序章
小さな部屋でひと組の男女が盤の上を駒を動かしていた。ふたりの年の頃は四十前後。整った面立ちは似通っている。それもそのはずでふたりは姉弟である。
「俺はもう、盤を降りてもいいでしょうか」
駒を動かす手を止め、男がぽつりと吐き出す。彼の顔は美しい。だが女々しさはまるでなく、精悍な武人であった頃の面影は多分に残している。しかし表情は疲れ切っていた。
「どうして?」
ひとつふたつしか弟と年の変わらなく見えるが、実のところ六つ年上である姉のほうが不思議そうに首をかしげる。
「もう十分でしょう。後は姉上の好きなようにすればいい。俺は後悔するのに疲れました」
「……お前はわたくしを憎んでいる?」
そうして女は軽い口調で言って盤に目を落としたままの弟を見つめる。
「あなたを憎んで何もかも取り戻せるならそうしています。それに、責めるべきは自分です」
男が自らの将の駒を女の側の駒の前へと動かす。
「お前のそういうところが大嫌いよ」
優しくいたぶるような笑みを浮かべて女は駒を進めて将を取った。
これより遡ること十二年前。元号は白峨。その九年の秋。
男――斎鴻羽は従弟でもあった十二代紫秦国王を弑虐し新たな王となった。
かの王は宦官を寵愛し政務を投げ出す愚王であった。
十一代の王の頃より国を支えた斎家の当主であり、軍神とまでよばれた武人である彼が王と宦官を討ったことを誰もが英断と讃えた。
王となってからも勤勉に政務をこなし国を豊かにしていく彼にはいくつもの賛辞が投げかけられた。
しかしながら彼が心から喜ぶことはなかった。
彼の胸の内には玉座を手に入れいた日の冷たい秋雨がやまずに降り続いていた。
物語はこれよりさらに時をさかのぼり白峨二年の春より始まる――。