに気がついた。そこで私は、あの男の人が連れてきた孤児だろうと思い、その子に近づく。目深にフードをかぶって、俯いていたのでその子は私が近づいてきていることに気がつかなかった。
「こんばんわ」
声をかけると、その子は目に見えて驚いた。肩をびくつかせ、私から一歩後ずさる。
そのときフードから私を見つめる目に、心奪われた。
「あなた、綺麗な赤い瞳をしているのね」
嗜めるようにシスターが私の名前を呼んだが、私はすっかり、目の前の美しい瞳の子供に夢中になっていた。
フードの奥からあの美しい瞳が私を見つめる。
思わずその子の手をとったとき、冷たくなっていること、震えていること、すっかり痩せ細っていることに気がついた。その細さに私は心配になってしまう。
「まぁ、冷えきってしまってるわ。シスター、私はこの子をつれていきますね。今日からここの子になるのでしょう?」
「そうだよ」
答えたのは男だった。彼は私と目線を合わせるためにしゃがみこむ。
「その子はルフェというんだ。仲良くしてくれるかな?」
「勿論」
頷いて私はルフェの手を暖めるように包み込む。冷たいルフェの手がかわいそうで、自然と優しい声で話しかけた。
「私はイルシェというの、よろしくね、ルフェ」
繋いだ手から困惑が伝わってくる。ここに連れられてきたばかりの子と同じ反応だから私はあまり気にせずルフェの手を引いて歩き出した。一瞬、躊躇うようにルフェは動かなかったが、やがてゆっくりと私の手に引かれ出す。
「お腹は空いていない? 喉は乾いていない?」
話しかけてもルフェはなにも言わない。声も出せないほどの悲しみが、まだ胸でつかえているのだろうか。
暖炉のある部屋について、床に二人で座り込んだとき私はフードのなかに隠れた赤い瞳を見たくて、そっとフードをとった。その下から黒い髪が零れる。ルフェは赤い瞳で、何かを訴えるように私を見つめる。まるでなつかない猫のようだと私は微笑んだ。
「本当に綺麗ね、ルフェ」
私は素直な感想をのべる。極上の宝石のような赤い瞳、痩せすぎで頬が痩けているけれど整った面差し。子供らしからぬ色香をルフェは放っていた。
「まるで夜の妖精みたい」
真っ直ぐに見つめていると、ルフェは気まずそうに目を反らす。
「そんなこと」たどたどしく紡がれる言葉。「はじめて言われた」
***
ルフェはあきらかに他の子と違っていた。そのミステリアスな雰囲気が、他の子から見れば触れてはならない未知の領域に思ったのか他の子はルフェを警戒していた。ルフェも寡黙な質だから両者の溝は縮まらない。
一度、他の子達がルフェを囲んで何かを言っていたけれど、私が近づくと静かになった。何を言っていたのだろうか。訪ねても誰も答えてくれず、ルフェもいつものように口をへの字にしたまま開かなかった。何故かルフェは人から邪険にされていた。
けれどルフェはあまり気にしておらず、一人でいることを苦に思っていないらしかった。逆に一人が落ち着くのか他の子と一緒に遊ぶでもなく、よく本を広げていた。そこに私が近寄っていくというのが日常だった。
ガリガリに痩せていたせいで体が小さかったルフェをずっと年下だと思っていたけれど、ふっくらとしてくると背が伸びはじめて、私を追い越してしまった。ルフェが私より二つ年上だと知ったのは、ルフェが孤児院に来て二年目の夏の終わりだった。
その日もいつものようにルフェと一緒に本を広げていた。最近のお気に入りは魔導書だった。
魔法。私も種火をつける程度のことはできるが、それだけだ。使えない人間の方が多い。魔法使いは魔物との戦いの最前線に立つため、人々から羨望され、期待されている。今日私達が見ていたのは召喚魔法の頁だった。
「わぁ、この召喚獣格好いいね。不死鳥だって。燃えてるなんて不思議だね」
挿し絵を見ては格好いいとか可愛いとかいいながら、絵本感覚で読んでいた。私に、というか子供に魔導書の内容が理解できるわけがない。難しい字が沢山並んでいるのも、なんだか格好いいという感じで覗いていただけだ。それは私の話で、ルフェはどうだったか知らないけれど。
