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そこに立っていたのは、ベッドで静かに呼吸していた少女、リーゼルだった。信じられない、と言った様子で、ふらつきながらこちらへゆっくりと歩いてくる。途中、転びそうになって慌ててステラさんが支える。椅子に腰掛けたリーゼルが、呆然としながら言葉を紡ぐ。
「おとう、さん……? ねぇ、本当にお父さんなの?」
どうしたらいいのか、対応に困る。ここで実の父親らしく娘と涙の抱擁を交わすべきなのか。困っていると、ステラさんが助け船を出してくれた。
「リーゼル、アロイスは怪我の影響で記憶がないの。もう、魔物退治もできないわ。今さっき、私たち家族のことを話したばかりで混乱している。あなたも起きたばかりで色々驚いたでしょう、まずはゆっくりおやすみ」
記憶喪失設定か……! これなら俺も、堂々と、って言ったらおかしいけど……とりあえず涙の抱擁を交わす必要はなくなった。わからないところがあれば、記憶喪失で通せる。ありがたい……って、俺のほうが色々してもらってどうするんだよ。これじゃあレンタルされている意味が……。
不意にリーゼルと目が合った。嬉しそうに、微笑んだ姿を見て、意味がないわけでもなさそうだ、と少しだけ思った。
ティファニー家にきてから、1週間が経った。近所の人にも記憶喪失であることと、もう魔物退治ができないことを夫婦(仮だけど)で告げると、皆安堵したように笑って迎え入れてくれた。
アロイスは、いいやつだったんだなと実感した。それにしても、だ。何で近所の人たちや子どもたちが俺とアロイスが入れ替わったことに気がつかないのかーー。それは、俺とアロイスの見た目がありえないほどそっくりだったから。写真を見せてもらった瞬間、鳥肌が立つほど似ていた。
世界に自分とそっくりな人間は3人いると聞いたことがある。まさか異世界で見つけるとは思わなかったが。と言うか、見つけたくなかった。正直言って、気持ち悪い。
記憶喪失設定と言うこともあって、多少おかしなところがあって突っ込まれても、誤魔化し通せる。
そんなこんなで、1ヶ月が過ぎた。日中は魔物退治ができなくなった……と言う設定なんだけど、実際にもできない俺に代わって仕事に勤しむステラさん。代わりに俺が家事を行う。最初は失敗ばかりだったが、それが余計に「今まで仕事しかしてこなかった父親感」を出しているようで、記憶喪失の父親を子どもたちは少しずつ受け入れていった。
俺も、ジェイコブとのキャッチボールをしたり、寝たきりだったリーゼルのリハビリの手伝いをするのは楽しかった。料理も焦がしたりすることも減ってきて、ようやく子どもたちが「美味しい」と言ってくれるようになった。
リーゼルは、「覚えてないかもしれないけど……」と前置きした上で、アロイスが死んだ前日に喧嘩したことを謝ってきた。リーゼルの誠意に答えられないことが、申し訳なかった。本当の父親じゃない俺は、その謝罪は受け取れないから……。
アロイスは生きているのか、どうなのか。遺体が見つかっていないのなら、もしかしたら生きている可能性があるかもしれない。そう考えると、動かずにはいられなかった。
「リーゼル、ジェイコブ、父さんと図書館へ行こう」
「やったー! おとーさんとお出掛け!」
「ジェイコブ、あんまりはしゃがないの」
姉らしく弟を嗜めるリーゼルも、口元は嬉しそうに緩んでいた。そんな2人を見て、ますます早く本当の父親を見つかなくてはと思った。
こんなこと、仕事内容に含まれていないし、余計なことをしているのかもしれない。それでも、子どもたちに、ステラさんに、死んでいたとしてもーー本当の父親に会わせるべきだと思った。
だって、俺は雇われの身。こんな夢みたいな幸せな状況がずっと続くなんてことは、ありえない。真実を知らせるのは、早いほうがいい。
図書館で色々と調べた。どこかに、載っていないか? 身元不明の遺体……。生きていたら、もしかして難民に紛れているのかも。心のどこかで、ずっとこんな状況が続けばいい。そう願いながらも、俺は調べ続けた。
以前のように、惰性で生きていたころの俺とはもう違う。血も何の繋がりもない仮初めの家族のために、ひたすら探し続けた。アロイス・ティファニーと言う男を。
「ステラ、俺、魔物退治以外の仕事を探そうと思うんだ」
「あら、いいじゃない。でも、休日はちゃんと子どもたちの相手をしてあげてね」
ーーそれは、本物のアロイスの役目だろ? そんなことは当然言えるはずもなく、俺は笑みを浮かべるだけにとどめた。仕事探しと言う名目で、アロイスを探し続けた。
生きていてくれよ、頼むから。あんたには綺麗な奥さんも、かわいい子どもが2人もいるんだろ? 俺みたいな人間と違ってさ、幸せな家庭を築けたんだよ。なぁ、アロイス。
「アロイス? ああ、知ってるよ。黒髪のあんちゃんだろ。ここいらでは珍しいからなぁ……裏路地のある店の前に突っ立ってたな、確かーー」
約3ヶ月ぶりに訪れた俺の店先に、ぼんやりと貼り紙を眺める1人の男を見つけた。その横顔は、気持ち悪いぐらい俺によく似ていた。しかし、俺のそっくりさんからは、生気が感じられない。惰性で生きていた、昔の俺みたいだと思った。
「アロイス・ティファニーだな」
声をかけた瞬間、ビクリと肩を跳ねさせ、アロイスが俺を見る。その口が、「何で」と動くのが見えた。それから、ふらふらと後ずさりして、その場から走りだそうとしたアロイスを素早く掴まえる。
「逃げる必要があるのか? アロイス。なぁ、あんたには待ってる家族がいるんだぞ。俺みたいな偽物が居座ってて、悔しくないのかよ」
アロイスから、拳が飛んできた。まともに食らった俺は、頭がクラクラして倒れる。アロイスが、悲しそうに俺を見ていた。何とか動く口で、アロイスに向かって叫んだ。
「明日またくる。居場所を取られたくなかったら、絶対来いよ!」
アロイスは、背中を向けて走り去っていった。その背中を見つめ続けた。何で、は……こっちの台詞だ、バカ野郎。