「この花の精霊もとっても綺麗ね」
「イルシェは、こういうの、好き?」
いつもはあまり喋らないルフェが、珍しく自分から話しかけてきた。私は大きく頷く。
「うん! 好きだよ。魔法使いは凄いよね、私も召喚獣呼んでみたいなぁ」
それは本気のようで、本気ではない言葉。
こうだったらいいなという理想と夢の、狭間の言葉。
いつからか、ルフェは外に出掛けることが多くなった。いつも身綺麗な男の人が馬車でルフェを迎えに来て、夕方頃に戻ってくる。何をしているの? と聞くとまだ秘密、とルフェは小さく笑った。その笑みがとても魅力的だと思ったのを、今でも覚えている。なんだか二人だけの大事な秘め事みたいに思って、まだ、というのならその時まで待っていようと私はそれ以上聞かなかった。
そして、半年ほどたったある日。
どこか嬉しそうなルフェについていき、孤児院のみんなの目につかないようこっそりと夜の原っぱに向かった。ようやく秘密を明かしてくれるのかと思って私は物凄くはしゃいでいた。ルフェもそんな私を見て嬉しそうに笑ってくれた。
原っぱの、土がむき出しになっているところに来るとルフェは杖で何かを描き出した。それが魔法使いの杖で、うっすらと発光する文字が魔言だと分かった私は、ルフェがこの半年隠れて何をしているのかを察して、私に何を見せてくれようとしているのかわかって……、あぁ、ルフェ、すっごく嬉しい! いじらしいルフェが私は堪らなく可愛くいとおしく思えた。
そして、ルフェが魔法陣の前に自分の血を垂らし、私の傍に来た。
「はじめて、呼ぶんだ。はじめては、イルシェと一緒が良かったから」
ルフェは小さな声で、イルシェのために頑張ったんだよ、と言った。私に聞こえていないと思ったみたいだが、しっかりと聞いた私はルフェの手を掴んで握る。俯いた顔が、かろうじて私の方に向けられた。
「ありがとう、とってもうれしい」
ルフェは安心したように微笑んだ。その時に、魔法陣がいっそう明るく発光する。私たちは一緒に召喚獣が現れるのを待ち、そして。
気がついたら、私は見知らぬ部屋のベットで目が覚めた。
どうしてこんなところに、と思って大きな炎が私の脳裏をよぎった。あぁ、そうか、たしか、ルフェが魔法で召喚獣をよんで。炎が、私たちを取り囲んで。私は咄嗟に、ルフェを抱き締めて……、
起き上がろうとして、背中に激痛が走る。私、どうなっているんだろ。それより、ルフェは……、ルフェはどこ?
「イルシェ……?」
かすれた声に気がついて、ルフェがベットのすぐ傍にいることに気がついた。見てみると、ルフェが私の手を握っていた。いや、違う。私がルフェの手を離さんとばかりに思いきり握りしめていた。泣き腫らして真っ赤になった目を見て、ルフェがそこにいることに、私はほっとした。
「良かった……」
私はルフェをベットに引きずり込む。背中が痛いせいで力が入らないけれど、戸惑いながらルフェは私の望むように動いてくれた。ベットの上、私のすぐ傍に座ったルフェの頬に私は手を伸ばす。
「ルフェ、大丈夫? 怪我はしてない?」
信じられない、という目をした後、ルフェの顔がくしゃりと歪む。
「大丈夫、だよ」
「なら、良かった」
ほう、と息をつくとルフェは泣き出した。嗚咽に混じってルフェは言う。
「嫌いにならないで」
「嫌いになんてなってないよ」
「許して」
「何も怒ってないよ」
「死んじゃうかもしれなかったんだよ」
「死んでないからいいよ」
不謹慎かもしれないけれど、ルフェは泣く姿も美しかった。私のために泣いているんだと思うと、たまらない気持ちになった。
「おれ」
震える、しかし決意に満ちた声で、ルフェが宣言する。
「きっと、凄い魔法使いになるから。絶対、なるから。だから、待っていて」
「うん……、待ってるよ」
ルフェが可愛くて愛しくて、私はただ頷いた。私は、ルフェの覚悟をこの時、しっかりと理解していなかった。